モスラの精神史 の商品レビュー
(01) 1961年の映画に表された怪獣モスラのルーツや背景,そしてそのなれの果てについて解釈が加えられる.戦後日本が置かれた,特に対米関係の情況,日本の伝統的な生産物としての絹と蚕糸業のために飼われた蚕,南島や南洋へ向けられた日本の視線,興行的な仕掛けをもった映画の仕掛け(*0...
(01) 1961年の映画に表された怪獣モスラのルーツや背景,そしてそのなれの果てについて解釈が加えられる.戦後日本が置かれた,特に対米関係の情況,日本の伝統的な生産物としての絹と蚕糸業のために飼われた蚕,南島や南洋へ向けられた日本の視線,興行的な仕掛けをもった映画の仕掛け(*02),ダム(*03)やタワーのモダニズム,中村信一郎,福永武彦,堀田善衛がなした原作との相違,ゴジラほか他の怪獣映画や特撮映画との関係,同時代性のある文化の総合として現れた1970年の大阪万博などがその内容である. (02) 映画モスラにも女性たちが踊るレビューのシーンが含まれ,怪獣映画の原型としてのキングコングに言及される.キングコングも見世物としてニューヨークに持ち込まれ,モスラも怪しい興行師によってザ・ピーナッツが演じるエンファント島の小美人がその故郷を離れたところにモスラ進撃の動機があることを指摘している.モスラに限らず,歌って踊る映画が,映画前夜の劇場での演目をなぞっていることに注目しており,面白い. (03) 都内の水源地として奥多摩湖を作る小河内ダムから幼虫モスラが突如として現れた理由を考察し,太平洋沿岸からやってきて海岸に上陸してきたゴジラとの違いについて説明される.青梅街道や中央線沿いに東進し,渋谷を経由して,東京タワーで繭をつくるモスラのコースにモダニズムへの批判を著者は読んでいる.その南には近代において八王子から横浜へと通じる絹の道があった.あるいは,絹の道の集散地となっていた八王子や青梅に引きずられて,モスラが奥多摩に現れたのかもしれない.
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積読本をかたづけようシリーズ。 2007年発売。 1961年公開の『モスラ』を読み解く。 中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の三人による(なんと豪華!)原作『発光妖精とモスラ』との違い、『キング・コング』の影響、蛾の怪獣にみる養蚕の歴史、インファント島という南方幻想、原...
積読本をかたづけようシリーズ。 2007年発売。 1961年公開の『モスラ』を読み解く。 中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の三人による(なんと豪華!)原作『発光妖精とモスラ』との違い、『キング・コング』の影響、蛾の怪獣にみる養蚕の歴史、インファント島という南方幻想、原水爆の実験地として、南方戦線の記憶として、当時の安保条約との関連、小美人ザ・ピーナッツにみる日劇のレビューなどなど。 川端の『雪国』から三島の『絹と明察』『潮騒』『美しい星』まで引用されていたり、後半の万博や王蟲との関連など、風呂敷を広げすぎた感はあり、まとまりにはかけるのだけど、公開当時の1961年という時代がみえてくるのはおもしろい。 『モスラ』はだいぶ前に見ているけれど単純にめちゃくちゃおもしろい映画として見ていたので、当時の観客がそこに戦争の記憶や安保闘争、原水爆実験などの意図を感じていただろうとは思い至りませんでした。 たとえば、「モスラ〜ヤ」で有名な『モスラの歌』はインドネシア語で書かれていてインドネシアからの東大留学生に翻訳を頼んだ。1958年のインドネシアとの国交回復により、賠償の一環としてインドネシア指導層の子弟が日本に留学するのだが、翻訳を頼んだ東大生とはこのひとりだったのではと著者は推測する。 「モスラ〜ヤ」の歌を聞くとき、当時の観客は元占領地としてのインドネシアを思い浮かべたかもしれない。製作者たちの南洋従軍経験からもインファント島は描かれている。 「もともと青森・秋田・岩手の北東北に広がる風習で、正月にイタコが訪れて、一対のオシラ様を使って話をする。桑の木で作られる棒を使用する地域も多いようだが、内容としては「馬にほれた娘が同衾するようになったので、親が馬を殺すと、娘が後を追って亡くなってしまう。そして、夢のなかで、馬の首に似た虫を育てることを親に促すが、それが蚕だった」という異形との婚姻を扱った話である(「蚕」が馬と娘をつなぐ連想をもつなら、川端の『雪国』に登場する二人の女性が「葉子」と「駒子」と名づけられているのは示唆的に思える)。」 「ロンドン動物園の創始者のひとりが、初代のシンガポール総督であり、いまもホテルに名を残すスタンフォード・ラッフルズであったのは偶然ではない。」
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『モスラ』の映画1本でこんな深く読み込めるんだ~と感心した。平成版モスラが公開されたころ、「モスラは女性に人気があってゴジラは男性に人気があ」って、その理由は「モスラは母性本能を刺激するから」みたいなことを雑誌だか新聞だかで読んだ覚えがあるんだけれど、小美人ーモスラの関係が母ー子...
『モスラ』の映画1本でこんな深く読み込めるんだ~と感心した。平成版モスラが公開されたころ、「モスラは女性に人気があってゴジラは男性に人気があ」って、その理由は「モスラは母性本能を刺激するから」みたいなことを雑誌だか新聞だかで読んだ覚えがあるんだけれど、小美人ーモスラの関係が母ー子なら、たぶん上の母性本能云々はモスラの形体から言ってるんだろうけれど、あながち間違ってないのかな、と。で、いろんな角度から1本の映画を読み込むという面白みはあったけど、例えば172pでの『座間にある厚木基地の陸軍』って、厚木基地は座間にないし、厚木基地は陸軍じゃないし、陸軍はキャンプ座間だし、と校正ちゃんとしてんのかなと思うと(私が読んだのは第1刷だけど)、他にもそういう箇所があるのかな参考文献がいろいろ上がってても大丈夫かなとちょっと思ってしまう。
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怪獣スター・システムというのを想定しよう。 ゴジラは、本来、映画『ゴジラ』の文脈を抜け出して存在することはできないはずである。ところが、ゴジラは核実験で生まれた怪獣だとか、とにかく打たれ強いとか、最小限の文脈を引き連れて、他の映画に登場するようになる。怪獣スターの誕生である...
怪獣スター・システムというのを想定しよう。 ゴジラは、本来、映画『ゴジラ』の文脈を抜け出して存在することはできないはずである。ところが、ゴジラは核実験で生まれた怪獣だとか、とにかく打たれ強いとか、最小限の文脈を引き連れて、他の映画に登場するようになる。怪獣スターの誕生である。他方、例えば『ガメラ2』のレギオンは相当に魅力的な造形だが、その生態が克明に描かれるため、他の作品に登場させても、その文脈に引きずられて同じような話にならざるを得ない。もちろん、多少の文脈性はその怪獣の個性と魅力を引き立てるのだが、あまり文脈性が強いとスター化できない。ゴジラも連作が続けられるにつれ、水爆怪獣という規定がストーリー展開の重荷になっていたことは否めないだろう。 総じて、ゴジラ・シリーズ初期の怪獣や『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の怪獣たちがスター化しているが、新しい作品の怪獣たちはなかなかスターになれないでいる。それは成田亨などによる造形が素晴らしかったというだけのことではなくて、怪獣たちがどれだけ物語の文脈から独立しえたかによるのではないだろうか。平成ゴジラ・シリーズでは新作怪獣も登場するが、観客の動員を考えると、結局、モスラやキングギドラなどのスター怪獣を対戦相手として引っ張り出すしかなかった。 そこで、ようやくモスラである。モスラの特異性はこの文脈を付随する度合いの高さにもかかわらずスター化したことである。その文脈性をたぐり寄せたのが本書『モスラの精神史』ということになる。だからこれは隆盛を極める「サブカル研究書」とは一線を画し、ついには1960年代の精神史の一断面を現出させるところにまで至るのである。もっとも、著者の目論むところがはじめからそうだったのか、それとも「サブカル研究書」として書き始めたのかはよくわからない。終章では「モスラ的なるもの」を宮崎駿に求めるし、エピローグでは同時期の「上を向いて歩こう」の流行に言及するというように、論は通時的にも共時的にも展開される。そもそも映画というものが集団による創作なので、関わった人たちの背景を追っていくと、話はずいぶんと広がっていく。 それがこの本の面白いところでもあり、散漫に感じられるところでもあるだろう。 私の手にしたのは第2刷。年号の誤記などは訂正済み。 怪獣談義が読みたい方は、この怪獣スター・システム論を読んでお帰り召されよ。
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「モスラ」について、その原作小説や時代背景などを手掛かりに、時代とモスラ映画関係者の意識や作品に込められた寓意を探ろうとする本です。そういう意図で書かれた本である以上、どうしても著者の思い入れに引きずられる解釈となります。その解釈に共感・賛同するか否かは、読者一人一人の感性と社会...
「モスラ」について、その原作小説や時代背景などを手掛かりに、時代とモスラ映画関係者の意識や作品に込められた寓意を探ろうとする本です。そういう意図で書かれた本である以上、どうしても著者の思い入れに引きずられる解釈となります。その解釈に共感・賛同するか否かは、読者一人一人の感性と社会に対する見方によりますので、後は自分で考えて下さい、という結論です。でも、私にとってはそこそこ面白かった本です。
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【読書その100】図書館で思わず手に取った、モスラの精神史。ゴジラは聞いたことがあったが、モスラもあるとは。モスラを通じて、当時の社会情勢を切るという面白い視点。
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購入したままはふつてゐた本書。そのうち読まうとして何と6年も経つてしまひました。もつとも我が家には、新刊で購入しながら30年以上未読の本がごろごろしてゐますが…… 1961年の東宝映画「モスラ」(本多猪四郎監督)と、その原作たる『発光妖精とモスラ』(以前「源氏川苦心の日々充実」...
購入したままはふつてゐた本書。そのうち読まうとして何と6年も経つてしまひました。もつとも我が家には、新刊で購入しながら30年以上未読の本がごろごろしてゐますが…… 1961年の東宝映画「モスラ」(本多猪四郎監督)と、その原作たる『発光妖精とモスラ』(以前「源氏川苦心の日々充実」にて取り上げてゐます)を俎上に載せて、縦横に論じてゐます。 三人の純文学者(中村真一郎・福永武彦・堀田善衛)が原作を手がけたのはなぜか? なぜモスラは「蛾」でなくてはならなかつたのか? 原作と映画版では主人公が入れ替つてゐるのはなぜか? インファント島とは何処にあるのか? モスラと日米安保の関係は何か? なぜ東京タワーに繭を作つたのか?(原作では国会議事堂だつた) モスラが襲うニューカークシティのセットが「おもちや」みたいに貧弱なのはなぜか? モスラのモティーフを引き継いだのは、後発の怪獣映画ではなく、あのアニメ作品だつた? 様様な角度から、これらの疑問を解くのであります。同時代の背景を抜きにして語れぬことが解ります。それにしても花村ミチ=樺美智子説はアッと驚く指摘であると申せませう。 若干牽強付会気味なところもあるけれど、ユニイクな視点から、新たな「モスラ」の魅力を提示してくれる一冊でございます。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-117.html
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モスラに原作があったのか、という程度の認識なんですが(汗、モスラって1960年代初頭の日本という環境で映画というフォーマットでこそ作られるべき作品だったことがわかりました。
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久しぶりに新書を読みました。ザ・ピーナッツが懐かしい怪獣映画『モスラ』です! この本はただの怪獣映画の本ではありません。1961年公開の映画『モスラ』を題材に、モスラ的主題が太平洋戦争以降の精神状況にどのように位置づけられ、どのように平成に継承されたのかを解き明かすという壮大なテ...
久しぶりに新書を読みました。ザ・ピーナッツが懐かしい怪獣映画『モスラ』です! この本はただの怪獣映画の本ではありません。1961年公開の映画『モスラ』を題材に、モスラ的主題が太平洋戦争以降の精神状況にどのように位置づけられ、どのように平成に継承されたのかを解き明かすという壮大なテーマの評論です。 中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という純文学作者による原作との対比から始まり、養蚕との関係からモスラがなぜ蛾なのか、戦前から連なる南方への思い、安保条約やアメリカとの関係、小美人の意義や当時のショービジネスとの関連、インドネシアとの意外な関係、小河内ダムや東京タワーの意義等がスリリングに展開されていきます。 そして、そのモスラ的主題が受け継がれる先としての大阪万博。そして平成になってその主題は「風の谷のナウシカ」の王蟲に引き継がれるとします。 議論の幅が極めて広く、やや散漫な感もありますが、モスラを日本の思想史や映画史・芸能史等の中で多角的に取り組んだ意欲作です。 モスラの飛んだ日 三人の原作者たち モスラはなぜ蛾なのか 主人公はいったい誰か インファント島と南方幻想 モスラ神話と安保条約 見世物にされた小美人と悪徳興行師 『モスラ』とインドネシア 小河内ダムから出現したわけ 国会議事堂か、東京タワーか 同盟国を襲うモスラ 平和主義と大阪万博 後継者としての王蟲 「もうひとつの主題歌」 著者:小野俊太郎(1959-、札幌市、文芸評論家)
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「モスラ」のメッセージ性を、当時の社会情勢と比較して詳しく推察した本。モスラを漠然としか知らなくても読める。
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