多賀城 焼けた瓦の謎 の商品レビュー
蝦夷、まつろわぬ民と言われるが、実際は鎌倉期のアイヌとは異なり、結構辺境に住むだけの人もいたと思う 飛鳥時代から奈良時代にかけて、国衙=柵や城の分布が北上していくのは、中央集権国家の範囲が北上しているからであり、すなわち「朝廷が治める範囲」が広がった時代だからだ 780年の反乱か...
蝦夷、まつろわぬ民と言われるが、実際は鎌倉期のアイヌとは異なり、結構辺境に住むだけの人もいたと思う 飛鳥時代から奈良時代にかけて、国衙=柵や城の分布が北上していくのは、中央集権国家の範囲が北上しているからであり、すなわち「朝廷が治める範囲」が広がった時代だからだ 780年の反乱から811年迄の不安定な原因は、国政が天皇・皇族の争いで乱れていたからかな?
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★今は何もない丘に、かつて立派な城があり、人々の戦いがあった。子供でも読みやすい平易な文章で歴史のロマンを感じさせてくれる。挿絵も素晴しい。
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今年のGWに仙台の友人に会いに行ったときに 立ち寄った多賀城の跡地が気になっていました。 先週会社のビルにある本屋さんでふとこの本を見かけ手に取り読んでみました。1400~1200年前の日本、陸奥の姿が鮮やかに描かれていました。 美しい挿絵と平易にかかれた文章がすばらしい。 ...
今年のGWに仙台の友人に会いに行ったときに 立ち寄った多賀城の跡地が気になっていました。 先週会社のビルにある本屋さんでふとこの本を見かけ手に取り読んでみました。1400~1200年前の日本、陸奥の姿が鮮やかに描かれていました。 美しい挿絵と平易にかかれた文章がすばらしい。 2007年10月14日
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