個人的な体験 の商品レビュー
大江健三郎が後書きでこの小説を「青春の小説」だと言っていた。書いている時はバードを青春とは切り離した存在としていたようだった。しかし、自分の子供のことで悩み、堕落し、逃げようとしながらも最後は自分のために子供を受け入れていこうとする姿はまさに青春だった。どんな国際問題よりも自分の...
大江健三郎が後書きでこの小説を「青春の小説」だと言っていた。書いている時はバードを青春とは切り離した存在としていたようだった。しかし、自分の子供のことで悩み、堕落し、逃げようとしながらも最後は自分のために子供を受け入れていこうとする姿はまさに青春だった。どんな国際問題よりも自分の子供をめぐる家庭の問題の方が重くのしかかっているので、他のことに対して落ち着いて超然としていられるのは当たり前とバードは考えていた。だからと言って自分のような体験をしていない人が、自分を羨望する理由はないだろう。と言うところがなんとも苦しい。やはり、どこまでも個人的な体験であり、他者とは共有できないものだった。 最後、火見子とアフリカに行かない現実がありながらも、二人でアフリカに行くという世界がどこかにあるという考えは切なくもちょっと夢があっていいなと思った。
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主人公の名前が終始一貫して「鳥(バード)」というあだ名でだけ表されていて(お前は本名で呼ぶだろという相手からすらも絶対に鳥(バード)と呼ばれてる)、これは三人称で書かれている小説であるので書き手もまた鳥(バード)としか呼ばないのだが、この小説が大江自身の経験に基づか...
主人公の名前が終始一貫して「鳥(バード)」というあだ名でだけ表されていて(お前は本名で呼ぶだろという相手からすらも絶対に鳥(バード)と呼ばれてる)、これは三人称で書かれている小説であるので書き手もまた鳥(バード)としか呼ばないのだが、この小説が大江自身の経験に基づかれながらもなお創作つまりフィクションという前提をふまえ書かれているという、この現実との歪な関係が、ナラティヴの形態が三人称でありながら本名が絶対に出ないっていうに関係している気がする。 あとになって読んだ自伝によれば、大江自身も『個人的な体験』という作品の成功は、限りなく自身の経験に近かった事柄を「鳥(バード)」つまりは他者の物語として、そのために初めて三人称を採用して書いた努力の点にあるとしていた。自分の切実な経験を書くにあたり、同じ主題の短編「空の怪物アグイー」では傍観者でありつつも抜け出せなかった一人称視点から悪戦苦闘の末抜け出せた記念ということだ。 文庫版の大江自身によるあとがきが泣ける。*マーク以降のラストシーンを誰に非難されても、現在の自分が、未熟であろうと若い頃の自身を支持する、というのは主題に即する。
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主人公“鳥(バード)”は脳ヘルニア(実はそうではなかったが)をもって生まれた嬰児の存在に苦しめられる。嬰児を直接手にかけることも、受容して育てていくこともできない。鳥は恥と欺瞞の混沌に落ち込んでいく。 最後数ページの、混沌から脱出した後のシーンについて、発表当時、世間からは必要でないと批評されることもあったそう。個人的には、それまでのページで読んでいるこちらまで混沌に呑まれつつあったので、あのシーンは私をも救済してくれた。 相変わらず、メモしてしまうほどの巧みな比喩表現 や、息を呑む生々しい描写が目立った。 「ああ、あの赤んぼうは、いま能率的にコンベアシステムの嬰児殺戮工場に収容されて穏やかに衰弱死しつつあるわけね、それは、よかったですね!」
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鳥は邪魔者だと思っていた赤んぼうを最終的には受容し自らに父親としての責任を感じるが話はそんなに簡単なのか? 私は常に子供から逃避していた人間が最後にケロッと父親とならねばならないと、この赤んぼうと生きねばならないと思えるようになるとは素直に納得できない。本当にその責任を感じら...
鳥は邪魔者だと思っていた赤んぼうを最終的には受容し自らに父親としての責任を感じるが話はそんなに簡単なのか? 私は常に子供から逃避していた人間が最後にケロッと父親とならねばならないと、この赤んぼうと生きねばならないと思えるようになるとは素直に納得できない。本当にその責任を感じられる人間とは、赤んぼうを目の前にその将来への暗さや不安をなんとかして受け止めようと試みた人間ではなかろうか。赤んぼうから離れ、情人と逢瀬を重ねている人間より、一度その子供の首に手をかけてしまうほど絶望した人間の方がまだ救済の希望は大きい。自分の子供を殺そうと思った人間は、鳥言うように、引き受けるか殺すかの境地に至っているのだから。 一方鳥といえば、赤んぼうとほとんど一緒にいることがない。彼はどれほどまじまじとその瘤を、その赤んぼうを見ただろうか。私は鳥があの境地へとあまりにも容易に至ったように思えた。 また、不良少年グループの存在も必然性を感じなかった。
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終わり方が自然で、ああ、実際こうなるんだろうなあ、と納得感のある最後だった。 ただ、自己中心的なバードの行動には苛々するし、女友達の厄介さといったらない。一方で内面の描写が非常に飾らなくて人間らしく共感してしまう部分があるので、彼を真っ向から責められない自分にも呆れるという始末。 優れた作品で面白いが、読後感は清々しくないので気力のある時に読んでほしい。
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素晴らしかった。 小説を読んだ後に呆然となるあの感覚に久しぶりに襲われた。その感覚にしばらく呆然と身を浸していた。 読んでいてとても苦しかった。 主人公の異形の赤ん坊に対する心の動き、つまり直接は手を下さず彼を死に追いやろうとすることへの渇望と恐怖と欺瞞とに苦しめられている様子...
素晴らしかった。 小説を読んだ後に呆然となるあの感覚に久しぶりに襲われた。その感覚にしばらく呆然と身を浸していた。 読んでいてとても苦しかった。 主人公の異形の赤ん坊に対する心の動き、つまり直接は手を下さず彼を死に追いやろうとすることへの渇望と恐怖と欺瞞とに苦しめられている様子が克明に描かれすぎていて、とてもつらかった。 だから最後のバーでのくだりは圧巻だった。 「赤んぼうの怪物から逃げだすかわりに、正面から立ちむかう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいはかれをひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。始めからわかっていたことだが、ぼくはそれを認める勇気に欠けていたんだ」 「それはぼく自身のためだ。ぼくが逃げまわりつづける男であることを止めるためだ」 ああこの言葉をようやく聞けた時私は読者として本当に何かにうたれる思いで、心が震えた。 理由が赤んぼうのためではなく自分のためであることはとても重要だと思う。葛藤は一貫して自分との闘いとして描かれており、なのに最後の最後に赤んぼうのためなどと言い出したらそれこそ欺瞞、偽善だと思うから。 それから火見子の乳房の描写が自分のに似ていてとても好き。セックスの後に健やかに眠りにつく描写も。
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鳥が世界中でただ1人、彼の身に降りかかる異常児を巡る運命と信じる悲惨に、人間が元来備えるニヒルで利己的な心情を当人の堕落と衰退にのせて壮大に描いた作品。 自身にとって、前身だろうが後退だろうが、自分を取り囲む欺瞞の罠を掻い潜り、解放しながら受け止めて対処することが生きるということ。 鳥が見舞われていた異常児の問題は、周りの他人たちが共有している時間や運命からは完全に孤立した「個人的な体験」であった。 だからこそ、自身が受け止めて対処することが重要。 「個人的な体験」に情人である火見子が自ら参入し、共通の体験として解決に精進するのは、感慨深かった。 また、突発的に「脆い」という概念の素晴らしさにも気づいた。 今にも崩壊しそうだが、自らの姿形を保つために重力に抗う性質がこの言葉には含まれている。 脆いとは、力に抗う反骨心。脆いとは、攻撃され続けても、それでも尚、立ち続ける反逆精神。
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最初の5ページくらいがなかなか進まなくて、読もうと思ってるうちに図書館の返却期限きちゃった ストーリーは気になるからまたじっくり読みたい〜
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若々しいオーケンの漲るパワーが籠った一作。 結末の纏め方は賛否あり、作者本人も葛藤があったとコメントしているが、それを差し引いても当時の文学作品の中ではインパクトと熱量で抜けている作品だと感じる。
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短編集『空の怪物アグイー』と間髪入れずに読む。 しかしまあ、大江作品の女性の理屈っぽさよ(笑 相変わらずまわりくどくねちっこい観念的な文体が心地よい。 彼のような文体、たぶん外国語ではちゃんと訳せない気がする。ということは海外の日本語訳の小説もちゃんと訳せていないんだろうな。やは...
短編集『空の怪物アグイー』と間髪入れずに読む。 しかしまあ、大江作品の女性の理屈っぽさよ(笑 相変わらずまわりくどくねちっこい観念的な文体が心地よい。 彼のような文体、たぶん外国語ではちゃんと訳せない気がする。ということは海外の日本語訳の小説もちゃんと訳せていないんだろうな。やはり原文で読まないといかんのだろう。わしにはできないけれろ。 20代ですでにほぼ完成した作家なんだなぁ。 でもたしかに2つのアステリスク(*)後はいらないと、私も思う。
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