近代能楽集 の商品レビュー
三島由紀夫は難しい事ばっかり書いてそう。。。 と思ってる人にオススメ。入門編? ひとつひとつが短いし、洗練された会話の美しさにうっとり。
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「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」の戯曲8編で、題名の通り能の演目を、近現代を舞台にしてリメイクした内容。 解説曰く、単純な時代設定の置き換えではなく結末も変えているとのことで、どうやらより業の深い筋書に変更をしているらしい。たしかに大半の話がハッピーともバッドともつかない虚無的な終わり方でした。 個人的に一番面白かったのは唯一元の話を知っていた「邯鄲」。これもかなりアレンジが効いていて、夢で女、金、娯楽、名誉すべてを与えられても下らないとまるで興味を示さない主人公に対し、枕の精が面目丸つぶれと殺しにくる話になっていました。終わり方も秀逸。 「君ってほんとにきれいだ。でも皮をむけば、やっぱり骸骨なんだ。」
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「それは知ってる。でも十年先にどうせ呑んべになるからって、今呑まなければならない理由がどこにあるんだ。」 「慾がなければ誰でもなれる。慾以上の権力も利益も握れる。」 「だってあんたは一度だってこの世で生きようとしたことがないんだ。つまり生きながら死んでる身なんだ、あんたは。それが死にたくないとは何だろうね。」 「が、まあ、忘れようとするほうが、忘れられないでいるよりよほど辛いってことがわかってくる。つまりは忘れられないほうが、おんなじ苦しいにしてもましなんだよ。」 「このじいさんは自分一人苦しんでいると思ってる。その己惚れが憎たらしい。」 「でも、人を苦しめるのは大好きですよ、奥さんは。」 「また、美しい方にしか似合わない趣味でしてね、これが。」 「あたくしの耳は待ちこがれているんです。~ああ、この人もこの世の男とおんなじだ。」 「こうして生きているのが、生甲斐じゃないか。」 「あなたみたいな人に飽きたら、それこそ後生がおそろしい。」 「そんならやめておおきあそばせ。」 「およそ気の進まないものと反対なんです。うれしいんです。天にも昇る心地でいて、それでいて妙に気が滅入る。」 「でもあなたはきれいだわ。私、世の中にあなた以上にきれいな人がいると思えない。~ところがあなたの持っている窓は一つきり、その窓から世界中のあらゆるものがあなたの中に入ってくるのよ。」 「愛されない人間というものは、怖ろしいことを考え出すもんですね。」 「相容れないものが一つになり、反対のものがお互いを照らす。それがつまり美というものだ。陽気な女の花見より、悲しんでいる女の花見のほうが美しい。」 「複雑な事情などというものは、みんなただのお化けなのですわ。本当は世界は単純でいつもしんとしている場所なのですわ。」 「だって、もう終わってしまった世界に花が咲きだすのは怖ろしいことじゃないか。」 ことばが楽しいなあ、と思った。
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この本との出会いのきっかけは弱法師の一部だった。全文ではなかったが、衝撃、いや、震撼した。それから半年、いくつかのご縁の後、手元に一冊手に入れた。どれも傑作。能が現代的感覚に書き換えられ、理にかなっているようで、でも、手を伸ばしても全部は掴みきれなくて。その掴みきれない部分が知り...
この本との出会いのきっかけは弱法師の一部だった。全文ではなかったが、衝撃、いや、震撼した。それから半年、いくつかのご縁の後、手元に一冊手に入れた。どれも傑作。能が現代的感覚に書き換えられ、理にかなっているようで、でも、手を伸ばしても全部は掴みきれなくて。その掴みきれない部分が知りたいような知らない方がいいような。それでいて美しく魅惑的。とにかく、心に残る大きな読書体験だった。
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再読。『邯鄲』をはじめとした、比較的よく知られた謡曲を原典として書かれた8篇の戯曲集。謡曲(能楽)の持つ抽象性と普遍性の発見がその根底にある。オペラの「読み替え」を、もっと徹底させたものとも言えるが、三島の戯曲は、古典的な格調を失わず、それでいて現代的なスタイルを纏うことに成功している。ここでの戯曲はいずれも上演を前提としてはいるが(事実、今も再演されている)舞台はきわめてシンプルであり、演じる役者達の動きも大きくはない。すなわち、「言葉」こそがこれらの戯曲の最大の構成要素であったのである。
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萩尾望都の「思い出を切りぬくとき」から興味を持って読んだわけですが、びっくりするくらい面白くてびっくりした。 これは…演劇やってた高校のころに読まなかった不明を恥じるといった按配。
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そもそも「近代能」とは何か。この本の解説を書いているドナルド・キーン氏も矛盾を感じるだろうと言っている。 「近代能」というものを知ったのは「ドナルド・キーン自伝」で、キーン氏が三島を絶賛していた時に、三島の作品の一つとして紹介されていたからである。日本の古典芸能である「能」...
そもそも「近代能」とは何か。この本の解説を書いているドナルド・キーン氏も矛盾を感じるだろうと言っている。 「近代能」というものを知ったのは「ドナルド・キーン自伝」で、キーン氏が三島を絶賛していた時に、三島の作品の一つとして紹介されていたからである。日本の古典芸能である「能」を現代劇として書き換えたものとでも言えるだろうか。ここでは8編の能を現代劇のシナリオにした作品が掲載されている。三島が「近代化」しようとした能はこれが全てらしい。能は古典だからどうしても現代にはあてはまらないものもあるのだとか。 さて中身はどんな作品なのか。8編のうち、私は「卒塔婆小町」から読んだ。キーン氏が出来が良いと褒めていたような気がしたから。読み出したらこんな面白い脚本はないと思えるほど面白く一気に引き込まれ、最初の頁に戻って読み直した。 初めのうちは「ハムレット」などのような、シェークスピアの暗さをイメージしていた。ところが三島の近代能は全然違う。明るさも楽しさも、そしてユーモアもそなえている。 この面白さは「近代能」という形式がもたらすものなのか、或いは三島の創作能力によるものであるのか。それはもちろん後者であるに違いない。 この能楽集の解説もキーン氏が書いているが、その中で三島の「潮騒」のモチーフがギリシア小説「ダフニスとクロエ物語」にあることを紹介している。(私は全く知らなかった)このように昔からあったものを新しい形式で述べることは古典主義の立場であり、そういう意味で三島は古典派だという。この作品群で三島は自分の手腕を遺憾なく発揮したのであろう。 とにかくシナリオとして読んだだけでも面白いと思えたので、「近代能」として上演されたらどんなに面白いのであろうか。舞台を是非とも見てみたいものである。ただし、「能」そのものは未だ映像でしか見たことがないので、これも舞台での実演を見てみたいものだ。
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三島由紀夫の文章スタイルが、能という形式にぴったりマッチ。取り扱い内容が美と愛と死であるためさらに相性が良いと思われる。氏の描く女性の情念の深さと美しさはとても好きだ。
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23才のとき、ユヤを演じました。「気を悪くなさらないでね…」からはじまる彼女の長ゼリフ、今ならもっとやれる気がします。ワタシは凡人だし、経験も浅いし、想像力なくて当時は難しすぎた^ ^ もう一度、挑みたい今は歳をとりすぎた…ひやっとするピンクな感じ『熊野』。
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