トラや の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
一戸建ての平屋の病院住宅に妻と子供2人。1990年夏、母猫と子猫5匹が庭に。初秋、母猫二匹の子猫、トラ猫と白猫を庭に置いて去る。11月、2匹を家の中に。パニック障害、うつ病の時、猫がいる家の方が安らげると1ヶ月自宅静養。そのうち、シロはいなくなり、トラだけに。家を新築(二階建て)、猫の玄関を。トラ、去勢手術、太ってくる。たまに帰ってこない日が(とても心配)。交通事故で右の前足を骨折、1ヶ月寝込み、回復。老いが。冷たい水は飲まず、ぬるい湯を。トラはいつの間にか一家統合の要に。15歳、急性腎不全、没。トラがいなくなり、人だけが住むようになった家はひどく殺風景になった。玄関を開けると、私も、妻も、いつもトラを探してしまう。無言のまま、ため息をつく。
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ネコがでてくるのでとりあえず読んでみた。 うーーーん、イマイチ。 「ノラや」もまだ途中なんだよね。 子猫を川に捨てるなんてことが日常なのは、都市部以外の現状なのかな。悲しいことだ。 完全室内飼いが進めばいいな。小説の題材にはしにくくなるけど。
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一緒に過ごす猫や犬に、確かに救われた瞬間がある、と しみじみ思える人には、ぜひ手に取ってもらいたい本です。 待合室にあふれる患者を思うと、他の医者のように悠然と診察してなどいられなくて せかされるように、ひとりでも多く、と根をつめて診察を続け 見学していた医学生に「こんな生活し...
一緒に過ごす猫や犬に、確かに救われた瞬間がある、と しみじみ思える人には、ぜひ手に取ってもらいたい本です。 待合室にあふれる患者を思うと、他の医者のように悠然と診察してなどいられなくて せかされるように、ひとりでも多く、と根をつめて診察を続け 見学していた医学生に「こんな生活しとったら、長く生きられませんよ」 と真顔で言われた南木さん。 「人が病んで死んでゆく過程に付き合う仕事で生活の糧を得、 そのあまりの業の深さを世間に開示せずには生きてゆけそうもなかったから 小説を書き始めた」と綴る南木さん。 その生真面目さが呼び寄せてしまったかのような鬱病のせいで 奥さんの留守に、ついに包丁に手を伸ばし、死への衝動に身を任せそうになったとき 命の輝きをそのままかたちにしたように ふすまを突き破って、ぽんと飛び出すのです、子猫たちが。 いつもはうるさく鳴かないのに、その日に限ってにゃーにゃー鳴いて餌をねだり お皿に顔を突っ込んで、むせながらガツガツ食べるトラの旺盛な食欲が 南木さんの身に起こした小さな奇跡に、心が震えました。 死への衝動になんとか抗おうとする南木さんにじゃれついては繋ぎ止め 夫から目を離せない奥さんに寄り添って慰め 母をまるまる父に取られてしまう形となった子供たちの遊び相手になって 南木一家のいちばん苦しい時期を支えたトラの気配が 登場しない頁にまで感じられるような一冊です。
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200ページにも満たない本作品。 けれども、15年に渡るトラとの生活を通じて、人間の成長と老いと死を考えさせる作品。日常を率直に綴った言葉が、逆に凄く心に沁みます。
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読んでて鬱々とするけど 読み終わって何か違うもんが見えるような・・・ 感情が入っていきやすい話。
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久々に南木さんの作品を読んだ。前に読んだ作品とかぶる設定が多い。半自伝的小説なんだろうな。 今回は鬱を患う主人公とそっとその家族に寄りそうトラのお話。 この話を読んでてふと我が家の猫も人生(?)折り返したんだな~と感慨深くなった。 南木さんは佐久総合病院の医師でもあり、作品の舞台...
久々に南木さんの作品を読んだ。前に読んだ作品とかぶる設定が多い。半自伝的小説なんだろうな。 今回は鬱を患う主人公とそっとその家族に寄りそうトラのお話。 この話を読んでてふと我が家の猫も人生(?)折り返したんだな~と感慨深くなった。 南木さんは佐久総合病院の医師でもあり、作品の舞台も東信が多い。私も以前まさに佐久病院のそばに住んでいた事もあり、千曲川や浅間山の描写などを読むと郷愁を誘われる。懐かしい!
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猫と暮らす。 楽しく、 悲しく、 おもしろく、 つまらない。 猫と暮らすそんな日々。
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うつ病に苦しむ著者と、その影響から重苦しい空気が漂う家庭を救ったのは、家の軒下に住み着いたノラ猫だった。 ときに自殺を思い止まらせ、ときに介護に疲れはてた家族を救い、やがて子が巣立ち二人きりになった夫婦の仲を取り持った猫との生活を綴った随筆。
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再読です。 南木さんの小説・エッセイは芥川賞をとられた時から、ほぼコンプリート。現役の医師ならではのお話、そして、職業ゆえの(とご本人は言っておられます)鬱病患者としてのあれこれを関心を持って読ませてもらってました。 「トラや」は、もちろん、「ノラや」のもじりで、南木さんが病...
再読です。 南木さんの小説・エッセイは芥川賞をとられた時から、ほぼコンプリート。現役の医師ならではのお話、そして、職業ゆえの(とご本人は言っておられます)鬱病患者としてのあれこれを関心を持って読ませてもらってました。 「トラや」は、もちろん、「ノラや」のもじりで、南木さんが病院住宅に住んでいたころのノラ猫たちが家猫になり、鬱病の治療を続けながら勤務する彼や彼の家族との日々のお話です。 私は理系の人は無条件で尊敬するところがあり、また、南木さんの氷の切っ先のような文章が好きだったところから、もちろん、南木さんご自身にも好感を持っていたのだけど、今回読んでみてあれ??と思ったことが。 大変失礼ながら、南木さんって、自分にも他人にも(家族も含む)完璧なものを望む、というか、こうであらねばならぬ、という結構古風な道徳観があって、そのことについて、たぶんご自身が気が付いておられないのでは?と。 自分に対して厳しいものをお持ちで、また、仕事場でもそれゆえに苦しい思いをしたり、また、言い方は悪いけど損をしたり。 そして、南木さんの奥さんは、そんな夫の自死を恐れ、気遣い、へとへとになっているのがよくわかるのだけど、(そんな中で南木さんのお父さんの介護まで!) 彼は・・?? と。 実は、身近に鬱病患者がいるのでそれがどれほど本人にとって辛い状態なのか、肉体的にもダメージが大きくて気持ちはあっても行動としては現わせないことが多い、ということがわかりながらも、いや、わかるだけに、こんな大変な時なのだから家族には、あれやこれやに完全なことを望むのはやめよう、今は一番大事なことだけをやってそれで良しとしよう、という気持ちがあってほしいなぁ、と思ってしまった・・・。 南木さんの目線は、もしかしたら、妻にも息子たちにもトラにも向いてなかったのでは??なんて言ってしまったら言い過ぎだろうか。 老いて具合が悪くなっているトラを前に、「どうするんだよ、トラが寝たきりになったら」と妻に問う南木さん。「とことん面倒を見てやりますよ。トラちゃんのおかげでどれだけ慰められたか分からないんだから」と答える妻の気持ちがとても切なく伝わってきた。 妻や息子たちに「すまない」と言っておられても、トラ亡き後に妻と2人で旅行した際、食事の後に一人でさっさと部屋に戻ってしまうなんていうささいなことが、(彼を追って廊下を走った妻が意識を失って倒れてしまう、というアクシデントがもしなかったとしても)とても気になってしまった。 こんなつもりで再読したのではなかったのだけど…。
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自分の環境に重ね合わせて辛くなりつつも読むのを止められなかった。いつかくる別れを覚悟しつつ、今のにゃんことの生活を大切にしようと再確認した
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