近代能楽集 の商品レビュー
絢爛豪華な言語表現、…
絢爛豪華な言語表現、独特の美意識と生死観。これは戯曲を超えたひとつの哲学といえます。能の単なる翻案に留まらず、オリジナルの謡曲とはかなり異質の世界が展開されています。原典の能と読み比べると面白いですよ!
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他の作者の戯曲は最後…
他の作者の戯曲は最後まで読めないことが多いのですが、これは別です。オリジナルの深い理解の上に、さらに自分の美意識と卓越した言語能力で、華麗な世界を構築しています。戯曲も完璧です。
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三島の戯曲集。能その…
三島の戯曲集。能そのものが良く分からないので、これも良く分からなかった。何だか仏教的というか、謎かけをされてるみたい。
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能を題材にした戯曲集…
能を題材にした戯曲集。地の文を使わずとも絢爛豪華で耽美な世界が構築されています。
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収録作は、 邯鄲(1950年) 綾の鼓(1951年) 卒塔婆小町(1952年) 葵上(1954年) 斑女(1955年) 道成寺(1957年) 熊野(1959年) 弱法師(1960年) 絢爛な詞(セリフ)のアラベスク。 私は三島信奉者ではないし、 人物像等々にも好感が持てずにい...
収録作は、 邯鄲(1950年) 綾の鼓(1951年) 卒塔婆小町(1952年) 葵上(1954年) 斑女(1955年) 道成寺(1957年) 熊野(1959年) 弱法師(1960年) 絢爛な詞(セリフ)のアラベスク。 私は三島信奉者ではないし、 人物像等々にも好感が持てずにいるのだけれども、 読んでみると、しみじみ「巧いなぁ、美しいなぁ」と 唸ってしまうのだった。 やはり怪談として“最恐”の「葵上」がイチ推し。 ※詳しい話はブログに投稿済み。 https://fukagawa-natsumi.hatenablog.com/entry/2025/01/26/143840
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三島由紀夫が、現代という舞台から能の心を表現しようとした作品。 どの作品も面白かったが、個人的なお気に入りは卒塔婆小町だった。 恋人が逢瀬を楽しむ公園で夜な夜な吸い殻を拾い集めて吸う、醜悪な老婆の華やかな思い出話が進行していく様子は、とても美しく感じられた。 舞台ではきっと、老婆役がそのまま演じるのだろうから、視覚的にも麗人の零落が印象付けられて、より魅力的な内容になると思われる。 舞台設定や結末が俗悪であることも、かえって人間の力強さのようなものを表現しているようで、個人的に嫌な感じはしなかった。 詩人が美に身を任せて死亡したシーンには、ファウスト的なものを感じたが、対象となる美の内容は異なる。今作では若かりし頃の老女の美、つまり肉体的な美で、ファウストでは人生の一瞬一瞬に対して感じた美という、観念的な美である。 しかし、美に対する賛美を口にすることで生命を失うという、表現上の距離の近さは感じた。 「僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで……」 という詩人の言葉には、現代でも通用するような、非常にエモーショナルなものを感じたし、吸い殻を再び数え集める老婆の姿からは、人間的な、俗悪な逞しさを感じた。 この作は、いわば美の玉手箱であり、俗悪な美、肉体的な美、叙述的な美、叙情的な美が緻密に配置されていると、個人的には考えている。
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画家をやっている親戚が、昔から三島由紀夫が好きなので、どこが好きなのかという話をしたところ話題になったので買った。会話だけで進んでいく戯曲自体に読み慣れていなくて、いまいち状況が分からなかったので、youtubeで調べたところ、「ナゴヤ面影座」というところが上演している「卒塔婆小...
画家をやっている親戚が、昔から三島由紀夫が好きなので、どこが好きなのかという話をしたところ話題になったので買った。会話だけで進んでいく戯曲自体に読み慣れていなくて、いまいち状況が分からなかったので、youtubeで調べたところ、「ナゴヤ面影座」というところが上演している「卒塔婆小町・葵上」が出てきたので見た。とにもかくにも、文字で読んでいたのと、実際に俳優が舞台で演じているのを見るのとでは、まったく印象が違い、戯曲って、舞台の脚本なんだなということを再認識した。 絶対に、実際に演じられているのと比べて読んだ方が面白い。 「卒塔婆小町」は、煙草の吸殻(モク)拾いをしている老婆を美しいと言ってしまったがために、死んでしまう詩人の物語である。 九十九歳になる老婆は、若いカップルがベンチに集まる夜の公園で、拾った煙草の吸殻の数を数えるため、毎晩ベンチのカップルを追い出してしまう。夜にベンチで仲睦まじくするカップルにインスピレーションを得るロマンチックな若い詩人は、老婆のその行動に難癖をつけるが、老婆は取り合わない。 「ごらん、青葉のかげを透かす燈りで、あいつらの顔がまっ蒼にみえる。男も女も目をつぶっている。そら、あいつらは死人に見えやしないかい。ああやってるあいだ、あいつらは死んでるんだ。(中略)……生きてるのは、あんた、こちらさまだよ」(p100) 老婆は、愛し合うカップルは死んでいて、モクを拾う自分の方がよっぽど生きているという。詩人は、「冗談いうない。お婆さんがあいつらより生きがいいって?」(p100)といってそんな老婆の考えを認めようとしない。 しかし、老婆がかつて、自分は小町と呼ばれるほどの美人だったと言い、昔話をし始めると、次第に状況が変わっていく。 「私を美しいと云った男はみんな死んじまった」(p103) 舞台は、八十年前の鹿鳴館へと遡る。詩人は、そこで「参謀本部にいた深草少将」となり、二十歳だったころの老婆と出会う。鹿鳴館の人々は、老婆を小町といい、老婆は少将となった詩人とワルツを踊る。そのうち、ついに詩人は「小町、君は美しい」と言ってしまう。 舞台は、現在の公園に戻り、倒れた詩人が死んでいるところを警官に発見される。老婆は再び、拾ったモクを数え始める。 正直、よく分からん。『近代能楽集』の全編を通して、物語は、過去と今と未来とが、区別なく一つの舞台上に現れる。youtubeの動画を見て、はじめてその舞台上の世界観が分かった。戯曲が、舞台で演じられるものであるということ。それを頭の中で想像しながら、もう一度読んでみたい。
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『邯鄲』(かんたん)を読み、人生の儚さがまるで 一夜の夢のようだと強く感じました。 哲学や古典に興味がある方には、 より深く楽しめる作品だと思います。 彼の文章力と戯曲形式により想像力が広がりました。 人間の怖さや人生観、価値観が描かれており、 自由と不自由について 考えさせら...
『邯鄲』(かんたん)を読み、人生の儚さがまるで 一夜の夢のようだと強く感じました。 哲学や古典に興味がある方には、 より深く楽しめる作品だと思います。 彼の文章力と戯曲形式により想像力が広がりました。 人間の怖さや人生観、価値観が描かれており、 自由と不自由について 考えさせられる内容が非常に恐ろしかったです。 「綾の鼓(あやのつづみ)」の一遍を読了。 恋愛をするという気持ちが 徐々に築かれていく建設に例えられている描写が、 言葉の表現力のすごさを感じさせます。 心に残る一篇でした。
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邯鄲を目当てに読んだ。かなり元の話から現代風にアレンジされているけど、あまりに現実の世界を儚いものと描いてる元の話に比べて、逆に元々無気力な世捨て人が「生きたい」と思うまでの再生の話になってるのが見事。 ラストに庭の花が咲いて庭が生き返るのは、「一度だってこの世で生きようとしたことがない」「生きながら死んでいる身」の次郎が、夢の中で毒を飲まされそうになり「それでも僕は生きていたいんだ!」「いやだ、僕は生きたいんだ!」と薬をくつがえしたことにより再生したのと呼応するのな?と。
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2024年1月 三島由紀夫の美意識に胸焼けするかと思ったら、この戯曲集は案外楽しめた(失礼)。 作品の時代背景を考える必要があるが、現在の日本にも通用するテーマもある。 個人的には「班女」と「道成寺」が面白かった。
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