1,800円以上の注文で送料無料

きつねの窓 の商品レビュー

4.4

33件のお客様レビュー

  1. 5つ

    14

  2. 4つ

    5

  3. 3つ

    5

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2023/09/20

『あ!きつねのまどって、指でやるやつだよね!』と、子供達は、怪談話で知っていたようで、読み始めると しんっと集中して聞いてくれました。 日が暮れるのも段々と早くなり、なんとなくセンチメンタルになる秋。じわっと心に沁みます。

Posted byブクログ

2023/06/15

〝鉄砲を担いで、青い桔梗の花畑の中を白い子キツネを追っていた時の話です。 不意に小さな染物屋が現れて、その店からひと目で子キツネと分かる男の子が出てきました。「どんなものでもお染します。指先を染めると、とても素敵ですよ」男の子は、青く染めた自分の指でひし形の窓をつくると「ちょっと...

〝鉄砲を担いで、青い桔梗の花畑の中を白い子キツネを追っていた時の話です。 不意に小さな染物屋が現れて、その店からひと目で子キツネと分かる男の子が出てきました。「どんなものでもお染します。指先を染めると、とても素敵ですよ」男の子は、青く染めた自分の指でひし形の窓をつくると「ちょっと覗いてみて下さい...これ、ぼくの母さんです...ずうっと前に、ダーンとやられたんです。鉄砲で・・・」〟安房直子サン作、織茂恭子サン絵による、切なくも優しさのある、教科書に載った名作童話です。

Posted byブクログ

2023/06/03

安房直子さんの作品は、幻想的要素を絡ませながら、共に生きるもの同士の心の交流を温かく描くことから、大人向けのものが多く、それはこの絵本(1977年)も同様ですが、教科書にも出てくるそうで、はたして子どもたちが、どのように感じるのか気になるところです。 表紙の文字のフォントからも...

安房直子さんの作品は、幻想的要素を絡ませながら、共に生きるもの同士の心の交流を温かく描くことから、大人向けのものが多く、それはこの絵本(1977年)も同様ですが、教科書にも出てくるそうで、はたして子どもたちが、どのように感じるのか気になるところです。 表紙の文字のフォントからも分かるように、始まりは、どことなく不穏な雰囲気で、終始落ち着かない気分にさせられ、それは織茂恭子さんの寒色系の多い背景もありますし、更に杉林から一転して、突然現れた、一面桔梗(ききょう)の花畑が、それに輪をかけたように思われるのは、主人公の男の職業が、きつねを追いかける猟師なのもあると思います。 また、序盤は絵本ならではの、ページをめくった、すぐ後の文章の転換の仕方の上手さも印象的で、めくった先の文と、それに合わせて動き出しそうな絵を見て、思わずドキッとさせられるような臨場感には、これから何か恐ろしいことが男を待ち受けているのではないかと、更に不安感を煽ってくれます。 ところが、その後の展開は意外性を見せ、最初こそ、きつねを捕まえようと考えていた男だったが、それを覆すような共感を覚えたのが、『大切な人を失ったことによる孤独感』であり、これによって、私は最初、ここで二人を対峙させたのが、きつねの男に対する恨みなのかと思っていたのが、実は、序盤に男がとりとめもなく考えていた、昔大好きだった少女(今はもう決して会うことができない)に、同じような共感の思いを、きつねが寄せたのではないかと思ったのです。 そして、そんな共感の思いをきつねへと寄せた、男が得たものは、ききょうの花の汁で青く染め上げた、四本の指を菱形に合わせて作った窓から覗くことの出来る、今は決して見ることの叶わない、失った人や場所のかつての面影であり、そこには大好きだった少女や、死んだ妹、焼けて失われた家が現れて、これさえあれば、もう寂しくないと感じた男でしたが、その別れは、意外ながらも非常に現実的な人間らしさという、悲しき本能によって、すぐ訪れることになるのが、また何とも言えない気持ちにさせられます・・・が、しかし。 ここで私が思ったのは、はたして、これって本当に幸せなことなのかということで、人それぞれの価値観や人生観があるので、断定こそいたしませんが、どんなに悲しいことがあっても、いつかはそれらに別れを告げて、前を向かねばいけないと思いましたし、過去の映像を見ることが出来るだけというのは、却って胸を締め付けられるような辛さを、そのうち覚えるのではないかとも思いましたし、理由はどうであれ、その訪れたという事実を受け入れる、死者への尊厳も大事なのではないかと思いました。 桔梗の花言葉は、「永遠の愛」、「変わらぬ愛」、「誠実」等であり、確かにその力を借りて見ることの出来た映像には、それらがあるのでしょうが、どこか現実性に乏しく不安感を覚える言葉たちに、私は素直に身も心も委ねる気には、とてもなれそうにありません。 しかし、それでも表紙の桔梗を胸に抱えた男の子の思いや、裏表紙の麦わら帽子にひとさしの花を見てしまうと、それに委ねたくなる気持ちも分かるようで切なくなるし、といった、このどちらとも付かない思いの葛藤を抱かせる、この絵本は、ある意味、安房直子さんの真骨頂なのだと思います。

Posted byブクログ

2023/01/01

山で道に迷ったぼくは、1面の桔梗の花畑に出た 白いきつねを見つけ追って行くと、きつねを見失った所で染め物屋の男の子に声を声をかけられた これはきつねが化けているなとすぐに気がついたが、ぼくはそのままお店の中に入ってみた そこで何を染めますかと色々提案されるが指を染めましょうときつ...

山で道に迷ったぼくは、1面の桔梗の花畑に出た 白いきつねを見つけ追って行くと、きつねを見失った所で染め物屋の男の子に声を声をかけられた これはきつねが化けているなとすぐに気がついたが、ぼくはそのままお店の中に入ってみた そこで何を染めますかと色々提案されるが指を染めましょうときつねから言われる 指なんてと言うぼくに、きつねは染めた指でひし形を作り、覗くように言う そこには白い母ぎつねが見えた 驚いたぼくは指を染めることにする その窓から見えたものは,,, 読み聞かせ時間は16分ちょっとです

Posted byブクログ

2022/08/05

青く指を染めるのは、私も最初は嫌だったけど、ひしがたを手で作ると、悲しみを感じたときの事が出て来て今の自分も悲しくなりそうです。(現実でできたらの話です。「自分も悲しくなりそうです。」というところ)(小3)

Posted byブクログ

2022/06/18

#きつねの窓 #安房直子 #ポプラ社 #児童書 なんとも言えない悲しさを帯びたお話でした。きつねに指を染めてもらい、その指で窓を作るとその向こうに会いたい人が見える、そんな話。安房直子さんの作品の世界観にもう少し浸ってみたいなと思いました。

Posted byブクログ

2021/09/24

「すっかり知りつ苦しているつもりだったこの山にも、こんなひみつの道があったのでした」 大好きなファンタジー作品。切ないんだよなあ。(19分)#絵本 #絵本が好きな人と繋がりたい #きつねの窓 #安房直子 #織茂恭子 #ポプラ社

Posted byブクログ

2019/04/30

安房直子ワールドのファンタジックなお話。 ちなみに、この本は、「ごんぎつね」の単元の紹介図書で掲載されています。 それが、「きつねの出てくる話を読んでみましょう」ということで、びっくり! もう少し、テーマ性のある関連作品の紹介はできないものだろうか、、。 「きつねのホイティ」や「...

安房直子ワールドのファンタジックなお話。 ちなみに、この本は、「ごんぎつね」の単元の紹介図書で掲載されています。 それが、「きつねの出てくる話を読んでみましょう」ということで、びっくり! もう少し、テーマ性のある関連作品の紹介はできないものだろうか、、。 「きつねのホイティ」や「狐」新美南吉 もあがっていましたが。

Posted byブクログ

2019/02/14

山で迷った男の人がきつねの染物屋を見つけます。青く染めた指でつくった窓から向こうをのぞくと見えるはずのない人物がいました。この少し悲しげで不思議な感じは安房さん独特です。

Posted byブクログ

2017/01/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

何人かで集まった時に「国語の教科書に載っているお話で好きだった作品は?」なんて話題になると、必ずと言っていいほど挙げられる『きつねの窓』。 斯く云う私は「……習ったっけ?」とかなり曖昧な記憶しかなかったのですが、桔梗という花の名前や「今夜のおつゆに」と渡されるお土産のなめこといった断片的なイメージは何となくあるので、やっぱり初読は小学校6年生の時だったのだと思われます(やはりきつねが登場する宮沢賢治の『雪渡り』は割と覚えてる)。 さて、小学31年生の気持ちで読んだ『きつねの窓』。 ある日、歩きなれているはずの山で、急に道に迷ってしまった猟師の「ぼく」。 知らず知らず、桔梗の花畑に辿り着いていた「ぼく」の眼前に、突然“そめもの ききょう屋”と掲げられた小さな店と子どもの店員が現れる。 さては子ぎつねが自分をばかそうとしているのだな、と思った「ぼく」は、子ぎつね(とその親ぎつね)を捕まえるため、ひとつだまされたふりをしてやろうと考える。 ところが、子ぎつねに両手の親指と人差し指を染めることを勧められた「ぼく」は、子ぎつねがその青い指で作ったひし形の向こうを覗いてびっくり仰天。 青いひし形は、大好きだったのに今はもう二度と会うことのできない者の姿を見せてくれる、不思議な「きつねの窓」だった……。 人間の鉄砲によって母を失った子ぎつね。 動物を狩って生計を立てる天涯孤独の青年。 本来ならば決して相容れない二者が、拭いようのない「さびしさ」という、ただ一つの共通点によって交錯する瞬間。 無邪気な子どもの頃であれば、「お母さんを殺されるなんてひどい。子ぎつねはもっと『ぼく』に仕返しをしてやれば良かったのに」と憤慨したはずです。 ただ、大人になった私は、猟師という職業を十分に理解していますし、野生動物が生きることの過酷さや、子どもがいずれは親から自立しなければならないことも知っています。 だから、猟師が鉄砲を奪われることの重大さや、それより何より、一旦は愛する者を思い出すためのよすがを与えられながら再びそれを失ってしまう喪失感の大きさに、身震いせずにはいられませんでした(これを成し遂げた子ぎつねは最早「子」ではなく、立派な大人であるとも感じました)。 物語との出会いって、ほんとタイミングだよなあ。 小6の自分の記憶に残らなかったのは、多分あの時は「その時」じゃなかったからだな。国語の成績が良くなかったからじゃないんだな。と、信じたいわけであります。

Posted byブクログ