海神別荘・他二篇 の商品レビュー
戯曲3篇。戯曲なので小説よりも展開はわかりやすい。(少なくとも前日に読んだ草迷宮よりか理解しやすい!)ただ、面白みでいうと普通だなあ。
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泉鏡花に初めて触れた作品。坂東玉三郎と市川海老蔵の歌舞伎の鑑賞後に読んだところ、イメージ相俟ってとても美しかったので、星4つ。
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泉鏡花 戯曲3編 設定が面白い〜浦島太郎の竜宮城みたいな海底の国とか、マゾヒズムとか、丑の刻参りとか 表題「海神別荘」は 美意識高い名言が多い *貴く、美しいものは亡びない *女の行く極楽に男はいない〜男の行く極楽に女はいない *誰も知らない命は生命ではない ...
泉鏡花 戯曲3編 設定が面白い〜浦島太郎の竜宮城みたいな海底の国とか、マゾヒズムとか、丑の刻参りとか 表題「海神別荘」は 美意識高い名言が多い *貴く、美しいものは亡びない *女の行く極楽に男はいない〜男の行く極楽に女はいない *誰も知らない命は生命ではない 「山吹」は 不倫やアブノーマルな関係から、生きる意味(生きるとは 自分の行きどころを見着けること)を問うている。山吹の意味は 新たな発見、原初的な美しさ。末文の意味は 苦悶自体が生の意味と捉えた
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人の娘が海の神に嫁いだり、人形使いが道行く女性を倒錯した世界に引きずり込んだり、男性を呪い殺そうとする女性が女の神に助けられたり... 何と言うか、妖艶だけでは語りきれない世界観。 非現実的なストーリーの中でも人間くさい、そんな感じです。 やっぱり泉鏡花は面白いです。 ぜひ。
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表題の「海神別荘」。海の宝を得るかわりに生贄として海に沈められた美しい娘。小舟が沈むが死ぬことはなく遥か深海の海神の殿に迎えられる。そこは素晴らしい夢のような場所であった。そんな素晴らしい現状を、両親に見せたいと願い人間界に赴くが娘の姿は人間の目には大蛇にしか見えない。ぼろぼろになって再び海の底の殿に戻るが嘆き悲しむことを嫌う海神は娘を殺せと命ずる。しかしあわやのところで娘は心変わりし己の幸福に気づく。処刑は取り消され娘と海神は結ばれる。艶のある表現であでやかな海神の世界を堪能できました。
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表題作の『海神別荘』は、二つの世界を分ける水、垂直構造の舞台設定、「美しい人間」の通過儀礼→転生などが『天守物語』『夜叉ヶ池』と共通している。流れるような文体は勿論のこと、醜い人間の魂が海月になったり、宮殿の侍女の化粧の泡が貝になったりする鏡花の比喩や連想は本当に美しい。「世間」を捨て去ることのできない美女が公子によってたちまち浄化されてしまうのはロマンチシズムの極致と言える。 『山吹』は幕切れで仕事を選択する画家が地味に強烈。非人情な画家の視点から美を追求する小説は『地獄変』『草枕』等この時代結構多い。 『多神教』はオノマトペが印象的だった。泉鏡花の描く神や妖怪は残酷だけど、考え方が首尾一貫していてこっちのほうが正しいんじゃないかとか思ってしまう。
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夜叉が池等と比べると小粒感が免れない。 ただ戯曲は劇場で見た時はまた違う感想が生まれるものなので、こちらの舞台を見て見たいとも思う。
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泉鏡花で戯曲というと『天守物語』が一番有名だけど、こちらの『海神別荘』も面白かった。 解説にも引用されているが、終盤の美女の台詞が素晴らしい。 同時に『山吹』と『多神教』も収録されているが、『山吹』は最後の画家の台詞、『多神教』は媛神が現れてからのシーンがすごく良かった。
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鏡花の妖怪三部作の最後の一作。 天守物語には劣るものの、個人的には夜叉ケ池より好み。 龍の公子に刀を突きつけられた際の女の台詞が秀逸。 俗から聖へと一瞬で変化する女の心を表現するのに、これ以上の台詞はないかと。
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「この宝玉も、この指輪も、人が見ないでは、ちっとも価値がないのです。」by美女 海の財宝と引き換えに、海底の宮の公子のもとへ捧げられた美女。恵まれた身分を手にした彼女は、故郷の人々へ自分が無事幸せに暮らしていることを知らせに行きたいと願うが…鏡花の幻想的な戯曲の代表作「海神別...
「この宝玉も、この指輪も、人が見ないでは、ちっとも価値がないのです。」by美女 海の財宝と引き換えに、海底の宮の公子のもとへ捧げられた美女。恵まれた身分を手にした彼女は、故郷の人々へ自分が無事幸せに暮らしていることを知らせに行きたいと願うが…鏡花の幻想的な戯曲の代表作「海神別荘」他「山吹」「多神教」を収録。 父親の欲の犠牲となって公子のもとへ贈られた美女は、鏡花の表現を追う限り一見純粋無垢な乙女に見える。ところが、沈められるままに自分の運命を嘆くのではなく、望まれて海へ沈められるということは、そこに自分を望む何かがあるに違いないと、覚悟してやってくるしたたかな面もある。 さらに驚くことに彼女は、自分が公子の妻として迎えられ海の宮で財宝にも恵まれて幸せに暮らしていることを故郷へ伝えに行くことにより、活きていることを実感したいと言い出す。人ならぬ公子は、他人に価値を認めさせて得る幸福の空しいことを指摘する。このあたり、どこまでも人間臭い美女と違う価値観に生きる公子の対比が非常に面白い。 美女はそれを押し切って故郷へ戻ったものの、すでにこの世のものでは無いわが身が、生ける人々には恐ろしい蛇の姿にしか映らず、幸福を知らせるどころか、父親にさえ追われる身となって絶望のうちに海の宮へ還ってくる。「だから言っただろ~」な公子に対しめそめそ泣きつつも陸への未練を断ち切った美女は「どこまでもあなたについてゆきます~」という展開になる。 海底の宮で繰り広げられる幻想的なこの戯曲、近年では玉三郎の美女・海老蔵の公子による歌舞伎の舞台が記憶に新しい。その衣装も宝塚チックな洋風だったが、この戯曲によれば本来、美女は振袖に島田、公子は黒髪を背に捌いた直垂姿とある。だが、かしずく侍女たちは洋装で、舞台の大道具にはドアやテーブルが想定されている。鏡花の思い描いた舞台ってどんな感じだったんだろ…
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