入江のほとり 他一篇 の商品レビュー
解説(谷川徹三)より 「『微光』でも『入江のほとり』でも朝川や榮一は飽までわきの人物で、お國も辰男も、それぞれその愚かな、はかない、無駄な夢を追つてゐるのである。勿論お國の夢と辰男の夢とはちがふ。しかし愚かで、はかなく、無駄なことは同じである。--そしてそれが人生である。」 自...
解説(谷川徹三)より 「『微光』でも『入江のほとり』でも朝川や榮一は飽までわきの人物で、お國も辰男も、それぞれその愚かな、はかない、無駄な夢を追つてゐるのである。勿論お國の夢と辰男の夢とはちがふ。しかし愚かで、はかなく、無駄なことは同じである。--そしてそれが人生である。」 自然主義文学らしい文学だと思う。田山花袋の『布団』を自然主義文学の傑作という向きも多いが、個人的にはあんなのは文学でも何でもないと思う。炎上狙いのYouTuberと大差なし。 翫味すれば正宗白鳥の作品こそ考えさせられることが多いと思うが、ただ、地味に映るんだと思う。岩波文庫にとどまらず、ほかの出版社で探しても作品がみつからない。つまり読みたくても読めない。『寂寞』『塵埃』『何処へ』『生ざりしならば』『人それぞれ』などが有名らしいが、どれも遥か昔に出版されて在庫切れ。復刊もなし。(『何処へ』は講談社文芸文庫に『入江のほとり』と抱き合わせであるらしいが、同文庫自体がどこの本屋にでもあるものでない)折角よい作品書いても読まれなければ勿体ない。新鋭作家大事にするのも好いが、絶対的によい作品は末長く復刊、重版すべきだと思う。
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「微光」1910(明治43)年、「入江のほとり」1915(大正4)年の2つが入っている。 正宗白鳥といえば評論の方が今では目立っていて、小説はこんにち入手しにくくなっている。自然主義の文学者だった。 「微光」は読んでいてなかなか良かったのだが、末尾の部分がもの凄く尻切れトンボで...
「微光」1910(明治43)年、「入江のほとり」1915(大正4)年の2つが入っている。 正宗白鳥といえば評論の方が今では目立っていて、小説はこんにち入手しにくくなっている。自然主義の文学者だった。 「微光」は読んでいてなかなか良かったのだが、末尾の部分がもの凄く尻切れトンボで、幾ら何でももうちょっとエスプリを光らせて終わるとか、情趣を残すとか出来なかったものか、と気になった。日本流自然主義文学の立場としては、いや人生とはこういうものだ、なんて言うのかもしれないけれども、小説の体として末尾は重要なはずではなかったか、と思われる。 「入江のほとり」も末尾は今ひとつだが、やはりそこを除けば良い小説。共に人間が生き生きと描かれているので、つまらないような事にこだわって無駄な人生を送る小人物の、けれども凡庸な中にも生きて在ることのぬくもったゆらぎが反映されていて印象的だ。 他の白鳥の小説も読んでみたいけれど古本でないと手に入れづらいようなので、ちょっと逡巡する。
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