キリスト者の自由・聖書への序言 の商品レビュー
『キリスト者の自由』のみ読んだ。ルターの考えてることがよくわかった、気がする。 ルターの中で重要なのはとにかく「信仰」あるのみ。信仰によりと神と一体となることで、神からは善があたえられ、人間の罪は神に呑み込まれていく。 信仰さえあれば、キリストを倣って行動にあらわれるはずであり...
『キリスト者の自由』のみ読んだ。ルターの考えてることがよくわかった、気がする。 ルターの中で重要なのはとにかく「信仰」あるのみ。信仰によりと神と一体となることで、神からは善があたえられ、人間の罪は神に呑み込まれていく。 信仰さえあれば、キリストを倣って行動にあらわれるはずであり、誤っても信仰無しの善い行いなど考えられない。 人間の罪は神のなによりも強い義によって呑み込まれる、という考えを見て、ルターがいかに日々の抱えきれない不安感をキリストを信じることによって拭い去られたかということが伝わってくる気がした。 深く信頼し身を委ねることによって心の行き場を見つけた安堵感みたいのをかんじる。 ───── ここからは話が逸れる上、私の理解が誤ってる可能性もあるが、ルターがエラスムスの自由意志論に反発した理由もなんとなく分かるような気がした。 エラスムスの言う自由意志論は、神からは義があたえられ、ひとの罪は人に帰せられるべきである、というものと理解している。 エラスムスのこの考えでは、ルターの若い頃につきまとったあの絶え間ない不安感は拭い去れないのではないか。
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見よ、これが愛の本性なのであり、それの真実な場合のそれなのである― キリスト教への親しみが増した一冊だった。 読み終わった後、ルターの命懸けのキリスト世界への情熱と当時の思いを馳せると、なんとも感慨深い。
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たまたま古本屋でタイトルと古書のオーラに惹かれて買ったが、思いがけず歴史的に重要な本だった。この本を境にプロテスタント運動が活発になりカトリックと別れていった(ということで合ってるだろうか?)、そう思うととても感慨深い。 古い本だけに字体は固く読みにくさはもちろんあるが、そもそ...
たまたま古本屋でタイトルと古書のオーラに惹かれて買ったが、思いがけず歴史的に重要な本だった。この本を境にプロテスタント運動が活発になりカトリックと別れていった(ということで合ってるだろうか?)、そう思うととても感慨深い。 古い本だけに字体は固く読みにくさはもちろんあるが、そもそものルターの文章字体はとてもフランクに書かれていて背景を想像しながら読むとかなりスラスラと読むことができた。腐敗していったカトリックに対して、敬虔でまっすぐな想いで形式より中身が大切だと語っている、その立ち向かう姿勢がかっこいい。 「聖書への助言」これはさらに読みやすい。昔の人はクリスチャンであっても教養の問題か、聖書の内容に明るくない人が多かったのだろうか。聖書を殆ど読めていない人へ、何から手をつけたらいいのか丁寧に書いてある。私みたいなキリスト教初心者にも優しい内容だった。特に詩篇が好きだったというルターの熱が、詩篇について書かれている部分から見てとれて和んだ。改めて詩篇を読んでみたくなった。
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「自由」と一言で言っても、仏教的自由とキリスト教的自由とは意味が異なる。 「表現の自由」とか「自由主義経済」とかいう場合は、これは欧米からもたらされた概念なので、もちろんキリスト教的自由をさす。 だから、キリスト教の発想を理解しなければ、ビジネスも政治も世界に取り残されることにな...
「自由」と一言で言っても、仏教的自由とキリスト教的自由とは意味が異なる。 「表現の自由」とか「自由主義経済」とかいう場合は、これは欧米からもたらされた概念なので、もちろんキリスト教的自由をさす。 だから、キリスト教の発想を理解しなければ、ビジネスも政治も世界に取り残されることになる。日本では最近世界に通用するイノベーションが生まれないと言われるけれど、それはここに原因があるのではないかと思う。 クリスマスに読む本としては最適だったと思う。
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人自身による影響以上に、人に影響を与えうるのは、その人自身の思想である。 イエスの生き方以上に、イエスの思想こそにより多くの示唆が含まれいる。
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当時、ルターが宗教改革の時に何を目指したのか何を言いたかったのかが凝縮されていて、前提と提案、その広がりと受容、いろんな意味で興味深く読むことが出来た。ここでいうルターの言っていることは信仰に求められる真髄のようにも思える。何かに向かって誠を尽くそうとする人の姿が垣間見れられた。...
当時、ルターが宗教改革の時に何を目指したのか何を言いたかったのかが凝縮されていて、前提と提案、その広がりと受容、いろんな意味で興味深く読むことが出来た。ここでいうルターの言っていることは信仰に求められる真髄のようにも思える。何かに向かって誠を尽くそうとする人の姿が垣間見れられた。また聖書を読む時にその理解の助けとしたい。
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プロテスタントにとっては基本的なことばかりだが、あらためて読むと自分が少し変えられた気がした。日々の祈りにおいても、目の前の事のみを祈るのではなく、変らぬ十字架の救いに感謝を捧げようと思わされた。とても影響力のある本だと思った。
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宗教改革者ルターの著書を読んだことがなかったので、読んでみました。訳が古くなっているように感じますが、宗教改革に燃えた熱情が伝わってきます。
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ルターはとにかく、人は「律法の行い」によってではなく「信仰」によって義(ただしい)とされ救われるということを、それに関する様々な誤解を具体的なただしながら丁寧に説明していく。そしてまたその説明の中で、当時のカトリック教会がイエスの時代のユダヤ教徒たちと同じ過ちを犯していることを控...
ルターはとにかく、人は「律法の行い」によってではなく「信仰」によって義(ただしい)とされ救われるということを、それに関する様々な誤解を具体的なただしながら丁寧に説明していく。そしてまたその説明の中で、当時のカトリック教会がイエスの時代のユダヤ教徒たちと同じ過ちを犯していることを控えめながら指摘していく。 本書は、宗教改革における歴史的役割を確認するためだけでなく、現代において「ローマの信徒への手紙」をただしく読むための手引きとしても有用であると感じた。
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ルターは『キリスト者の自由』で、次の二つの命題を両立させようとしている。①キリスト者は、すべてのものの上に立つ自由な君主であり、何人にも従属しない。②キリスト者は、すべてのものに奉仕するしもべであり、何人にも従属する。 ルターは、人間が内的・霊的と外的・肉体的性質を具えていると...
ルターは『キリスト者の自由』で、次の二つの命題を両立させようとしている。①キリスト者は、すべてのものの上に立つ自由な君主であり、何人にも従属しない。②キリスト者は、すべてのものに奉仕するしもべであり、何人にも従属する。 ルターは、人間が内的・霊的と外的・肉体的性質を具えていると捉えた上で、この問題を取り組んでいる。ルターの確信によれば、キリスト者を義にするのは、行いではなく、信仰である。キリスト者は、すべての戒めと律法から解放されており、この意味で自由である。また、キリスト者はすべて、キリストとともに王・祭司であり、霊的には、信仰を通して万物の上に立つ。霊的・内面的にはこのように自由である一方、キリスト者は外面的ないし身体的には、いずれの人にも従属し、また、肉体の不従順な意志を制御するために行いが必要となる。
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