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天皇制の文化人類学 の商品レビュー

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4件のお客様レビュー

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2024/11/10

大塚信一さんの「山口昌男の手紙」に、《山口氏の「日本史→文化人類学へ」というキャリアが産んだ最良の果実である》とある本。 ペラペラめくった。天皇制が続く動議が読めると思ったが、そうでもないので積読。

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2022/12/31

著者の王権論にかんする論文と、そうした観点から著者が日本における天皇および皇室のありかたについての考えなどが語られている論考などがまとめられた本です。なお『山口昌男著作集』全5巻(筑摩書房)に収録されている論文も、一部含まれています。 著者は、天皇制についての考察を展開するにあ...

著者の王権論にかんする論文と、そうした観点から著者が日本における天皇および皇室のありかたについての考えなどが語られている論考などがまとめられた本です。なお『山口昌男著作集』全5巻(筑摩書房)に収録されている論文も、一部含まれています。 著者は、天皇制についての考察を展開するにあたって、謡曲『蝉丸』や『源氏物語』、日本の古典文学などを参照しています。たとえば、「短歌はむしろ抒情の深層構造の表出の媒体であり、より周縁的な感性の拠り所であった」という見かたを提出したうえで、「この視点は、われわれが焦点をあててきた、王権と皇子の対立によって歴史=神話的表出の形態を得た天皇制の深層構造と対応する」と論じています。そして、悲運の皇子の運命をえがく『蝉丸』や『源氏物語』のなかに、中心としての王へ向かう権力の集権的な動きと、それとは反対に周縁へ向かう皇子の悲劇的運命が結びついていることについての考察が展開されています。 著者の王権論の応用問題として、天皇制にかんする考察がなされているのかと思ったのですが、本書に収録されている著者へのインタヴューによると、著者が日本史を専攻する大学院生のころから、天皇制についての現実的な関心にみちびかれて王権論というテーマに進んでいったことが語られており、すこし意外にも感じました。

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2019/01/25

「天皇自体が一つの性的なポテンシャリティの表現であるという面を含むということは、反規範的、逸脱的な面を含む」という見解は文化人類学ならではなのか?ただし、万世一系・男子のみという制約が近代的価値観(一夫一妻制)によって継続が危ぶまれているわけで・・・。 本書は世界の王権制の中に天...

「天皇自体が一つの性的なポテンシャリティの表現であるという面を含むということは、反規範的、逸脱的な面を含む」という見解は文化人類学ならではなのか?ただし、万世一系・男子のみという制約が近代的価値観(一夫一妻制)によって継続が危ぶまれているわけで・・・。 本書は世界の王権制の中に天皇制を位置づけて論じており、王権制の普遍性を抽出する事により天皇制の独自性を消滅させるような論調なので、所謂「日本(人)とはなにか?」を探求したい人には不向きなのかもしれない。逆に言えば、天皇制反対論者に対しては、世界で実施されている王権制のひとつですよという反論にもなるわけだが。 「天皇制は単に政治・経済の次元だけで機能している制度ではない。それは権力として外在するばかりではなく、われわれの精神の内側に根を持っている」という提言に関しては、留意しておきたい。

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2016/04/10

中学生の頃に細野晴臣を介して知った中沢新一を、予備校時代に代ゼミ現国講師の菅野朋哉先生を介して読み知ることとなり、いつしか文化人類学や民俗学の方向に舵取りしてしまっていた矢先に、文化人類学の学術的なテキストとして手にしたのが山口昌男の「文化人類学の招待」だった。この本を読んでおい...

中学生の頃に細野晴臣を介して知った中沢新一を、予備校時代に代ゼミ現国講師の菅野朋哉先生を介して読み知ることとなり、いつしか文化人類学や民俗学の方向に舵取りしてしまっていた矢先に、文化人類学の学術的なテキストとして手にしたのが山口昌男の「文化人類学の招待」だった。この本を読んでおいたおかげで大学時代の講義に少なからずの糧となったと思う。中沢新一の漠然とした論説ではなく学問としての体系的な論考は文化人類学という学問を初めて触れる初心者にはうってつけの入門書であった。 そんな山口昌男が中沢新一も当時所属していた東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の所長であったという話はすこし後で知ることになるのだが、ぼくの中では吉本隆明や河合隼雄などと並ぶ権威者である。 そんな山口昌男の「天皇制の文化人類学」もまた中沢新一などのテキストの中の引用で知ったのかもしれないが、この刺激的なタイトルに個人的に呼応しないはずはない。この本で山口昌男はタイトルどおり文化人類学的に天皇制を紐解いていくのだが、例えば謡曲「蝉丸」を題材に能や歌舞伎などの芸能を通して天皇制の深層に迫ったり、「源氏物語」を題材に天皇制の神話性に踏み込んでいったりとダイナミックな論考が目白押しである。 後半は権力や政治の問題を人類学的に考察しているが、おもしろいのは天皇制や王権の演劇的な側面を人類学的に考察しているところだ。その中から、「野兎」や「ミクロコスモス」など中沢新一で見知ったセンテンスが出てきてワクワクする。まあ同じ分野の論考なので当たり前だが山口昌男はそこを学術的に潔くさらには勇ましく纏め上げているのに好感が持てるのだ。 ここからは蛇足でしかないが、この本の中で個人的に印象的だったのは、第二部のIV項「天皇制の象徴的空間」の4項「天皇制と歌舞伎」の章において、山口昌男が引用した渡辺保の「女形の運命」からの以下の文章だ。 『私にとって天皇は一つの危険な罠のようにみえる。現実の市民生活の中で多少とも戦前の怖ろしい記憶をもつ人間にとっては、天皇が今日存在すること自体がたえられぬ痛みである。』 ここでは天皇制に宿る闇を歌舞伎の演劇との関係で引用しているが、先の戦争における天皇の存在が道化(スケープゴート)的な空間であるなら、その受け皿におさまろうとしたのは日本人の闇であったと想像できる。そしてその仕組みが日本における天皇制の歴史的事実であるのなら、昭和天皇はその超越的な最終形態にまで達したのではないかとも思えるのである。そういう意味ではあの70数年前の歴史的事実は日本人にとっての必然的な不幸でしかなかったのかもしれない。

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