飛ぶ教室 の商品レビュー
雑誌『飛ぶ教室』を読む機会があったので、雑誌名の由来になっている『飛ぶ教室』を借りて読んでみた。1930年前後のドイツ、ギムナジウムを書いたものを初めて読んだので、当時の雰囲気は、こんなものだったのかと、割と新鮮に驚きつつ読んだという感じだった。(ギムナジウムといったらBL少女マ...
雑誌『飛ぶ教室』を読む機会があったので、雑誌名の由来になっている『飛ぶ教室』を借りて読んでみた。1930年前後のドイツ、ギムナジウムを書いたものを初めて読んだので、当時の雰囲気は、こんなものだったのかと、割と新鮮に驚きつつ読んだという感じだった。(ギムナジウムといったらBL少女マンガの舞台というイメージ。。。) 寮の舎監に「正義先生」というあだ名がついていたり、舎監や先生に相談できないことを相談する相手として、「禁煙先生」がいることところに、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』のおじさんとかを思い出した。クロイツカム先生の発言やふるまい、マルチンがお金が無くて家に帰れないこと、それにベク先生がポケットマネーを渡すこと、ヨーニーの生い立ちなどなど、いろんなところに当時はきっと普通にいたんだろうな、という時代の空気感が滲み出ていて面白い。 内容的には、好きかと聞かれると、そんなに好きではなかった。男の子たちが男しかいない空間の中で、男らしさを求められることに苦しむ姿のだが、最終的にはその男らしさを獲得したり、別の大人の男らしさに救われることで、男らしさを美しく見せる物語だと思う。 これは、実業学校とのけんかや、引っ込み思案だったウリーが傘を持って体操ばしごから飛び降りて骨折してから一目置かれるようになったところ、マルチンが貧乏で両親のところへ帰れないことを誰にも知られないようにし涙を堪えたり、『正義先生』ことベク先生が先生になったいきさつと最後にマルチンにお金を渡すところなんかに象徴的だと思う。 令和を生きる世代には、乗れないノリという人が多いのではないかと思う。 ぜんぜん関係ないのだが、カタカナの名前のせいなのか、ヨーロッパの小説は、登場人物のキャラと名前が頭の中でなかなか一致しない。アガサ・クリスティとか読んだときも、すごく感じた。 こういうのを読むと、映像とか音とかで、一度は見てみたくなる。
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昔から名前だけ知っていた本ではあるのですが、今回初めて読みました。 作者のケストナーが休暇中にこの話を書いているところから物語が始まります。全寮制の男子校でクリスマス休暇までに起こった出来事を書いている、というスタイルです。 子どもを持つ親として、「禁煙先生」や「正義先生」が子...
昔から名前だけ知っていた本ではあるのですが、今回初めて読みました。 作者のケストナーが休暇中にこの話を書いているところから物語が始まります。全寮制の男子校でクリスマス休暇までに起こった出来事を書いている、というスタイルです。 子どもを持つ親として、「禁煙先生」や「正義先生」が子どもを頭ごなしに叱らずに受け入れて話を聞き提案する姿は、自分もそうありたいと思うし、そういう先生がいて欲しかったと思うものでもありました。 子どもたちも一丁前に他校生に戦いを申し込んでみたり、自作の演劇(そのタイトルが「飛ぶ教室」)の台詞回しがこまっしゃくれていたりで微笑ましいのですが、子ども自身も日々の学校生活で悩んだり考えたりする様子が伺えます。家の経済事情でクリスマス休暇に帰れなくなった子の話は、帰れなくなったことを同級生に隠そうとしている様子に胸が詰まる思いでした。 この作品は日本語翻訳版がいくつもあるのですが、一番訳が古いものを選んで読みました。訳の古さを気にされる方もいるようですが、私が幼少期に読んだ翻訳本はどれもそんな感じだったので逆に懐かしくて良かったです。違う翻訳で読み比べるのも面白いと思います。 余談ですが、作品中に出てくる演劇「飛ぶ教室」では北極点に着陸するシーンが出てきます。この話が書かれた1930年代、北極点は陸地にありましたが、現在は北極点が移動し、北極海の上にあるので、シナリオの変更が必要になるかもしれませんね! この物語の前半は、ケストナーが読者である子どもたちに呼びかける部分も多くあります。自分の備忘のために、引用しておきます。 ————————- どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう?そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?(この機会に私はみなさんに心の底からお願いします。みなさんの子どものころをけっして忘れないように!と。それを約束してくれますか、ちかって?) ————————- ただ、何ごともごまかしてはいけません。またごまかされてはなりません。不運にあっても、それをまともに見つめるようにしてください。何かうまくいかないことがあっても、恐れてはいけません。不幸な目にあっても、気を落としてはいけません。元気を出しなさい!不死身になるようにしなければいけません! ————————— 世の中というものは、とほうもなく大きなグローブをはめていますよ、みなさん!それにたいする覚悟ができていないで、一発食らうと、小さい家バエがせきをしただけで、もうばったりうつむきにのびてしまいます。 そこで、元気を出し、不死身になるんですね!わかりましたか。それをまず心得たものは、もう半分勝ったようなものです。そういう人は、あまんじて顔を打たれても、沈着さを失わず、あの二つのたいせつな性質、つまり勇気とかしこさをあらわすことができます。私がいまいうことを、よく頭にいれておきなさい。かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです! —————————— 世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、かしこい人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。それは正しいことではありませんでした。 勇気のある人々がかしこく、かしこい人々が勇気を持った時、はじめて人類の進歩は確かなものになりましょう。これまでたびたび人類の進歩と考えられたことは、まちがいだったのです。 ——————————-
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5人の少年達が中心の物語だけど、その中でも一番ちびのウリーに感情移入してしまいました。 自分もウリーと同じ様に、小さい頃は体が小さく、周りの友達と比べて劣等感を持っていた子供でした。 物語の中でウリーは落下傘降下を決行し、みんなを驚かせます。その後、弱い自分に打ち勝ち、周りも...
5人の少年達が中心の物語だけど、その中でも一番ちびのウリーに感情移入してしまいました。 自分もウリーと同じ様に、小さい頃は体が小さく、周りの友達と比べて劣等感を持っていた子供でした。 物語の中でウリーは落下傘降下を決行し、みんなを驚かせます。その後、弱い自分に打ち勝ち、周りもウリーに対して一目置くようになります。 それぞれの登場人物にドラマがあり、楽しく読む事が出来ました。 最後のあとがきで、作者が自分の書いた物語の登場人物である、ヨナタン・トロッツに出会い語りかけた言葉が心に沁みました。 「私は作品を吟味するだけで、才能を吟味することはできません。きみが書けるかどうかをしらべるだけで、きみがいつか作家になれるかどうかをしらべることはできません。それはあとになって、はじめてきまることです。」
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子どものころ外国の小説を読んで、ワクワクした気持ち。あの頃は言い回しなど気にせずに、ひたすらストーリーに没頭していた。 前に読んだ「図書室のはこぶね」に登場したので再読。訳の古さは気になるが、少年時代の熱く純粋な気持ちは、今も共感した。
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10数年前に読んだときは大丈夫だったのに、今回は訳の古さがいささか気になった。が物語の素晴らしいことは変わりない。この岩波ハードカバー函入りのケストナー全集は子どもの頃書店や学校の図書館で必ず目にしたものだ。背だけが布の装丁がいつも気になっていたがいざ読もうとするとなかなか手ごわ...
10数年前に読んだときは大丈夫だったのに、今回は訳の古さがいささか気になった。が物語の素晴らしいことは変わりない。この岩波ハードカバー函入りのケストナー全集は子どもの頃書店や学校の図書館で必ず目にしたものだ。背だけが布の装丁がいつも気になっていたがいざ読もうとするとなかなか手ごわく、結局子ども時代に読まずにすぎてしまった。手に取るのが早すぎたのだろう、ケストナーの小説の独特の構成が(物語冒頭に著者自身が語る章があったり長い章タイトルなど)低学年ぐらいでは理解できず物語世界に入っていきづらかったのだろうと思う。新訳でも読んでみたいが、やはり子どもの本というのはその姿形まで含めて読書の記憶と結びついているのでこれはこれで本棚からはずすわけにはいかないのだ。岩波書店も決して絶版にしないところがすばらしい。 ドイツの名前はさほど覚えずらいものという認識がなかったのだが、今回最初に自分で登場人物表を作ってから読み始めて正解だった。北欧ものの名前の方がすんなり入ってくるかもと思ったほどだった。
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ギムナジウムの寄宿舎で暮らす少年たちの、美しい友情の物語。 先生を慕う生徒と、生徒を愛する先生。親から捨てられた少年と親子で愛し合いながらも貧乏で苦しむ少年の友情。頭は良いれけど気の弱い少年と腕っぷしは強いけれど成績の悪い少年とのほほえましい友情。 人間の美しさを素直に信じられる...
ギムナジウムの寄宿舎で暮らす少年たちの、美しい友情の物語。 先生を慕う生徒と、生徒を愛する先生。親から捨てられた少年と親子で愛し合いながらも貧乏で苦しむ少年の友情。頭は良いれけど気の弱い少年と腕っぷしは強いけれど成績の悪い少年とのほほえましい友情。 人間の美しさを素直に信じられる本。 この作品が出た頃からナチス時代の台頭があったことを思うといろいろ考えさせられる。
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何度目かの再読だが、 この年になると、あらためて感覚が違って、ある意味、新鮮に読めた。 ケストナーは「良心」だな、とあらためて思う。 しかし、現代において、こういった正義や誇りを描いた物語が、若い読者に受け入れられるのだろうか、と思ってしまった。 ドイツでは、まだしも、日本では...
何度目かの再読だが、 この年になると、あらためて感覚が違って、ある意味、新鮮に読めた。 ケストナーは「良心」だな、とあらためて思う。 しかし、現代において、こういった正義や誇りを描いた物語が、若い読者に受け入れられるのだろうか、と思ってしまった。 ドイツでは、まだしも、日本では…? 普遍的に大切なことなのだが、このストーリーでは受け入れられないかも、ということになると、やはり「鬼滅〜」のようなもので学んでいくことになるのかなあ? (読んでないけど) 古き良き…になってしまっているとしたら、とても残念ではあるが、あえて今の時代に寄せていく必要があるのかどうかは、それはそれで疑問がある。 今の子どもたちが、どのようにケストナーを読むのか、気になる。
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_冬の夕べのとばりが町の上にたれかかりました。一年じゅうでいちばん美しい夜を迎えるのに、もういく晩もないのでした_ _往来には、蜜入り菓子のにおいがただよい、道がそのお菓子で敷きつめられてでもいるかと思われるほどでした_ 今年のクリスマスに読もうと...
_冬の夕べのとばりが町の上にたれかかりました。一年じゅうでいちばん美しい夜を迎えるのに、もういく晩もないのでした_ _往来には、蜜入り菓子のにおいがただよい、道がそのお菓子で敷きつめられてでもいるかと思われるほどでした_ 今年のクリスマスに読もうと決めていました。 一冊丸ごと、まえがきも本編もあとがきも、全てが文学でした。 寄宿舎に暮らす5人の少年たち。 彼らの慕う二人の大人、正義先生と禁煙先生。その二人の間にある知られざる絆に気づいた少年たちは、粋な行動に出ます。 そしてウリーとマルチンに起こること! 素敵な大人に見守られながら成長する少年たちのいきいきとした姿と、家族や友達を思う健気さに胸打たれ、何度読んでも同じ箇所で涙してしまいます。 ケストナー作品はたくさんの方の翻訳により出版されていますが、私は、高橋さんの訳じゃないとここまで感情移入できません。 もちろんドイツ語の原文は知らないけれど、自伝などから想像するケストナー像を思うと、高橋さんがとてもケストナーらしく訳してくださっていると信じられるのです。 この楽しくて美しい物語を、10代と、そして今読み直すことができて心から幸せです。 『飛ぶ教室』を読んだなぁっていうこと自体も、2020年の素晴らしい思い出になりました。まえがきのこの言葉、ずっと大切にしようと思います。 _子どもの涙は決しておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません_
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長年の積読本をやっと、読了。 ケストナーの伝記を少し読み始め、素晴らしい人だったんだな、とか、お母さんとの絆や、子ども時代の時代背景も知った上で読んだので、すごく入ってきた。 実はこの2年ほどクリスマスシーズンの度に読もうと挑戦していたんだけど、長い前書きにやられてたんですよ...
長年の積読本をやっと、読了。 ケストナーの伝記を少し読み始め、素晴らしい人だったんだな、とか、お母さんとの絆や、子ども時代の時代背景も知った上で読んだので、すごく入ってきた。 実はこの2年ほどクリスマスシーズンの度に読もうと挑戦していたんだけど、長い前書きにやられてたんですよねー。でもこの前書き、お母さんのこととかね、微笑ましく思います。 さて、ストーリーは、前半、男の子たちの学校を背負ったケンカが始まるんだけど、その中で、中心となる5人の個性豊かな子どもたちが、ほんとに生き生きと描かれて鮮やか。 ケンカの後に無断で寮を抜け出したことで舎監の正義先生に叱られることになりますが、この先生が素晴らしく、また、学校の外で子どもたちが頼りにしていた世捨て人らしき、禁煙先生との関係も知り、この二人を引き合わせようとする。 そして、クリスマス前日、子供たちの演劇「飛ぶ教室」のリハーサル、臆病者ウリーの事件、学年首席、マルチンの秘密… 素晴らしく読み応えあり、美しい心象描写に引き込まれます。 ラストのクリスマスのシーンも、おとぎ話のような美しさで、こころが洗われます。 前半のハラハラ感から、ラストの感動まで、素晴らしいストーリーテリングに唸ります。名作と言われるのは確かです。 素敵なおはなしでしたー。
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マルチンとマチアスがごっちゃになって困った。 監禁暴行事件ですよ。 警察呼んじゃうぐらいのことですよ。 一緒になって計画練ってる場合なんでしょうか。 そんなことを考えてしまうのは私が現代日本の人間だからでしょうね…。 親と連絡取るのも簡単じゃないこの時代に、子供を預かるというのは...
マルチンとマチアスがごっちゃになって困った。 監禁暴行事件ですよ。 警察呼んじゃうぐらいのことですよ。 一緒になって計画練ってる場合なんでしょうか。 そんなことを考えてしまうのは私が現代日本の人間だからでしょうね…。 親と連絡取るのも簡単じゃないこの時代に、子供を預かるというのは本当に責任の重いことですね。 手紙を勝手に読むわけにもいかないし。 様子を見て何があったか察するというのは簡単なことじゃない。
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