近代能楽集 の商品レビュー
絢爛豪華な言語表現、…
絢爛豪華な言語表現、独特の美意識と生死観。これは戯曲を超えたひとつの哲学といえます。能の単なる翻案に留まらず、オリジナルの謡曲とはかなり異質の世界が展開されています。原典の能と読み比べると面白いですよ!
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他の作者の戯曲は最後…
他の作者の戯曲は最後まで読めないことが多いのですが、これは別です。オリジナルの深い理解の上に、さらに自分の美意識と卓越した言語能力で、華麗な世界を構築しています。戯曲も完璧です。
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三島の戯曲集。能その…
三島の戯曲集。能そのものが良く分からないので、これも良く分からなかった。何だか仏教的というか、謎かけをされてるみたい。
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能を題材にした戯曲集…
能を題材にした戯曲集。地の文を使わずとも絢爛豪華で耽美な世界が構築されています。
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画家をやっている親戚が、昔から三島由紀夫が好きなので、どこが好きなのかという話をしたところ話題になったので買った。会話だけで進んでいく戯曲自体に読み慣れていなくて、いまいち状況が分からなかったので、youtubeで調べたところ、「ナゴヤ面影座」というところが上演している「卒塔婆小...
画家をやっている親戚が、昔から三島由紀夫が好きなので、どこが好きなのかという話をしたところ話題になったので買った。会話だけで進んでいく戯曲自体に読み慣れていなくて、いまいち状況が分からなかったので、youtubeで調べたところ、「ナゴヤ面影座」というところが上演している「卒塔婆小町・葵上」が出てきたので見た。とにもかくにも、文字で読んでいたのと、実際に俳優が舞台で演じているのを見るのとでは、まったく印象が違い、戯曲って、舞台の脚本なんだなということを再認識した。 絶対に、実際に演じられているのと比べて読んだ方が面白い。 「卒塔婆小町」は、煙草の吸殻(モク)拾いをしている老婆を美しいと言ってしまったがために、死んでしまう詩人の物語である。 九十九歳になる老婆は、若いカップルがベンチに集まる夜の公園で、拾った煙草の吸殻の数を数えるため、毎晩ベンチのカップルを追い出してしまう。夜にベンチで仲睦まじくするカップルにインスピレーションを得るロマンチックな若い詩人は、老婆のその行動に難癖をつけるが、老婆は取り合わない。 「ごらん、青葉のかげを透かす燈りで、あいつらの顔がまっ蒼にみえる。男も女も目をつぶっている。そら、あいつらは死人に見えやしないかい。ああやってるあいだ、あいつらは死んでるんだ。(中略)……生きてるのは、あんた、こちらさまだよ」(p100) 老婆は、愛し合うカップルは死んでいて、モクを拾う自分の方がよっぽど生きているという。詩人は、「冗談いうない。お婆さんがあいつらより生きがいいって?」(p100)といってそんな老婆の考えを認めようとしない。 しかし、老婆がかつて、自分は小町と呼ばれるほどの美人だったと言い、昔話をし始めると、次第に状況が変わっていく。 「私を美しいと云った男はみんな死んじまった」(p103) 舞台は、八十年前の鹿鳴館へと遡る。詩人は、そこで「参謀本部にいた深草少将」となり、二十歳だったころの老婆と出会う。鹿鳴館の人々は、老婆を小町といい、老婆は少将となった詩人とワルツを踊る。そのうち、ついに詩人は「小町、君は美しい」と言ってしまう。 舞台は、現在の公園に戻り、倒れた詩人が死んでいるところを警官に発見される。老婆は再び、拾ったモクを数え始める。 正直、よく分からん。『近代能楽集』の全編を通して、物語は、過去と今と未来とが、区別なく一つの舞台上に現れる。youtubeの動画を見て、はじめてその舞台上の世界観が分かった。戯曲が、舞台で演じられるものであるということ。それを頭の中で想像しながら、もう一度読んでみたい。
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『邯鄲』(かんたん)を読み、人生の儚さがまるで 一夜の夢のようだと強く感じました。 哲学や古典に興味がある方には、 より深く楽しめる作品だと思います。 彼の文章力と戯曲形式により想像力が広がりました。 人間の怖さや人生観、価値観が描かれており、 自由と不自由について 考えさせら...
『邯鄲』(かんたん)を読み、人生の儚さがまるで 一夜の夢のようだと強く感じました。 哲学や古典に興味がある方には、 より深く楽しめる作品だと思います。 彼の文章力と戯曲形式により想像力が広がりました。 人間の怖さや人生観、価値観が描かれており、 自由と不自由について 考えさせられる内容が非常に恐ろしかったです。 「綾の鼓(あやのつづみ)」の一遍を読了。 恋愛をするという気持ちが 徐々に築かれていく建設に例えられている描写が、 言葉の表現力のすごさを感じさせます。 心に残る一篇でした。
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邯鄲を目当てに読んだ。かなり元の話から現代風にアレンジされているけど、あまりに現実の世界を儚いものと描いてる元の話に比べて、逆に元々無気力な世捨て人が「生きたい」と思うまでの再生の話になってるのが見事。 ラストに庭の花が咲いて庭が生き返るのは、「一度だってこの世で生きようとしたことがない」「生きながら死んでいる身」の次郎が、夢の中で毒を飲まされそうになり「それでも僕は生きていたいんだ!」「いやだ、僕は生きたいんだ!」と薬をくつがえしたことにより再生したのと呼応するのな?と。
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2024年1月 三島由紀夫の美意識に胸焼けするかと思ったら、この戯曲集は案外楽しめた(失礼)。 作品の時代背景を考える必要があるが、現在の日本にも通用するテーマもある。 個人的には「班女」と「道成寺」が面白かった。
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目次 ・邯鄲(かんたん) ・綾の鼓(あやのつづみ) ・卒塔婆小町(そとばこまち) ・葵上(あおいのうえ) ・班女(はんじょ) ・道成寺(どうじょうじ) ・熊野(ゆや) ・弱法師(よろぼし) 成田美名子のマンガで多少能のことはわかるようになったのですが、一応一編読むごとに元の作品...
目次 ・邯鄲(かんたん) ・綾の鼓(あやのつづみ) ・卒塔婆小町(そとばこまち) ・葵上(あおいのうえ) ・班女(はんじょ) ・道成寺(どうじょうじ) ・熊野(ゆや) ・弱法師(よろぼし) 成田美名子のマンガで多少能のことはわかるようになったのですが、一応一編読むごとに元の作品のあらすじも調べてみました。 最初に一番面白いと思ったのは、『熊野』です。 ユヤの嫋やかな中の強かさ、宗盛の愛情の中の酷薄さ。 気持ちの切り替えの冷徹さが、三島の時代だけではなく、令和の今でも通用すると思うのですよ。 でも、能のあらすじを読んだ後軽く読みなおすと、どれもとても上手に再現していることがわかりました。 『道成寺』の女性も強かで愉快です。 その点『葵上』の光はダメだよね。軟弱で。 『卒塔婆小町』は、舞台で見たいかも。 美女と老婆が行きつ戻りつする様を、CGとかではなく演技だけで見せてほしい。 三島由紀夫って、すごいな。 見事に全部自分の作品として完成させていました。 当たり前かもしれないけれど、やっぱりすごい。
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中世から続く能のシナリオ(当然登場人物は昔の人)を三島由紀夫が当時代に即し、近現代人を登場人物にして翻案した短編集。 このアイデアを真似て、令和の能楽集を書きたくなったので★4.5。いつか書く!必ず!! 0.5だけ減らしたのは後ほどご紹介。 8つある物語のうち粗筋を知るのが6つ、実際に舞台で観能したのが「卒塔婆小町」「葵上」「熊野」「弱法師」の4つ。 なかでも、翻案版「葵上」はいつの世も女の怨みは恐いことがよく表されていると感じた。また、舞台装置として出るヨットの使い方が秀逸。 能『葵上』は小袖を一枚床に置いて葵上が臥せっていることを表し、舞台上の葵上の存在を観客は想像力で補う必要がある。そこを三島由紀夫は、葵上が臥せっているベッドと客席の間にヨットを出し、手をさしのべて苦しむ葵上が影絵となってヨットの帆に映る演出をすることで、葵上の姿は見せないがシルエットでその存在と苦しむ様を観客に印象づけることができる。素晴らしいアイデア。 ★を0.5減らしたのは、自分が知る能楽師の先生に「この能はこれこれが本質なんですよ」と教わり感銘を受けた部分がなく、ただ能のシナリオをなぞっただけのように感じた話が2篇あったから。この2篇は自分の「能楽集」としてぜひ取り組みたい。 物語を一篇一篇読むたびに、こんなシナリオをぼくも書いてみたい、という欲望が湧いてくる。本作は1956年発表、三島由紀夫は31歳で、今のぼくよりもずいぶん若い。しかし三島と自分の技量も鑑みて、5年10年15年とじっくり時間をかけて観能しお稽古するなかでぼくなりの物語を育みながら「能楽集」として作品にしていこう、と誓わせてもらえた作品であった。
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