ゲーテとの対話(中) の商品レビュー
上巻の続きからゲーテの臨終まで。 とりあえず継続して読んでみたら、と思ったが、うーん、前作よりは幾分共感できる箇所はあったけど、タイミングなのか、まだまだ今の自分には難しいのかもしれない。 234冊目読了。
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岩波文庫 ゲーテとの対話 1828年〜1832年のゲーテの言葉。 中巻はゲーテが死んで終わる。下巻はどうなるのか? ゲーテの晩年は 自然から人間を見る傾向が強くなっている。生命と自然が一体になっている感じが 死生観へつながっている。 自然科学的な著書「色彩論」が評価...
岩波文庫 ゲーテとの対話 1828年〜1832年のゲーテの言葉。 中巻はゲーテが死んで終わる。下巻はどうなるのか? ゲーテの晩年は 自然から人間を見る傾向が強くなっている。生命と自然が一体になっている感じが 死生観へつながっている。 自然科学的な著書「色彩論」が評価されていない点について 納得していない様子。色彩論に関してはニュートンすら誤っており、真実を知っているのは 自分だけとする論調。上巻で大作に要注意と言いながらも、ゲーテ自身 大作の罠にはまっている気もする ゲーテ「一人で仕事をするのはよくない。何事か成し遂げようと思ったら、他人の協力と刺激が必要」は御意。 ゲーテ「自分自身を知るのは、楽しんでいるか、悩んでいるときだけ。悩みと喜びを通してのみ、自分が何を求め何を避けるべきか教えられる」は なるほどと思う。 デーモンやデモーニッシュという言葉が繰り返し出てくる。同じ意味なのか?神性に近いのか、悟性に近いのかわからなかった。 *人間は高級であるほど、デーモンの影響を受ける *デーモンは、人間をからかったり、馬鹿にしたりするために〜誰も到達できない人物を作る
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中巻読了。読みながら註のところを引いて本文に戻ってまた読むというやり方にも慣れてきた。しおりをを2つ挟みながら読むのはなかなか面倒くさいが当時のことをゲーテ側から見た視点とエッカーマン側から見た視点で微妙な食い違いがあるのが面白い。同じ現場で同じことを体験したとてこんなにも見え方...
中巻読了。読みながら註のところを引いて本文に戻ってまた読むというやり方にも慣れてきた。しおりをを2つ挟みながら読むのはなかなか面倒くさいが当時のことをゲーテ側から見た視点とエッカーマン側から見た視点で微妙な食い違いがあるのが面白い。同じ現場で同じことを体験したとてこんなにも見え方が違っているものか。それは主観(というフィルター)を通して見るからだろう。自分と猫が同じ様に見えているとは限らない。同じ人間だからと一括りにするのはあまりに雑過ぎる場合もある。以下読みながらメモしたところを中略かつ要約して。「私の作品は世にもてはやされるようなことはなかろう。そんなことを考えてみたり、そのために憂身をやつしたりする人間は間違っているよ。私の作品は大衆のために書いたものではなく、同じようなものを好んだり求めたり、同じような傾向をとろうとしているほんの一握りの人たちのためのものなのだ。世界と人類を奥の奥まで究めつくそうとして、彼のあとにつづこうとする観察者のためにあるのだ。心の喜びと悲しみを詩人のうちに探し求める情熱的な享受者のためにあるのだ。どのように表現し、どのように素材を芸術的に処理すればよいかを学びとろうとしている若い詩人たちのためにあるのだ。どんな原理にもとづいて判断すべきか、評論をどのように興味と風格のあるものにつくりあげたら、喜んで読んでくれるか、とういう模範を汲みとろうとする批評家たちのためにあるのだ。一般的にいえば、精神を啓発され、特殊的にいえば、どういう素材が芸術的意義を持ち、従って何を描けばいいか、何を描いてはいけないのかを学びとることができるのだから、美術家のためにあるものだ。それはまた自然研究者のためにあるものだ。」「およそ偉大なものはすべて、われわれがそれに気づきさえすれば、必ず人間形成に役立つものだ」「熟達と才能、良い作品にはこの両方が必要である」「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ。」「われわれは、外界の事物の奴隷にすぎず、事物がわれわれを萎縮させるか、のびのびさせるかに応じて、われわれは、つまらない人間にも見えれば、偉い人間にも見えるのだよ。」「才能があるというだけでは、十分とはいえない。利口になるには、それ以上のものが必要なのだ。大きな社会の中に生活してみることも必要だし、当代一流の士のカルタ遊びを見たり、自分も勝負に加わってみることも必要だね。」「ナポレオンが偉大だった点は、いつも同じ人間であったということだよ。戦闘の前だろうと、戦闘のさなかだろうと、勝利の後だろうと、敗北の後だろうと、彼は断固としてたじろがず、つねに、何をなすべきかをはっきりわきまえていて、つねに自分にふさわしい環境に身を置き、いついかなる瞬間、いかなる状態に臨んでも、それに対処できた。ちょうどフンメルにとってはピアノを弾きこなすようなものだ、アダジオだろうがアレグロだろうがバスだろうがディスカントだろうが演奏に変わりがなかった。平和な芸術においても、戦争の技術においても、真の才能の行くところ、可ならざるはなしだ」「デーモンというものは、人間をからかったり馬鹿にしたりするために、誰もが努力目標にするほど魅力に富んでいてしかも誰にも到達できないほど偉大な人物を時たま作ってみせるのだ、という風に考えざるをえないのだよ。」「とかく人間は、自己を天地創造の目的と考え、他のいっさいのものはただ自己との関係において、またそれが自己に奉仕し、役に立つときに限って認めようとしがちだ。どんな取るに足らぬ雑草でも、人間のために存在しているのではないと考えてもみないのだ。」「そもそも人は、いつも驚嘆するものだけを読むべきだ」ザッと書いただけでもこんなに量がありその一つ一つが示唆に富む含蓄のある言葉の数々。まさか中巻でゲーテが死ぬとは思わんかったけども。下巻も読もう。あと、水木しげるのゲゲゲのゲーテってのがあると知った、読んでみよ。
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ゲーテとの対話(上)を読み終わってから、半年以上が経ってしまった。 文章を読むことも、咀嚼して理解することも、時間がかかるけれど、時間をかけ、何度も読まなければ、到底理解できない。その上、何度読めば、どのような経験を積めば理解できるのかもわからない程、かなり高次な著書である、、と...
ゲーテとの対話(上)を読み終わってから、半年以上が経ってしまった。 文章を読むことも、咀嚼して理解することも、時間がかかるけれど、時間をかけ、何度も読まなければ、到底理解できない。その上、何度読めば、どのような経験を積めば理解できるのかもわからない程、かなり高次な著書である、、ということは理解できる。 続けて(下)を読み、再度(上)から読んでいき、どのように理解や感じ方の変化があるのか楽しみ。 ---------- (前略) もともと人間は小さなことにしか向いていない。そしてただ、自分でよく知っているものを理解し、喜んでいるにすぎないのである。すぐれた有識者は絵を理解することができ、いろいろな部分を、自分で精通している普遍的なものにむすびつけることを知っている。絵全体も、各部分も、彼にとってはいきいきと理解できるのである。彼はまた、一つ一つの部分についてもまったく偏愛をもたず、顔が醜いとか美しいとか、ある箇所が明るいとか暗いとか、は問題にしない。彼が問題とするのは、すべてのものがあるべきところにあり、規則的で、正しいかどうかということである。しかし、もし半可通な者に多少とも大きな絵をみせるとすると、全体がわからずに、眩惑され、それぞれの部分部分に心惹かれたり、反発したりして、結局、自分によくわかっている、まったく取るにたりないことにかまけてしまうのである。(後略)
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文豪ゲーテの晩年に約10年身近で過ごした若き詩人エッカーマンが、ゲーテとの談話や対話を日記のように書き綴った手記。1828年6月~1832年3月を収めた、三分冊の中巻。そのテーマは、文学、芸術、科学から人生の過ごし方に及び、優れた上達論として読むことができる。 「ひとかどのものを...
文豪ゲーテの晩年に約10年身近で過ごした若き詩人エッカーマンが、ゲーテとの談話や対話を日記のように書き綴った手記。1828年6月~1832年3月を収めた、三分冊の中巻。そのテーマは、文学、芸術、科学から人生の過ごし方に及び、優れた上達論として読むことができる。 「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ。ダンテは偉大な人物だと思われている。しかし彼は、数百年の文化を背後に背負っているのだよ。・・・こういうことには、どれ一つとっても、人が想像するよりももっと深い根があるものだ」 「ことにナポレオンが偉大だった点は、いつでも同じ人間であったということだよ。戦闘の前だろうと、戦闘のさなかだろうと、勝利の後だろうと、敗北の後だろうと、彼はつねに断固としてたじろがず、つねに、何をすべきかをはっきりとわきまえていて・・・」 「人間は、・・・さまざまな段階を経ねばならないものだ。そしてどの段階にもそれ独特の美点と欠点があるが、それらもその由来する時期においてはまったく自然なことで、ある程度までは正しいのだよ。次の段階ではまた変わってしまい、以前の美点と欠点は跡方もなくなってしまうが、こんどは別の長所や短所がとってかわることになる」等 200年前に生きた巨人ゲーテの言葉が生き生きと伝わってくる。
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ゲーテの小説や詩など著書のほとんどは周りから賞賛を持って受け入れられており、ゲーテはそれら著書の批判に対しては寛容であるのに、自分が苦心して自然科学的な視点から著した色彩論について、批判に対してはついつい感情的になってしまうというのは、出来の悪い子(作品)ほどかわいいというような...
ゲーテの小説や詩など著書のほとんどは周りから賞賛を持って受け入れられており、ゲーテはそれら著書の批判に対しては寛容であるのに、自分が苦心して自然科学的な視点から著した色彩論について、批判に対してはついつい感情的になってしまうというのは、出来の悪い子(作品)ほどかわいいというような心理なのだろうか。あくまで、高潔明朗なゲーテの人間的な側面が垣間見れる部分だと思う。
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デモーニッシュ 文学、芸術、音楽、そして宗教的なものが、師弟の対話の記録として残され、最高の高いレベルの思想が弟子に受け継がれていく。 この本では、師の突然の死までが書かれている。 死によって師弟によるデモーニッシュなる物についての対話が途切れてしまったが、この何かについて考え...
デモーニッシュ 文学、芸術、音楽、そして宗教的なものが、師弟の対話の記録として残され、最高の高いレベルの思想が弟子に受け継がれていく。 この本では、師の突然の死までが書かれている。 死によって師弟によるデモーニッシュなる物についての対話が途切れてしまったが、この何かについて考える事が、出発なのかなと余韻も残る素晴らしい作品でした。 「(マンネリズムは)いつでも仕上げることばかり考えて、仕事そのものに喜びが少しも無いものだ。しかし、純粋の、真に偉大な才能ならば制作することに至上の幸福を見出すはずだ」
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http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?amode=11&bibid=TB10070807
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
エッカーマンが、ゲーテと死別するまでを語る。 聖書の矛盾点を問う若い青年に、聖書から読み取るべきは、 己の倫理的向上と強化をうながすことだとを諭す、 など教育的指導と老いの知恵が垣間見える気がした。
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筆者のゲーテに対する思いが浮かび上がる一冊です。才能溢れる人はたくさんいたけれど、可能だったかどうかは別として、ゲーテの全てを理解しようとした人の凄さを感じられます。
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