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もっと知りたい歌川広重 の商品レビュー

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2021/04/02

東海道五拾三次や名所江戸百景など有名なシリーズを多数残しています。 キレイな広重ブルーと、正確な遠近法。 火消同心を継ぎながら浮世絵師へ転向。 きっと真面目で几帳面な人なのだろうと思いました。

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2018/09/18

学校で習っていたころは安藤広重と教わったような。 国芳以外の歌川一門を知りたくて手に取ったのですが、風景(名所)画は苦手で…。 とはいえ、雪や雨の描写でため息をついたり、海老がおいしそうだったりと、見どころはたくさんありました。 次は初代豊国か国貞を見てみたいと思います。

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2017/04/29

本書は、歌川広重(安藤広重)の62年の生涯と作品を、1~14歳「幕臣安藤家の嫡子として誕生」、15~34歳「広重デビュー、忍耐のとき」、35~51歳「風景画で大輪の花を咲かせる」、52~59歳「旺盛な活動、人気絶頂のとき」、60~62歳「いまだ見ぬ景色をもとめて」と分けて、オール...

本書は、歌川広重(安藤広重)の62年の生涯と作品を、1~14歳「幕臣安藤家の嫡子として誕生」、15~34歳「広重デビュー、忍耐のとき」、35~51歳「風景画で大輪の花を咲かせる」、52~59歳「旺盛な活動、人気絶頂のとき」、60~62歳「いまだ見ぬ景色をもとめて」と分けて、オールカラーでビジュアルに解説している。 昭和30年代生まれの私にとって、広重と言えば、永谷園のお茶漬けについていた「東海道五拾三次」であるし、現代の多くの人々にとっても、目にする機会が多く、魅力を感じる浮世絵は、広重や葛飾北斎の風景画なのではないかと思う。 しかし、著者によれば、当時の主流はあくまでも美人画と役者絵であり、傍流に過ぎなかった名所絵(風景画)を一つのジャンルとして確立したのが広重と北斎の二人であったのだが、言い換えれば、広重と北斎がいなければ、浮世絵が現代の人々にここまで広く受け入れられることはなかったのかも知れない。 著者はその二人について、更に、「北斎は持ち前のエネルギッシュさと造形への飽くなき執念から、彼ならではの奇妙で面白い造形を生み出し」たのに対し、「広重は、正確な理解に基づく破綻のない透視画法や、・・・写生画風を積極的にとりいれ、ある意味で従来の浮世絵を離れた新しい画風を組み立てていった」とし、「この結果、残念ながらやや癖の強い北斎が短期間で飽きられてしまい、これと対照的に画風に新鮮味のある、しかも刺激の少ない温雅な画趣の広重が勝ち残った」と語っているのであるが、広重の画風が、特に日本人の感性に適っていたとする分析は一理あるかもしれない。 コンパクトでありながら、広重の持ち味と魅力が存分に味わえる良書。

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2016/12/09

高橋克彦の浮世絵三部作を読んでいて、専門的すぎて難しいので補足に読んでみた本。 本当は写楽があればよかったけれど、最寄りの図書館にはあんまり浮世絵関連の本がなく、「もっと知りたい」シリーズもなぜかこの一冊しかなかった。 歌川広重は以前「美の巨人たち」で見ていたけれど、テレビで見...

高橋克彦の浮世絵三部作を読んでいて、専門的すぎて難しいので補足に読んでみた本。 本当は写楽があればよかったけれど、最寄りの図書館にはあんまり浮世絵関連の本がなく、「もっと知りたい」シリーズもなぜかこの一冊しかなかった。 歌川広重は以前「美の巨人たち」で見ていたけれど、テレビで見るよりじっくり本で見てみると印象が変わる。 日本橋の絵の人の表情の素朴さ。 版画なのにしっかりとした霧の表現。 普段美術館で見るとすれば絵画、それも洋風画ばかりが多いけれどゆっくり浮世絵を見てみるのもいいかもしれないも思った。 日本橋と王子装束ゑの木大晦日の狐火が好きだなと思う。

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2014/07/15

浮世絵はおろか絵画初心者の私でも、それぞれの作品の見所がわかった。 こういった本はどうしても教科書的になってしまいがちだが、広重の生涯を追うかたちの構成と、周辺の人間関係やエピソードによって、ひとつの物語のように楽しめた。とくに、広重の亡きあとライバル的存在だった豊国がその死絵を...

浮世絵はおろか絵画初心者の私でも、それぞれの作品の見所がわかった。 こういった本はどうしても教科書的になってしまいがちだが、広重の生涯を追うかたちの構成と、周辺の人間関係やエピソードによって、ひとつの物語のように楽しめた。とくに、広重の亡きあとライバル的存在だった豊国がその死絵を描き、哀悼の意を添えているというエピソードはにくい。 20140715

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