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退屈論 の商品レビュー

3.4

8件のお客様レビュー

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2019/08/13
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・負荷-出力モデル 例)試験-簡単 -難しい ↑この落差が「安堵」「落胆」をうむ ・負荷が低いままだと出力も少なく、気持ちの上下がなくなり退屈をうむ。 ・人は厳しい身体的、精神的鍛錬に晒されると、脳内物質が分泌され、それが退屈な癒しにも精神症の治療にも効果がある。 ・鬱や神経症などの人の苦悩の根源を退屈に一元化し、宗教や性遊びなどはすべて「苦悩の根源=退屈」に対抗する手段である。

Posted byブクログ

2014/02/05

「終わりなき日常」を生き抜くためには、「意味」よりも「強度」が求められなければならないと主張する宮台真司や、『逃走論』で近代の神経症から解放された「スキゾ・キッズ」の生き方を説く浅田彰、さらに、「祝祭」におけるエネルギーの解放を論じた山口昌男や栗本慎一郎らの主張に対して、この本の...

「終わりなき日常」を生き抜くためには、「意味」よりも「強度」が求められなければならないと主張する宮台真司や、『逃走論』で近代の神経症から解放された「スキゾ・キッズ」の生き方を説く浅田彰、さらに、「祝祭」におけるエネルギーの解放を論じた山口昌男や栗本慎一郎らの主張に対して、この本の著者は、「飽きないか」という、何ともみもふたもない疑問を投げかけます。 本書では、文学や歴史、人類学などの成果を参照して、人間が「生の意味を求める」のは生が「退屈」だからだ、という洞察を引き出します。個人的には、これまで哲学や宗教が扱ってきた問題を徹底的に世俗的なレヴェルに引き下ろした本だと理解しました。 ところで本書では、宮台と宮崎哲弥の対談のエピソードに触れられています。ある雑誌の中で「強度」を主張する宮台に対して宮崎が「飽きませんか」と尋ねたというエピソードを紹介している。これは、雑誌『サイゾー』に連載された「M2」(現在は朝日文庫に所収)のようですが、興味深いのは、この対談にゲストとして招かれた映画監督の青山真治の発言です。カンヌ映画祭受賞作となった『EUREKA』について、彼は「今まで神経症的に「退屈を恐れる」ことが、ものをつくる際のひとつのコードになってきた」が、「そういうつくり方の過程で捨てられてきたもののなかに、映画本来のものがあった」と言います。そして、今の時代に「そういうものをそのまま再現することはもはや……不可能だけど、僕がやっているような微分的に解体してもう一度一個ずつ積み上げるというやり方は結構それに近いことができる」と語っています。また宮崎は、作中の出来事がお定まりの「意味」に収斂するのではなく、「刹那に生滅しながら持続する時間の切なさ」が「体に残る」ところを評価しています。ここで2人が言おうとしているのは、自分たちの営みが「退屈しのぎ」であることを知ってしまっている者の態度であるように思われます。 本書の結論は、人間のあらゆる営みは「退屈しのぎ」にすぎないということですが、青山らにとっては今さら驚くような真理などではなく、むしろ彼の作品の前提だったのではないでしょうか。

Posted byブクログ

2014/01/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

面白かった。どこが、とは言いにくいが、この人のどこまでも理に突き詰めていきながら、やにわに突き放すような語り口に好感が持てる。

Posted byブクログ

2012/10/22

「退屈」というものに焦点を当てた著作。 まず驚いたのは著者の知識の量。圧倒的な知識量で、色んな側面から一つの「退屈」というものに光を当てている。 ただ、その膨大な知識量により、所々で読むことが「退屈」になってしまうかもしれない。

Posted byブクログ

2012/01/10

快楽や自由満載のユートピアは、 飽きないか。 まさに、私が長年疑問に思っていたこと! 楽園みたいな島に旅行にいくと、 こんなとこで呑気に住みたいなー などと思うが、飽きないかが心配だ。 本では、昔の人は子育てで暇を回避していた、とある。ナルホド。 結婚によって恋愛の自由を奪われる...

快楽や自由満載のユートピアは、 飽きないか。 まさに、私が長年疑問に思っていたこと! 楽園みたいな島に旅行にいくと、 こんなとこで呑気に住みたいなー などと思うが、飽きないかが心配だ。 本では、昔の人は子育てで暇を回避していた、とある。ナルホド。 結婚によって恋愛の自由を奪われると退屈だ。だから子どもが欲しくなる、のか。ふむ。 生きる目的が見つからないと悩むことは、退屈しているということなのだ。 退屈コワイ!!

Posted byブクログ

2021/01/05

わりと野心的な本。でもこの方向には進まないで正解だと思う。 それにしても小谷野先生の通俗さってのもなんかおもしろいと思う。ふつうの人が知らないものとかは読んでないんだよな。

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2009/10/04

全体的に散漫な印象を受ける。どうも、何が言いたいのかいまいちつかめない。本書が書かれた動機としては、ニューアカが流行ったあたりの時代におおく見られた、「退屈」しのぎとしての消費行動礼賛への不信が主たるものだろうと推測される。生産的・目的的な行為と非生産的・無目的な行為を分け、前者...

全体的に散漫な印象を受ける。どうも、何が言いたいのかいまいちつかめない。本書が書かれた動機としては、ニューアカが流行ったあたりの時代におおく見られた、「退屈」しのぎとしての消費行動礼賛への不信が主たるものだろうと推測される。生産的・目的的な行為と非生産的・無目的な行為を分け、前者に近代を当てて、もうそんなのは古い、ポスト近代たる今は後者を追求すべきた、といった論理への、である。小谷野敦は言う。なぜなら、そのような快楽主義は瞬間的であり、「飽きる」からだ、と。この論の運び方はたしかにぐっとくる。経験的にも至極もっともだとうなづける。けれども、その先が面白くない。本の前半で文学、哲学、文化人類学など、さまざまなジャンルに現れる「退屈」の様相を挙げつくしたあとの第四章、小谷野は満を持して自説を発表する。「そしてここで、私の壮大な仮説が炸裂することになる。勘のいい方はもうお気づきだろうが、私は、脳が発達し、知能が高くなると、動物は「退屈」を知るようになるのではないかと考えているのだ」(P.110)実際に読んでいただければわかると思うのだけれど、第四章で語られた話を普通に読んでいれば、この仮説にはまったく驚きも興奮もしないと思う。ここには魅力的な飛躍がない。「炸裂」などという氏らしくない言葉を使い意気揚々と語っているのだが、別に「勘のいい方」でなくてもこの仮説にたどり着けるほど、陳腐な仮説のように思えてならない。「脳が発達」といった、あまりにオカルトな話題を中心に持ってきているし。今までの話はなんだったの、どんだけー * 私的メモ 直線的時間と循環的時間 前近代の農村的暮らしを「ハレとケ」の循環として見ることの眉唾(80年代のファッション的知によって広がっている)

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2009/10/04

「退屈」について本格的に論じた、珍しい本。退屈をキーワードに文学・恋愛・宗教など多岐にわたるテーマを再構築していく様はなかなかスリリング。みんないうけどこの本自体は全然退屈じゃないです。 でも最後にやたら厨房(と表記したいあえて)臭いことを言っていて萎えたので☆1コ減点。ポパーま...

「退屈」について本格的に論じた、珍しい本。退屈をキーワードに文学・恋愛・宗教など多岐にわたるテーマを再構築していく様はなかなかスリリング。みんないうけどこの本自体は全然退屈じゃないです。 でも最後にやたら厨房(と表記したいあえて)臭いことを言っていて萎えたので☆1コ減点。ポパーまで引用しといて何だよそれは(苦笑)。 300円。

Posted byブクログ