中原中也全詩集 の商品レビュー
詩をこんなにも浴びたのは初めて。 だけれど、これっぽっちも理解も出来なかった。 もっと憂鬱なのは、俺の感性に振るいが立たなかったことだ。俺は真島にも中原にもなれないのか。 俺の興味は中原では無かったことと信じたい。
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※このレビューにはネタバレを含みます
人の性格が数種類に異なるように、文学のあり方も幾通りかあるだろう。例えば、活力に満ちた起伏のある物語もあれば、静的で浮き沈みのない、人生を冷静に観察する物語もある。夢想を語るものもあれば、美に耽るものもある。文学は、書き手の性格と発想のスタイルが作り出したものではないか。◆私が勝手に名づけている文学スタイルの一つに「自己言及」がある。自分の内面に沈潜し、闇に閉じこもり、やっと出てきた言葉を紡ぐ時、その言葉は、もはや闇を纏わず、光を発する言葉となって、聞く人を勇気づける。中原中也はその典型だ。例えばこの詩。「あゝ、おまへはなにをして来たのだと/吹き来る風が私に云ふ」(「帰郷」)。◆詩人は元来自己言及するものだと言えばそれまでだが、彼ほど自分そのものを憐み嘆き、揶揄し皮肉り、あるいは突き放す詩人もいない。「ホラホラ、これが僕の骨だ/ヌツクと出た、骨の尖(さき)。/見てゐるのは僕? 可笑しなことだ」(「骨」)。◆自己言及の文学は、自己を題材とするが故の過酷さがある。しかし中原は「詩人」だった。詩にはリズムがある。歌がある。中原は自らの悲痛をも軽やかに歌に乗せた。「馬車も通れば、電車も通る。まことに人生、花嫁御寮」(「春日狂想」)。三〇歳での死を目前に控えた詩にこれほどまでに諧謔の哀しみがある。これが「自己言及」の文学だ。◆ところで、現代の「自己言及」の文学は「スキマスイッチ」ではないか。「今、ぼくの中にある言葉のかけら/喉の奥 鋭く尖って突き刺さる」(「ボクノート」)(K) 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2011年3月号掲載
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-2024.03.12.読了 詩の掲載だけで計715頁、 週に一度の「四方館 Body Training」、 その仕上げの朗読タイムで、声に出して読んできた。 ほぼ九ヶ月をかけて‥‥。
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中也全詩集を時間をかけて読んだ。今彼の詩を読んで所謂名作と言わてるものが物凄く際立っているように思えた。 好きだった作品をあげてみる。 山羊の歌より ・帰郷 ・失せし希望 ・汚れちまった悲しみに…… ・生い立ちの歌 ・時こそ今は… 在りし日の歌より ・冷たい夜 ・湖上 ・骨 ・北...
中也全詩集を時間をかけて読んだ。今彼の詩を読んで所謂名作と言わてるものが物凄く際立っているように思えた。 好きだった作品をあげてみる。 山羊の歌より ・帰郷 ・失せし希望 ・汚れちまった悲しみに…… ・生い立ちの歌 ・時こそ今は… 在りし日の歌より ・冷たい夜 ・湖上 ・骨 ・北の湖 ・一つのメルヘン ・冬の長門峡 未発表詩篇より ・春の夕暮 ・(概念が明日となれば) ・(秋の日を歩み疲れて) ・秋の日 ・幼なかりし日 ・夏の海 ・夏 ・湖上 ・砂漠の渇き ・(吹く風を心の友と) ・(疲れやつれた美しい顔よ) ・コキューの憶ひ出 ・細心 ・酒場にて(定稿) ・脱毛の秋 ・いちぢくの葉 ・朝 ・山上のひととき 以上29篇、高名な「山羊の歌」「在りし日の歌」以外にも抒情性豊かな詩篇があり、僕がこの本を手にした理由だ。 また、巻末にこれも高名な大岡昇平と小林秀雄の評伝が掲載されており、素晴らしい。
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トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は静かです アンダースローされた灰が蒼ざめて 春の日の夕暮は静かです 吁!案山子はないかーあるまい 馬嘶くかー嘶きもしまい ただただ月の光のヌメランとするままに 従順なのは 春の日の夕暮か (「春の日の夕暮」より) 幾時代かがありま...
トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は静かです アンダースローされた灰が蒼ざめて 春の日の夕暮は静かです 吁!案山子はないかーあるまい 馬嘶くかー嘶きもしまい ただただ月の光のヌメランとするままに 従順なのは 春の日の夕暮か (「春の日の夕暮」より) 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました 幾時代かがありまして 今夜此処での一とさかり 今夜此処での一とさかり サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ 面倒さに手を垂れて 汚れ木綿の屋根のもと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん それの近くの白い灯が 安いリボンと息を吐き (「サーカス」より) 汚れちまった悲しみに 今日も小雪のふりかかる 汚れちまった悲しみに 今日も風邪さへ吹きすぎる 汚れちまった悲しみは たとえば狐の革衣 汚れちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる (「汚れちまった悲しみに…」より) 菜の花畑で眠っているのは… 菜の花畑で吹かれているのは… 赤ン坊ではないでせうか? いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です 菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど (「春と赤ン坊」より) 高校の国語で出会った中原中也。 悲しい青春の歌。喪失の歌。美しい日本語。リズム。大正モダン。やっぱりいいです。 最近よく聴くブルーハーツのギタリストで歌詞も半分くらい書いていた真島昌利さんが中原中也を好きと知って、詩集を読んでみました。
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62冊目『中原中也全詩集』(中原中也 著、2007年10月、角川学芸出版) 30歳という若さで夭折した天才詩人・中原中也の全詩集。 約800ページという非常にボリュームのある文庫本だが、1ページあたりの文字数は少ないので割とサラサラと読み進めることが出来た。 爽やかかつロマンチッ...
62冊目『中原中也全詩集』(中原中也 著、2007年10月、角川学芸出版) 30歳という若さで夭折した天才詩人・中原中也の全詩集。 約800ページという非常にボリュームのある文庫本だが、1ページあたりの文字数は少ないので割とサラサラと読み進めることが出来た。 爽やかかつロマンチックでありながら、全てに唾するような無頼さも感じられる。どちらも彼の本質であり、それこそが中原中也の魅力なのだろう。 「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けませう、波はヒタヒタ打つでせう、風も少しはあるでせう。」
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「月夜の浜辺」月夜の晩にボタンがひとつ浜辺に落ちていた 捨てられないもの 中也の詩があってうれしい
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悲しみと生きるために バイトの休憩中にちびちびと読んできた、中也の詩。全詩集。 悲しみはどこにでも、何しても、消えてくれるものじゃないから、それならば、私はそれと手を繋ごう。 中也の悲しみを一緒に感じて、あなたの悲しみは心地よいから。私はずっと、救われているよ。 いつかまた会...
悲しみと生きるために バイトの休憩中にちびちびと読んできた、中也の詩。全詩集。 悲しみはどこにでも、何しても、消えてくれるものじゃないから、それならば、私はそれと手を繋ごう。 中也の悲しみを一緒に感じて、あなたの悲しみは心地よいから。私はずっと、救われているよ。 いつかまた会いに行ける世界になったら、あいにいく。
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東京に、雪が降った。街に光に照らされて、雪が落ちて行く。 そんな時に、ふと思い出すのが、「今日も小雪の降りかかる 汚れちまった悲しみに」というフレーズだった。そして、本棚から、この詩集を取り出す。それで、読んでみる。その詩の最後のフレーズ「なすところもなく日は暮れる」という終わり...
東京に、雪が降った。街に光に照らされて、雪が落ちて行く。 そんな時に、ふと思い出すのが、「今日も小雪の降りかかる 汚れちまった悲しみに」というフレーズだった。そして、本棚から、この詩集を取り出す。それで、読んでみる。その詩の最後のフレーズ「なすところもなく日は暮れる」という終わり方に、雪は心の中にも降りしきるようだ。 この詩集は、不思議なことに、買ったときからずっと持っている。50年以上前の詩集で、紙は日焼けしている。存在感がある。中原中也に憧れた時期がある。悲劇のような喜劇のような詩人である。 京都から恋人の年上の女優になりたい女と一緒に東京に行き、そして小林秀雄と仲良くなって、小林秀雄にその女を取られる。一緒に住んでいた荷物を、小林秀雄の家に持って行ってやるのだ。 寝取られた上に、優しさを発揮する。「汚れた悲しみ」に雪が降って、何事もなかったような白い世界となる。朝になると雪が溶けて、汚れてしまった悲しみがあらわになる。「私はかたくなで、子どの模様にわがままだった。私はおまへの優しさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。今朝はもはや私がくだらない奴だと、みずからを信じる」と歌う。どこに怒りをぶつけたらいいのか。その自分の不甲斐なさ。酒屋で飲んだくれて、人に絡みついた。悲劇を喜劇のように演じて、詩人は、言葉を磨き続ける。敗者としてのとぎすまされた言葉を磨く。その恋人は、結果として小林秀雄さえも捨ててしまうのだが。 小学校からの友人が、中学生の頃に高村光太郎の「さびしき道」と中原中也の「月夜の浜辺」を教えてくれた。波打ち際のボタンが落ちていて、それを拾ったら、どうする?と言われた。 彼は、海に向かって思い切り遠くまで、投げてやると言った。彼は、野球選手だった。用のないボタンは、もういらないのだと。スッキリしているのだ。私は、やはりポケットの中に入れると思った。 彼はもう地球上にはいない。 30歳で人生を閉じた中原中也。昭和12年。戦争が本格的に始まる頃だ。ピカソがゲルニカを描いた頃。中原中也は、1冊の詩集しか出版していなかった。2冊目を作って、小林秀雄に託して死んだ。 サーカスのブランコは、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」とゆれる。 そして、「私の上に降る雪は真綿のやうでありました。私の上に降る雪はいとしめやかになりました。私の上に降る雪に いとねんごろに感謝して、神様に 長生きしたいと祈りました」 夜の東京で、雪が降ると 雪を歌った詩人のことを思い出す。
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『現代詩文庫 中原中也詩集』(思潮社)だけど代用 読んでる時は、バリエーションに富んだ詩を読む人だな、くらいの印象だったが、 本人の"小詩論"、"芸術論覚え書" 秋山駿と鮎川信夫の解説を読んで初めて、詩人としての生き様を見れた感じでした...
『現代詩文庫 中原中也詩集』(思潮社)だけど代用 読んでる時は、バリエーションに富んだ詩を読む人だな、くらいの印象だったが、 本人の"小詩論"、"芸術論覚え書" 秋山駿と鮎川信夫の解説を読んで初めて、詩人としての生き様を見れた感じでした。 踏まえてもう一度読んでもまた印象変わるかも
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