龍の棲む家 の商品レビュー
重くなく、ましてや軽いはずもない、そんなお話です。 読み始めは、「自分の親だったら・・・」という思いが念頭にありましたが、読み進めていくうちに自然と物語に身をゆだねる事ができ、3人を見守っているような、そんな気持ちになりました。
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老いるとはどういうことか、家族の在り方とか考えさせられた。 「風」という字はオオドリの中に龍がいる
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静かに語られる玄侑さんの文体に最後まで心静かに読む事ができました。主人公・幹夫の様に親と向き合うことが出来るのか。覚悟の中に明るい兆しも覗かせるラストが良かったです。
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軽度認知症を患った父親の姿に戸惑い、 ただ寄り添うことだけしか出来なかった息子が、 些細な気づきの積み重ねから丸ごと受容していくさまがいい。 これは現実に認知症患者を抱え窮している家族に 心のゆとりを与えてくれる一冊かもしれない。
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壊れていく父親の記憶。 戸惑いながらも介護を模索する家族。 本当にやさしく分かりやすく、介護される側の気持ち、 介護する側の気持ちが、書かれており、 道しるべになる一冊だと思います。
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年老いた父親と息子…。 そして(タイミングよく出会う)、介護経験のある女性。 3人の現在と、それぞれが抱えた過去。 水のようにゆっくりと流れていく時間の中で3人の関係が動いていく物語。 父親は痴呆から徘徊するようになり、 兄よりその連絡を受けた弟幹夫は経営していた喫茶店を閉めて...
年老いた父親と息子…。 そして(タイミングよく出会う)、介護経験のある女性。 3人の現在と、それぞれが抱えた過去。 水のようにゆっくりと流れていく時間の中で3人の関係が動いていく物語。 父親は痴呆から徘徊するようになり、 兄よりその連絡を受けた弟幹夫は経営していた喫茶店を閉めて実家に戻ってきます。 少しずつ症状が重くなる父、介護経験のある佳代子の助けにより、 痴呆との係わり方などを学習しながら、父親を見守る日々の中で、 幹夫と佳代子の過去の傷までも癒されていく。 “老い” という避けては通ることのできない現実の中で、 介護する者される者、そのどちらにもなりうる自分。 正直まだ、向き合うのは怖いし考えたくないことではありますが… 逃げ通せるものでもない。 それを決して押し付けがましくなく、 たんたんと現実を受け止めていけるような空気がこの本にはあると思います。 介護の大変さも、呆けるということも、本を少し読んだくらいでは、 本当のことは何一つ分かるわけないのですが、それでも少しだけ、 介護と痴呆という、私にとっての未知の世界が近づいたのではないかと思う。 特に無意識レベルでの加害者と被害者の話しは、 言い得て妙…一種の防御作用となるのでしょうか。 ただ「呆けてるから。」の一言ですますのではなく、 そのような作用が人の脳みそにはあるんだと知ったことは、 この本を読んだことの大きな収穫となりました。 僧侶でもある著者の “教え” とでも言いましょうか。 「優秀なヘルパーほど泥棒扱いされる。」 忘れないでいたいと思う。
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痴呆症が始った父を介護するため、幹夫は実家に戻る。徘徊を繰り返す父に逆らわず歩調をあわせ付き合う。あるときは息子、あるときは役所勤めのときの部下として会話を続ける。じっと父と向き合っていると人生のあるシーンが光を放って突出し、そのとき人は現実と夢想の世界を自在に行き来するようにな...
痴呆症が始った父を介護するため、幹夫は実家に戻る。徘徊を繰り返す父に逆らわず歩調をあわせ付き合う。あるときは息子、あるときは役所勤めのときの部下として会話を続ける。じっと父と向き合っていると人生のあるシーンが光を放って突出し、そのとき人は現実と夢想の世界を自在に行き来するようになる。まるで即興芝居のように。あるとき心に傷を持つ介護士の女性が父と上手に交流するのを見て、自宅でのケアを御願いする。痴呆症の大変さというより、人間存在の深遠さを見るような深い小説。
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父が呆けたと兄から知らされ、家実へ戻ってきた幹夫は、記憶をさまよう父と 出かけた公園で、介護のプロ・佳代子と出会う。父の散歩につきあい、大切な 誰かを演じ、いっしょに父の記憶のおもちゃ箱をのぞきこむうち、二人は…
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色々な意味で怖い、私にはとてもこんなことはできない。 場面の言葉をきちんと心に留めないといけないと思う。
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一応、介護に関する話の様なので読んでみた。知識としては知っているものの、現実として、老人介護には携わっていないので、判る物事と、そうでない物事が、まま或る。いずれは、自分の両親もそうなるかも知れない。知識だけでなく現実に体験する事も必要なのかも知れないな。
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