他人の顔 の商品レビュー
別の顔を作り出すということは、新しい人になるということ。 あくまで自分と他人、主観と客観を分け隔ててノートに綴られる記録が生々しい。 整形が身近なものになった今だからこそ。
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人は他人の瞳に己を見る。それと同じ役割をしているのが顔だと思う。 他人の顔に変わってしまった自分とは何か 人間か、生物か。 自我への問いかけ、螺旋状のミステリー。 さすが阿部公房
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人間とはなにか。自己とはなにか。 知りたくければ、ペルソナを脱ぎ捨てるしかないのだろうか。 安部公房脚本で勅使河原宏監督の映画「他人の顔」も見逃せない。
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安部公房を読むは砂の女に続いて二度目。 なんというか、この人の比喩は、本当によく理解できるものと全く理解できないものの二つにきれいに分かれる。 僕の語彙力に由来するものも多くあるだろうけど、雰囲気だけで全く意味を為さないような比喩も多くあるように思う。 本筋はなかなか面白いのだけ...
安部公房を読むは砂の女に続いて二度目。 なんというか、この人の比喩は、本当によく理解できるものと全く理解できないものの二つにきれいに分かれる。 僕の語彙力に由来するものも多くあるだろうけど、雰囲気だけで全く意味を為さないような比喩も多くあるように思う。 本筋はなかなか面白いのだけど、本筋の部分に肉付けされる比喩表現が多すぎて、少し助長に感じた。
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主人公は実験中に液体酸素をかぶって顔を失う。「顔がない」ということについての考察がいやというほど行われるが、これがなかなか興味深い。「箱男」や「砂の女」にも共通する、「覘くこということ」に対する執着もまたみられる。 痴漢に関する考察もまた特別に面白い。これは一方的に覘く、という...
主人公は実験中に液体酸素をかぶって顔を失う。「顔がない」ということについての考察がいやというほど行われるが、これがなかなか興味深い。「箱男」や「砂の女」にも共通する、「覘くこということ」に対する執着もまたみられる。 痴漢に関する考察もまた特別に面白い。これは一方的に覘く、ということに重きを置く阿部公房ならでは。 結末は、今後の激動を予感させながらも、ちゅうぶらりんの状態で読者はほうっておかれる。が、綿密に立てられたそれまでの構成を元に、その後をあれこれと想像するのもまた一興である。
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事故により顔を失った主人公が、失われた妻の愛を取り戻すために「他人の顔」をプラスチック製の仮面に仕立て、妻を誘惑する男になり回復を目指す。 安部公房作品の中でもこの作品は文体が非常に判りやすく書かれている。その理由としては恐らく、主人公である男の「手記」としてこの作品が位置づ...
事故により顔を失った主人公が、失われた妻の愛を取り戻すために「他人の顔」をプラスチック製の仮面に仕立て、妻を誘惑する男になり回復を目指す。 安部公房作品の中でもこの作品は文体が非常に判りやすく書かれている。その理由としては恐らく、主人公である男の「手記」としてこの作品が位置づけられていること。つまり男の性格を文体で表しているということと、仮面を作る工程が科学的記載に基づいて精密に書かれているという点からそうなるのだろう。 果たして人間にとって「顔」とは何なのであろうか? ただの肉体の一部なのか? それとも? 顔を失うことで心をも失った男の闘病記である。
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主人公の手記としての小説である。だが、その内容を上の空で聞いているような不安定さがあり、そのうえ手記として見るには「あれ?」と思うような所もある。あっちに行ったと思えばこっちへ行き、ふらふらと方向性を見失う文章という名の主人公の理屈と発見と復讐心。手記の内容自体が全部彼の妄想であ...
主人公の手記としての小説である。だが、その内容を上の空で聞いているような不安定さがあり、そのうえ手記として見るには「あれ?」と思うような所もある。あっちに行ったと思えばこっちへ行き、ふらふらと方向性を見失う文章という名の主人公の理屈と発見と復讐心。手記の内容自体が全部彼の妄想であって、最後の妻の手記さえも1つの手記の中の文であるような錯覚さえ起こす。
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人間にとって『顔』がどれだけアイデンティティを支えているかが強烈にわかります。どんな顔でも顔があって初めて人と認められるのです。
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ものすごい量の科学的記述には頭がついていかなかったけど、気迫は充分伝わります いいところで終わってるのが更に良かった
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自分の顔を失った男は、その苦悩から逃れるため、プラスティク製の仮面を製作し”他人の顔”を手に入れる。
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