文化人類学入門 増補改訂版 の商品レビュー
ほかの人のコメントに同じく、思っていた内容と違っていた。完全に文化人類学という学問の説明。柳田國男的なのを期待して読むとガッカリする。 ---------- p.35 ……この実験において、チンパンジーのかわりに……二人の人間であればどう……だろう?人間……には……言語がある...
ほかの人のコメントに同じく、思っていた内容と違っていた。完全に文化人類学という学問の説明。柳田國男的なのを期待して読むとガッカリする。 ---------- p.35 ……この実験において、チンパンジーのかわりに……二人の人間であればどう……だろう?人間……には……言語がある。そのため前からいる者は新入りに事情を口で説明することができるので、二人はただちに協力してロープをひくことができる。 【疑問】どうして同一言語を操る人間同士という前提なのか。外国人同士とまではいわなくても、沖縄から出たことのない年寄りと青森からでたことのない年寄りで会話が成り立つとは思えない。設定が少し雑すぎる。 p.41 ……日本語で「文化」というと、「教養」や「知性」の意味にとられやすい……ので、今西錦司氏などは、文化人類学的な意味での文化を「カルチュア」と片カナであらわすことを提案しているが、たしかによい方法と思われる。 【疑問】ただの逃げでは……。 p.207 ……固有の宗教の存在していたところへ他の宗教が接触し、両者が融合されたという例は、他の民族のあいだではあまりないといってよいだろう。たとえばイスラム教の存在しているところへキリスト教が入ろうとすれば、両者のあいだには烈しい憎しみと闘争がおこり、……力の強い方が残って他は駆逐されてしまう。二つの宗教が仲よく妥協しあい混合融合しあうなどということは、あまり例のない日本の特殊だとみてよい……。 【疑問】イスラムもキリストも一神教で且つ出所は同じ。それに対して神道は宗教と呼べるかさえもあやふやで、仏教はさらに中国、朝鮮を経由する間に元の教義さえも可也変質して、ほとんど儒教化してしまっている。両者を同じ舞台にあげて論ずることにそもそも無理があるのでは。 p.220 ……10世紀になると、弟はこのオトを二つつづけて「オト・オト」とよんで、「弟」としての名称が生まれた。他方……「イモ」をくっつけて、「イモ・オト」から、結局今日の「妹」という名称が生まれた……。 【疑問】オトヒトとイモヒトの転訛がそれぞれオトウト、イモウトであり、オトが二つとかイモにオトがついたとかいうのは誤り。どこからこんな変な説を引いてきたのか甚だ謎。
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説明がとても下手。 話があちこち飛んで、言いたいことがまとまっていないので要点が掴みにくい。 だから編集で小見出しをつけているのだと思うがそれにしても。。。 現在では否定されてる説を冒頭で断りなく説明してくるのがとにかく嫌。
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兼ねてから文化人類学について興味があり、入門書として読了。グローバル化などによる影響から、社会の変革のスピードは大規模かつ急速に進んでいる。そのような現代において、文化・民族・伝統がいかにして適応していくかを考えさせられた。 また、最後に付属的に書かれている「学問・研究の意義」にも共感させられた。どんな行動であれ、伝統的な文化に接することは、我々の所作や言葉によってそれを破壊してしまうという可能性も内包している。
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授業の参考書籍 手始めに読んでみた。この学問がどんな学問でどんなことを対象にしているのか、書かれていた。
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無文字文化を理解するために、 フィールドワーク(観察と面接)を行い、 他との比較により差を見つけだす学問。 そのため、 観察者の主眼がはいってしまうこと 観察、面接以外の武器がないこと などが問題になる。 このあたりは、気をつけたい。 とくに前半が面白く、 言語が人と...
無文字文化を理解するために、 フィールドワーク(観察と面接)を行い、 他との比較により差を見つけだす学問。 そのため、 観察者の主眼がはいってしまうこと 観察、面接以外の武器がないこと などが問題になる。 このあたりは、気をつけたい。 とくに前半が面白く、 言語が人と動物をわけ、 他社とのコミュニケーションができ、かつ、 記憶と思考を助ける。 このため、文化ができていく。 という、サピエンス全史の理解も深まった。
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教科書的ではない入門書をと書き出しながらも教科書的。ただ、入門書として分かりやすく、自分自身が何に関心があるのか見つけることができる。
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やっと読めた。文化人類学で調査する側は話を聞いて伝えてそれだけで問題を解決してくれるわけではないということはドキュメンタリー製作においても同じであり、調査される側の思い、視点を持っていなくてはいけないわけで。学問に何ができ、なぜ必要なのかということは問われ続けるだろうな。 そして...
やっと読めた。文化人類学で調査する側は話を聞いて伝えてそれだけで問題を解決してくれるわけではないということはドキュメンタリー製作においても同じであり、調査される側の思い、視点を持っていなくてはいけないわけで。学問に何ができ、なぜ必要なのかということは問われ続けるだろうな。 そして今いろんな文化がぶつかり合っているなかで文化人類学が何をできるのか、より考える必要があるのではないか、と思うのですが。
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人間という種に特異な事項が叙述対象の場合は、面白い指摘も多い。特に、宗教や文化面。 しかし、無文字文化の変遷を、合理的証拠・根拠で解明することの困難さからだろうが、余りに推測範囲が広すぎ、どうにも首を捻ってしまう箇所が見受けられる。また、文化面とは異質な領域、つまり①石器・火の使用・狩猟採集経済といったホモ・サピエンス特有と言い難い領域、②進化過程から見て、類人猿や古人類(特にホモ・ハビリスなど)との連続性を考慮せざるを得ない領域、例えば、家族関係、子育て、性交渉(男女関係)では正直、疑問符しかつかなかった。 現在、あるいは調査記録が残存しているところにおいて、各地域の比較分析は可能と感じるが、その淵源や変遷を証拠立てつつ検討するのは、かなり困難のように感じる。 また、例外が多すぎて(特に婚姻や家族制度)、むしろ、経済や生計確保の方法論の比較、定住性の異同、他地域との交流頻度など、分析対象の本質に迫っていないもどかしさを感じた。 実地調査で判明しうるのは、精々200年くらいじゃないのかなぁ。まぁ考古学的知見で埋め合わせするのだろうが…。 著者は国立民族学博物館教授。1979年刊行。
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約30年前の本だが、文化人類学の概観をテーマごとに知ることができる。文化人類学は、(語弊があるかもしれないが)そこから人間の普遍的な有様を描写することができるなと感じた。
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人間ってほんと面白いよね。この本を読んで、あらためて実感しました。 「裸体に対する羞恥心は決して衣服の発生原因ではなく、むしろ衣服の存在によって生み出されたものである」とか、シビれます。 白川郷の合掌造りがなぜあんなに大きかったのかとか、盆踊りはなんのためにあったのかとか、日本人...
人間ってほんと面白いよね。この本を読んで、あらためて実感しました。 「裸体に対する羞恥心は決して衣服の発生原因ではなく、むしろ衣服の存在によって生み出されたものである」とか、シビれます。 白川郷の合掌造りがなぜあんなに大きかったのかとか、盆踊りはなんのためにあったのかとか、日本人でもあまり知らない「文化」が盛りだくさん。多妻制やシャーマンの話題も感心。今後もっと掘り下げたい分野であるし、自分がいまテキトーに生きている今も立派な「文化」なので当事者として楽しんでいこう、とも思わせてくれる良書。
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