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権威と権力 の商品レビュー

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2024/06/02

権威には自発的に従うニュアンスがあるが、権力は相手を無理に従わせる。権威は人を従わせるのに規則・法を必要としないが、権力は規則・法を必要とする。権力を行使するために、権威が利用される。▼権威のある人間は安心感を与える(※フロムの議論)。内なる不安は権威を求める。一方、権力は外から...

権威には自発的に従うニュアンスがあるが、権力は相手を無理に従わせる。権威は人を従わせるのに規則・法を必要としないが、権力は規則・法を必要とする。権力を行使するために、権威が利用される。▼権威のある人間は安心感を与える(※フロムの議論)。内なる不安は権威を求める。一方、権力は外からの具体的な恐怖を必要とする。▼お前は何もわかっていない、何も知らない、と言われたとき、自分の無知は受け入れるにしても、相手の正しさを受け入れる必要はない。p.141 ▼社会主義者に蔓延る権威主義。「マルクスはこう言っている」「マルクスの言ったことだから間違いない」「スターリンは悪者だが、マルクスやレーニンは正しかった」。「自分たちの方がマルクスやレーニンにより忠実だ。自分たちこそ正統である」。社会主義を科学としてではなく、権威として押し付ける。左翼権威主義者たちによる茶番。p.203-『権威と権力』 民俗は現実、民族はフィクション。日本国民は現実、日本民族はフィクション。p.139『民族という名の宗教』

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2022/12/18

高校生と著者との対談という形式で、人の集団を動かすものがどのように作られ強化されるかを暴いた内容。古い本だが十分現代に通用する内容と思う。権威の背後にあるのは自分が知らない・分からないことに対する不安であって、権威を感じる対象・感じる主体の間に挟まった存在が行使するのが権力という...

高校生と著者との対談という形式で、人の集団を動かすものがどのように作られ強化されるかを暴いた内容。古い本だが十分現代に通用する内容と思う。権威の背後にあるのは自分が知らない・分からないことに対する不安であって、権威を感じる対象・感じる主体の間に挟まった存在が行使するのが権力という見方は興味深い。調和を目指すというのが著者の主張ではあるが、現実にはまとまりを欠いた世界はアナーキーなものにならざるを得ないようにも思ってしまう。

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2022/06/23

最近身の回りで、何らかの権威の存在を感じることが多かったために読んだ。著者と高校生A君の対話という形式で、身近な話題から、権威・権力・説得などについて議論が繰り広げられていく。難解な言葉を使わずして、ここまで思考を刺激する文章が書けるものなのだな、と感嘆した。 つまるところ権威...

最近身の回りで、何らかの権威の存在を感じることが多かったために読んだ。著者と高校生A君の対話という形式で、身近な話題から、権威・権力・説得などについて議論が繰り広げられていく。難解な言葉を使わずして、ここまで思考を刺激する文章が書けるものなのだな、と感嘆した。 つまるところ権威というのは人々に「いうことをきかせる」力であって、権力というのは、それでもいうことをきいてくれない場合に、何らかの制度的な措置で無理やりいうことをきかせる力であるという。 また、権威というのは、権威を有するとされる側が特別何かを持っているというよりは、いうことをきかせられる側が抱いてる不安に立脚していることが多く、自分たちが判断するのをあきらめて、誰かに判断を委ねると、権威が入ってくる隙が生まれるという指摘はその通りだと感じる。 また、本文ではそう明示されていないが、最近の社会(この本は1974年に出版されている)では目に見える危険は少なくなったけれども「ひそむ危険」が大きくなっており、これが一層、権威主義を加速させているのでは、ということが述べられている。これはまさしく、(公害問題等が発生した直後という時代背景から考えても)いわゆる「リスク社会」を意味しているように思われた。 そもそも、絶対的な判断を求めてしまうからこそ権威主義的になってしまって、わからないことに対してのある程度の諦めの気持ちを持っておくことが大事だというのは本当に納得できる。 「まとまりのある社会」ではなく、みんなが好き勝手やっているけれどある程度「調和がとれる社会」が理想だとしつつ、その理想は必ずしも実現すると考えないで、永遠の彼方にあり、我々の進路を教える導きの星である、としている。ここが個人的には一番感動した部分で、嘘偽りを言っているでもなく、それでいて冷ややかさも感じない、ちょうどいい温度の優しさを感じる。

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2019/10/21

先生とA君の対話を通して、現在自分が感じている社会への不安が頭の中を駆け巡った。 国会の意義、新しい民主主義の形…。どうすれば子どもたちに出来る限り良い形でバトンを繋いでいけるのか。しがない主婦だけれど、子どもらの未来を考えずにはいられない。 自分にできることは投票。学び続ける...

先生とA君の対話を通して、現在自分が感じている社会への不安が頭の中を駆け巡った。 国会の意義、新しい民主主義の形…。どうすれば子どもたちに出来る限り良い形でバトンを繋いでいけるのか。しがない主婦だけれど、子どもらの未来を考えずにはいられない。 自分にできることは投票。学び続けること。その学びに子どもを巻き込み語り合い、子どもと共に問題意識を持ち続けること。そして身の回りの人たちとの関係や環境を大切にし、動くこと。技を磨き、自分の経済基盤を整えること。そしてその技をもって手を、足を動かし、社会に貢献すること。 この本の結論は、「権威と権力のもとに成るまとまりではなく、個々人が自由に振舞いながら、自然に秩序がたもたれる世界=ユートピアを目指そうと。それはつまり調和がとれた世界だと。しかしその世界はきっと現実にはやって来ない。だがそれはみちびきの星であり、どんな場合でも目を離してはならない方向を教える星だ、と。見つめるべきものであって、たどりつくべきものでない。」というものだった。 先生は最後にマルクスと共に専制政府と独占資本の支配に抵抗して戦ったある社会主義者が、マルクスにあてて書いた手紙を引用した。《われわれを、新しい宗教の教祖にしてはならない。その宗教が、論理の宗教、理性の宗教であるにしても》彼はマルクスと共に戦うと同時に自分たちが内部に持っている危険を意識していた。そして、将来のスターリニズムの危険も予期していたと。権威と権力ぬきの社会を夢みた彼やその周りの者な空想家と仲間から批判され、押しつぶされたそうだ。先生は、「彼らの現実の不成功は、ぼくたちを絶望させない。いや、むしろ人間の尊厳を感じさせ、ぼくたちに希望を与えるんじゃないかね」と、A君に説いた。 p8〜10で、高校生のA君が、英雄としてあげた人物の1人に毛沢東を挙げていたのに驚く。1974年発行の本書。文革は1966〜1976年、終結宣言は1977年。なるほど。「私」ではなく「A君」の発言なのだけれど。 p221で先生が発した「人間は、はたして、ばらばらのまま、生きられないものなんだろうか」という一言は、最近自分も考えることがあるテーマだったので、文字になっているのを見てハッとした。この本が発行されたのは1974年3月。45年前。先生の言う調和のとれた世界はやはり理想で、でも、現在とこれから発達していくテクノロジーを元に、小さいまとまりからでも何とか形にできないか。そんなことを考えた。時折読み返したい本。2019/10/8火

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2019/06/19

やはり古い文体、話し言葉なせいかより難しく感じられてしまうのだけど、内容は頭を使うし面白いです 思考するための本という気がした 権威権力の話に限らず、物事を読み解いていくことの訓練になるかも かなり読み応えがあるので、結構骨が折れる

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2019/04/29

ソ連崩壊前に社会主義的な視点から書かれた本なのに、今でも説得力を失わない古典。繰り返し読み返したくなる。 革命を永遠に繰り返さないためには非権力主義か反権力主義でならなければならない、との著者の主張が、現実にある貧困や差別の救済に繋がらない点に物足りなさを感じるが、野党集結で権...

ソ連崩壊前に社会主義的な視点から書かれた本なのに、今でも説得力を失わない古典。繰り返し読み返したくなる。 革命を永遠に繰り返さないためには非権力主義か反権力主義でならなければならない、との著者の主張が、現実にある貧困や差別の救済に繋がらない点に物足りなさを感じるが、野党集結で権力を志向するだけでは問題が解決しないこともよく理解できた。

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2018/10/28

【由来】 ・ 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・ 【目次】

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2017/10/05

リーダーシップにもつながるし、政治権力ともつながる話。 集団生活をおくる上で避けて通れない問題に真正面から取り組んで、かなり本質的で明確な指標を示している。 権威は他人が喜んで従う力、権力は他人を無理やり従わせる力。 当初は権威と権力が結びつくことが多いが、権威が失墜したときに...

リーダーシップにもつながるし、政治権力ともつながる話。 集団生活をおくる上で避けて通れない問題に真正面から取り組んで、かなり本質的で明確な指標を示している。 権威は他人が喜んで従う力、権力は他人を無理やり従わせる力。 当初は権威と権力が結びつくことが多いが、権威が失墜したときには人は自ら進んでは従わなくなって、権力の強制力のみが残る。両者は初めは渾然一体となっている。 札幌農学校のクラーク博士は、「紳士タレ」の一言で規則はいらないとしていたが、彼がいなくなった後、農学校は規則を作らざるを得なかった。 逆に、自分がいなくなっても困らないように、と簡単に変えられない「しくみ」を作る人もいるが、権威のない権力構造に従わざるをえない後輩には、重荷でしかないかもしれない。 親の権威、学校の権威、会社の外部に対する権威、内部の権威、政府の権威、いずれもそれに従う者の意識によって、喜んで従う権威にも、いやいや従う権力にもなりうる。権威は人格に結びついたものから発生し易いが、例えば大学教授らしくない人が多くなれば、大学教授全体の権威も失墜する。まさに、ブランディングと同じだ。権威を失った地位のみに基づく権力は慣習的な圧力として存在する場合もあれば、法的拘束力を伴っている場合もある。 権威は自然発生的で個人の人格と深く結びついており、組織の外部にも影響を及ぼすが、権力は一定のまとまりを持った組織の内部にのみ影響する。 一方、いうことを聞く側の心理を考えると、権威に対して従う心理とは依存心であり、これは親に依存して成長する子供を経験するすべての人が持っている心情である。→この解釈が秀逸だ。 この関係は、その延長線上に親子関係に類似した様々な関係を持ち、究極的には神と人間との関係で現れる。この依存心を形成するのが、不安や恐怖であるという。 子供も自覚を持つようになれば、無条件の従順から脱皮して反抗するようになる。そうなると、親の地位に基づいた権力を振るわざるをえない。 不安→内部の安心(権威)・恐怖→外部からの罰(権力)という関係。 権威(ブランディング)は世の中を簡略にわかりやすくしている。ノーベル賞や芥川賞にはじまり、学歴、一流企業(大企業)の信用などは、その代表例だ。 一方、それを利用する者も後を絶たない。有名人を利用したコマーシャルはまさに人格に伴う権威を利用しているものだし、昔よくあった、外国(アメリカ)ではこうですよ、他社はこうしています、という説得方法も、権威を利用している。 権威・権力による働きかけは、説得もあれば、権力による命令、罰や報酬をチラつかせる脅迫もある。また、最も怖いのは「暗示」で、コマーシャルを繰り返し見せられるような手法が、ナチスでは政治的に利用されたこともある。 いずれにしても、行き過ぎた依存心は権威に付け入るスキを与えるし、依存心の強い人は、不安が強くなると英雄を待望することになる。 筆者は、社会主義の立場から、いろいろ問題提起をしたかったようだが、世の中が「まとまりを持ちたい」、「・・・らしくさせたい」という傾向が強くなってきたら、権力主義的にならざるをえないという指摘は的を得ているし、今まさに世界的にそんな空気が流れていると思った。

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2017/02/14

「権威と権力」とは古くて新しいテーマであり、1974年初版ながら、今だに版を重ねている良書。精神科医と高校生の対話を通じて、権威とは何か、権力とは何かについて少しづつ明らかにしていく。本書では、権力は無理やり他人を動かすのに対して、権威は他人が自発的に動くのを促すものとしている。...

「権威と権力」とは古くて新しいテーマであり、1974年初版ながら、今だに版を重ねている良書。精神科医と高校生の対話を通じて、権威とは何か、権力とは何かについて少しづつ明らかにしていく。本書では、権力は無理やり他人を動かすのに対して、権威は他人が自発的に動くのを促すものとしている。現代では、一昔前と比べるといろいろな権威が失われており、様々な場面で人々をまとめるのに苦労しているのは周知のとおりである。本書が出版された当時は、マスコミの影響で政治家・役人・大学教授・医師・学校の先生などの権威が失墜したことが指摘されているが、その後インターネットの普及によりその傾向はますます顕著になり、今や大手マスコミ(テレビ局と全国紙)の権威すら無いに等しい。本書では「天皇制と権威」という避けて通れない問題も考察しているものの、社会党や共産党が強かった時代の名残からか、今読むとちょっと古臭い議論にみえる。 本書を読んで、改めて自分の周りを見渡してみると、やっぱり権威のある人はほとんどいない。私の恩師は例外的に(私から見ると)権威と権力を持ち合わせていて、公職を退いた現在も近くにいると権威が感じられる稀有な人である。この恩師の成功を願って、私がみずから率先して太宰府天満宮まで参拝に行ったくらいの権威がある。一方、私が勤めている会社には、役員・管理職・一般社員のどこを見ても、権威者がいないことを痛感させられる。それぞれの職制に与えられた権限(≒権力)により、無理やり動かされている感じが半端ないし、上の権威がゼロだから、上のために率先して何かをする気にまったくならない。こんな組織で出世してもロクなことがないし、せめて自分が平穏無事でいられるように振る舞うしかない。まあ、今時、どこの組織もこんなものだろうけど。本書に出てきた高校生は、まさにこのような状況を嘆いているのだな…。

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2017/01/16

権威主義や権力主義に対する批判としてもっともな指摘をしている。特に、過去のあらゆる革命が、結局のところ権力奪取のための闘争に過ぎず、旧体制と同じ穴のムジナであったという点は納得。揉み消され、潰された少数派の声に こそ傾聴すべきと納得した。 しかし、著者の提唱する「反権威主義的」...

権威主義や権力主義に対する批判としてもっともな指摘をしている。特に、過去のあらゆる革命が、結局のところ権力奪取のための闘争に過ぎず、旧体制と同じ穴のムジナであったという点は納得。揉み消され、潰された少数派の声に こそ傾聴すべきと納得した。 しかし、著者の提唱する「反権威主義的」生き方には、全面的には賛同できない。親に対する「孝」の心情、目上の者に対する「忠」の心情や、より大きなもののために生きるということ。それらを完全に無くして生きていくことが、どうしても美しい生き方とは思えないのだ。(こう感じている時点で、著者からしたら私は「権威主義」に毒されているのだろうな) 家庭の価値や格位を抜きにした社会が本当に良い社会とは思えない。人間が自由にふるまいながら、自然に秩序が保たれる世界とは、すなわち野生動物たちの世界と何が違うのだろう。

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