愛の断想・日々の断想 の商品レビュー
一般に青年の主張することは正しくない。しかし、それを彼らが主張すること自体は正しい。▼至上の処世術とは妥協することなく、適応することである。ジンメル『愛の断層・日々の断想』
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141.失ったら困ったことになるもの、其れを如何に多く平気で失っているか、を考えたとき誰でも驚くに違いない。しかし、失ったら本当に大変な取り返しのつかぬ、文字通り困ったことになるもの、其れをいかに少ししか持っていないか、と考えたときさらに驚くに違いない。 目的が、意味が、意義が...
141.失ったら困ったことになるもの、其れを如何に多く平気で失っているか、を考えたとき誰でも驚くに違いない。しかし、失ったら本当に大変な取り返しのつかぬ、文字通り困ったことになるもの、其れをいかに少ししか持っていないか、と考えたときさらに驚くに違いない。 目的が、意味が、意義が、充実が、 本当の何かではないにしろ、 見失いやすい人の生
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まさに断想。 哲学者には三つの種類がある。第一の哲学者は,物の心臓の鼓動を聴き,第二の哲学者は,人間の心臓の鼓動だけを聴き,第三の哲学者は,概念の心臓の鼓動だけを聴く。そして,第四の哲学者(哲学の教授諸君)は,文献の心臓の鼓動しか聴かない人たちである。 自然科学が暗い事実を明るい事実に還元しようとするのに反して,形而上学は明るい事実を暗い事実に還元しよう。 人間を理念まで引き上げることは出来る。しかし,理念を人間まで引き下げることは出来ない。 個性は,その最高の段階に到達することによって(謂わば弁証法的に)個性としては解体する。なぜなら,最高段階に達するのは,個性が全体性の映像になり,自己を拡大して全体性になることによって行われるのであるから。 幾つかの偉大な思想だけは本当に自分のものにしておかなければいけない。明るくなるなどとは思いも及ばなかった遠いところまで,それが光を投げかけてくれるから。 教育というのは,不完全なのが普通である。その一歩一歩が,解放と束縛という二つの対立する傾向に仕えねばならないから。
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哲学者・社会学者ジンメル(1858-1918)のアフォリズム集。 「愛の断想」 愛とは生殖という外的な目的から解放されたそれ自体を目的とするものであると説く(1,5)。愛を知る人にとっては、他者との関係という自己を超越した事態が自己に内在する(10)、という指摘は興味深い。...
哲学者・社会学者ジンメル(1858-1918)のアフォリズム集。 「愛の断想」 愛とは生殖という外的な目的から解放されたそれ自体を目的とするものであると説く(1,5)。愛を知る人にとっては、他者との関係という自己を超越した事態が自己に内在する(10)、という指摘は興味深い。愛の本質的不可能性について(34)も、共感できる。シニシストは自己の優越性を仮構せんとして相手に対して超越的な高さを保って対象化するという機制でしか他者と接することができず i.e. 自己の超越的な優越性が失われるのを恐れるあまり対象をそれそのものとして真に受容することができず、ただ愛を知る者のみが対象を対象に即してその全体性を感得できるのだ(43)、という点は僕が考えてきたこととそのまま一致する。 「日々の断想」 合理主義・実証主義・要素還元主義に対する批判・ペシミズム(13,122,153)、芸術を批評するシニシストに対する批判(106)、主観と客観との関係に見出される「超越の内在化」という機制についての考察(14,17,18,20)、悲劇に底流する矛盾ついての考察(147)などが興味深かった。更に、真に精神の高みに立つ人間は理想の実現可能性がなくとも理想への信頼を捨てずにいるとする(49)、人生の下らなさを超越するにはそれを認識しそれに絶望するしかないと説く(58)、最高の処世術は妥協することなく適応することと説く(72)、教育という営みに自律の強制という矛盾を見る(109)なども印象的。 このように興味を惹く警句も多々散見されるが、全体としては、実存の深さにまで沈潜する者が湛えている生に対する苦さのようなものが余り感じられず、自分自身と彼の言葉との間に距離を覚えた。彼が思索した時代による制約か。ドイツ語による哲学に特有の、過度に抽象的な文言も少々厄介だ。
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事実は断想とは異なる。しかし、事実を現前なる事実として探求するためには断想の力に依存せねばならない。 二人でいる時の方が孤独である。なぜなら,別々であり,「向き合っており」,他人であるから。 二人の孤独
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哲学断想集という、この手合いの中では、個人的に最も敬愛する社会学者・ジンメルの著作。 とりわけ、晩年の「日々の断想」は秀逸。この良さを分かってもらおうと、何人かの友人に本を貸し出したが、皆決まって「128 酔って正気なのは見事だが、正気の人間が酔ったら手がつけられぬ」で大爆笑...
哲学断想集という、この手合いの中では、個人的に最も敬愛する社会学者・ジンメルの著作。 とりわけ、晩年の「日々の断想」は秀逸。この良さを分かってもらおうと、何人かの友人に本を貸し出したが、皆決まって「128 酔って正気なのは見事だが、正気の人間が酔ったら手がつけられぬ」で大爆笑したらしい。どうも、それなりに経験があるようだ(笑)
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この本はジンメルの遺稿を、彼と大変親しかったと言われる女性が整理して本にしたもの。読むと心に染みる言葉の数々は、人間という生き物の大きな可能性とはかなさを感じる。それは同時に、ジンメルが社会学において行った思索の試みを体現しているようだ。 哲学者には三つの種類がある。 「第一...
この本はジンメルの遺稿を、彼と大変親しかったと言われる女性が整理して本にしたもの。読むと心に染みる言葉の数々は、人間という生き物の大きな可能性とはかなさを感じる。それは同時に、ジンメルが社会学において行った思索の試みを体現しているようだ。 哲学者には三つの種類がある。 「第一の哲学者は、物の心臓の鼓動を聴き、第二の哲学者は、人間の心臓の鼓動だけを 聴き、第三の哲学者は、概念の心臓の鼓動だけを聴く。そして、第四の種類(哲学の 教授諸君)は、文献の心臓の鼓動しか聴かない人たちである」。
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