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アフリカの日々 の商品レビュー

4.5

16件のお客様レビュー

  1. 5つ

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  2. 4つ

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  3. 3つ

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2022/05/14

映画『愛と哀しみの果て』が良かったので、原作も読んだ。淡々と手帳に書かれた日記を読む感覚で、美しいアフリカの風景の中でよ波瀾万丈の農園経営に苦労する日々が続く。『ピダハン』よアフリカ版的な側面もある。 しかし、いつも読んでいるSFと違って美しい文章に酔いしれて、読むのに時間がかか...

映画『愛と哀しみの果て』が良かったので、原作も読んだ。淡々と手帳に書かれた日記を読む感覚で、美しいアフリカの風景の中でよ波瀾万丈の農園経営に苦労する日々が続く。『ピダハン』よアフリカ版的な側面もある。 しかし、いつも読んでいるSFと違って美しい文章に酔いしれて、読むのに時間がかかってしまった。

Posted byブクログ

2019/08/17

約100年前の物語。デンマークの女性がケニアで農園主として過ごした17年間の生活の記録。 1つ1つの挿話がスケールが大きいランドスケープ中の出来事であることと、ヨーロッパ人から観察したアフリカの人々の思考様式がとても独特であるため、スピードリーディングに向かなかった。読み始めて...

約100年前の物語。デンマークの女性がケニアで農園主として過ごした17年間の生活の記録。 1つ1つの挿話がスケールが大きいランドスケープ中の出来事であることと、ヨーロッパ人から観察したアフリカの人々の思考様式がとても独特であるため、スピードリーディングに向かなかった。読み始めてから読了まで10年ぐらいかかった。 良い読書体験だった。

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2019/03/28

すべてが言葉だけで語られたというのが信じられないくらい、ケニアの風景や生き物たち、人々の暮らしぶりが鮮やかな映像として記憶に残っています。うっとりしながら読みました。すばらしい時間だった。

Posted byブクログ

2019/02/11

1914年から1931年、著者はアフリカでコーヒー農園を経営し、アフリカで過ごした日々を懐古した本。 映画「愛と哀しみの果て」の原作でもあります。 アフリカの自然、土地の人々、とにかく美しい。 友人が以前アフリカへ旅をしました。この旅は楽しい旅ではなく、つらい旅だったはず...

1914年から1931年、著者はアフリカでコーヒー農園を経営し、アフリカで過ごした日々を懐古した本。 映画「愛と哀しみの果て」の原作でもあります。 アフリカの自然、土地の人々、とにかく美しい。 友人が以前アフリカへ旅をしました。この旅は楽しい旅ではなく、つらい旅だったはずなのに、戻ってから私に話してくれた。「アフリカはすばらしい。価値観が全く変わるよ。」 きっとこの本に書かれていることがそのままだったのでしょう。

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2019/01/03

男爵夫人となった白人女性が女領主のように過ごしたケニヤでの日々を回想して綴る。執筆の男性はソマリ人で、住民のキクユ族は彼が羊飼いのようにまとめている。マサイの人々は戦いを封じられた戦士であり、、、など、微妙な力関係などが興味深い。 著者はアフリカの人々、動物、自然それぞれに精神性...

男爵夫人となった白人女性が女領主のように過ごしたケニヤでの日々を回想して綴る。執筆の男性はソマリ人で、住民のキクユ族は彼が羊飼いのようにまとめている。マサイの人々は戦いを封じられた戦士であり、、、など、微妙な力関係などが興味深い。 著者はアフリカの人々、動物、自然それぞれに精神性をみてとり、気高さを見い出す。 それはある意味、白人女性の美しい誤解や理想化の賜であって、真のアフリカの姿とは言えないだろう。しかし、アフリカを故郷と呼ぶ白人のメンタルに個人的に興味があり、参考になった。 メリル・ストリープが演じた映画は全編ラブストーリーなのに対し、この原作は恋人のことを語るのはー章分に抑えられている。ただしこのー章に物凄い恋愛を感じた。 著者は強い女性としての自分を書こうとしたが、周囲では映画の主人公のように周囲には映っていたのではないのかな。 自然描写が美しく、第一次大戦から戦間期の、白人富裕層にとって楽園のようなアフリカへの募情あふれる作品。

Posted byブクログ

2018/08/13

ディネーセンの1914年から1931年まで18年間にわたるアフリカでの農園経営をもとにした小説.小説と呼ぶにはちょっと躊躇するところがあって,それはこの本に書かれていることの多くが,著者の経験に根ざしていることを感じさせるから. ともあれ,これほど読み応えのある本を読んだのは久し...

ディネーセンの1914年から1931年まで18年間にわたるアフリカでの農園経営をもとにした小説.小説と呼ぶにはちょっと躊躇するところがあって,それはこの本に書かれていることの多くが,著者の経験に根ざしていることを感じさせるから. ともあれ,これほど読み応えのある本を読んだのは久しぶりだ.速く読むと味わいが薄くなり,ゆっくり読むしかない本. まず,あらゆる感覚を研ぎ澄ませたアフリカ高地の描写がすばらしい.夜空の星,植物の香り,動物の鳴き声,澄んだ空気の感覚など,ダイレクトに伝わってくる.自然ばかりではなくて,飛行機に乗って自分の農園の周りを飛ぶ時の感情の解放感の表現など,たかぶるのではなくて,ぐっと抑えた感じがなかなかまたいい. 私は自分とあまりに縁遠いアフリカのことを何も知らなかったし,知ろうともしなかったことに気づいた.ディネーセンの筆致は冷静だが愛情に満ちているて,いろいろなことを教えてくれる. この本の表紙はパリにある一角獣のタピストリ.なぜこれが選ばれているのは訳者による解説でわかる.つい最近,この作品が文庫になったと知った.多くの人に読まれるようになるといいと思う.それでもこの30年以上前にでた版は,表紙の一角獣を含めて活字本のよさを感じさせる.

Posted byブクログ

2016/11/13

2016年神保町ブックフェスティバルで購入。 著者がアフリカで農園を経営していた時代のことが綴られている。 風景描写の美しさと、ノスタルジーに溢れた内容が魅力的だった。結果的に経営は失敗で、アフリカを去らざるを得なかったのが、全編に漂う郷愁の原因なのだろうか。

Posted byブクログ

2016/09/18

少しずつ時間をかけてゆっくり読んだ。 アフリカの自然に囲まれて動物や人々と触れ合いながらのんびりと過ごしてみたい。 いつかは行ってみたいアフリカ。 運命に抗わず、全てを受け入れる風土に憧れる。

Posted byブクログ

2019/05/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ディーネセンは『バベットの晩餐会』が有名だけれどもこの本はその前に書かれている、男爵と結婚してアフリカ(ケニア)にわたり農場の経営者となるのだが、そこで現地の人々とのかかわり合いが丁寧に描かれている。 おそらく医者の免許は持っていないのだが、現地の人々の怪我や病気の人の面倒をみたり、火傷には蜂蜜を塗ってあげたりしているうちに、手先の起用な子供が料理が得意だということがわかり調理の使用人になる。筆名はアイザック・ディーネセン(男性の名前)、本名はカレン・ブリクセンであり、ブリクセン男爵夫人とも呼ばれたが、もちろんそんなことはアフリカの人々には関係ない。自宅には時々ヨーロッパの要人が来客してくる。この物語の語り手はどうも女性であるらしいというのはだんだん分かってくるのだが、あくまで著者は男性名なのである。 現地人の独特の言い方、考え方には日々発見がある。丘の火事を知らせるのに「神がやってくる」と伝える言い方にはっとさせられる。しかし神もいろいろなのだ。アフリカで信者を獲得しようとするキリスト教にも複数の宗派が存在し、回教徒(イスラム教徒)もいたりする。はたして神に違いはあるのか。 あるときは美しいガゼルの子を見つけて自宅で飼いならす。可愛さのあまり犬より手厚くもてなすが、成長したある日ふいに屋敷から出て行ってしまう。その後、パートナーの鹿と子供を連れて庭に帰ってくるシーンには心動かされる。 今の時代に日本語で読むことになる読者は、著者が「カレン」という名の女性であることを知っているわけで、男爵夫人のはずなのに、本の中に旦那がどうして出てこないのかと思えば、出版は「アイザック」という男名なわけで、性が分かるようには確かに書いていないのであった。(後で分かる箇所がある) ヨーロッパの白人女性がアフリカでこんなふうに暮すのかと知ることができるということは純粋に面白く読める。映画『愛と哀しみの果て』の原作。 長い本だった。長い旅をしているような読書だった。あとがきにまた別の物語がある。男爵夫人となったディーネセンは気の毒にも夫に性病をうつされて治療のためにヨーロッパに戻ったこともあったとか、ハンナ・アーレントはそれを知っていたらしいということまで今となって分かっているのだが、さすがに梅毒云々というところまでは本には書かれていない。 おそらく多くの人が読んだであろう、歴史がある手垢のついた本を、図書館から借りて読んだ。その共有すら、愛おしい。 ** ちなみに村上春樹の『1Q84』BOOK3単行本p105に天吾が看護婦に『アフリカの日々』を読み聞かせるシーンがあるが、サリンジャーの『ライ麦』にも『アフリカの日々』が登場するシーンがあり、春樹はそれを意識しているのかもしれないが、どう繋がるのかはいまいち不明。

Posted byブクログ

2014/05/21

 サリンジャーのライ麦畑や、村上春樹の1Q84でタイトルだけ出ていたので気になっていた。主人公が意外にも面白かったとか、そんなことを言っていたのでなおさら。  率直な感想は、面白かった。読書を通じ、こんなに心が躍り、慰められ、哀しさがこみ上げ、じっくりと考え込む。久方ぶりの濃厚な...

 サリンジャーのライ麦畑や、村上春樹の1Q84でタイトルだけ出ていたので気になっていた。主人公が意外にも面白かったとか、そんなことを言っていたのでなおさら。  率直な感想は、面白かった。読書を通じ、こんなに心が躍り、慰められ、哀しさがこみ上げ、じっくりと考え込む。久方ぶりの濃厚な読書体験だった。それはプロットの巧みさによるものではない、著者の心理描写、情景描写から来るものなのだ。ストーリーの起伏にはダイナミスムはない。我々の日常と違う、アフリカにおいて、しかし当然の日常をアフリカのそのままを愛する白人の目で追い、語られる素朴さが私の心象風景を刺激する。  主人公は文明を享受し生きてきたデンマーク人である。夫の事業の関係かなんかでアフリカ・ケニアにおいて広大なコーヒー農園を経営していた。農園内に住むキクユ族の一団と、また時折現れる戦士・マサイ族と、そして文明からはじかれ住処を最後の楽園に求めたヨーロッパの移住者と、商売熱心なインド人と、時が止まったのではないかと錯覚するような、境界のないアフリカでの著者の生活を描写する。文化人類学ではない。文明を邪魔者のようには扱わないし、土着の文化を称揚もしない。ヨーロッパ人としての自分を保ちつつ、アフリカというむき出しの「自然」を愛する人間のポートレートである。外来の白人たちを受け入れつつ、その文明を取り入れながらも、精神的な価値はかわらないアフリカ。アフリカの震えるような土地と人間の「自然」を愛しながらも、内面的ヨーロッパを抱える著者の、相互的あり方が美しい。  シュヴァイツァーの医療宣教を批判する人たちがいる。アフリカをキリスト教化するのは間違っていると。どのような意見があってもいいし、それが真実を表しているとは思っていない。シュヴァイツァーは現地の黒人たちを取り残された幼き弟だと思っていた。だから50年共に住んだ。レヴィストロースはブラジルの内面的自然を愛し、宗教と文明が人間を自然と遠ざけたとうら悲しそうな声を上げる。自壊的な悲しき熱帯の内的自然に、人間らしさがあると彼は感じたのだろう。ディネーセンはアフリカ人に対する自分の意見を持たない。持っていたとしても、それを述べていない。ただあるがままを共に喜び、共に悲しんでいるだけである。友なのである。  彼女の描写を追っていくと、シュヴァイツァーがいうことに理があるように思う。キリスト教的な救いとは別に、アフリカ人は幼い子供のようである。固着の文化から離れることができない、そして実に実利的ないきかたを取る。それは利己的というわけではなくて、動物的な感覚が強いという意味である。生きることにかかわること以外に、関心を持たない。我々はそれ以外に時間と金をかけすぎる。じゃらじゃらと何を引きずっているのだろうか。それは善しも悪しもあるだろうが、余計なものは余計なものだと思ってしまう。  幼い弟を自立させ育てようとしたシュヴァイツァーに対し、ディネーセンは共に生きようという。それだけなのだ。だから押しつけもしない。内的自然を尊重する。それによって彼女が救われているのだ。  コーヒー農場の経営が立ち行かなくなり、アフリカを去る日がきた。アフリカに居心地の良さと愛着を感じてしまった自身をどうしたらいいのか、悩みあえぐ著者の姿が生々しい。キクユの集団も彼女を愛している。そして自身の生活を心配している。ゆっくりと、古くなったかさぶたが少しの痛みを伴いながら、痕を残しながらはがれていくように、彼女はアフリカを去った。 2014/5/18

Posted byブクログ