鏡子の家 の商品レビュー
三島由紀夫の特番を見て購読。金閣寺の後に書かれた本で、当時も大注目されたが、評価は二分されていたらしい。4人の主人公(エリートサラリーマン、ボクシング一筋の選手、才能ある若き芸術家、売れないが美貌の役者)が、その友人である資産家の女性(鏡子)と、それぞれの生き方を語り共有する形式...
三島由紀夫の特番を見て購読。金閣寺の後に書かれた本で、当時も大注目されたが、評価は二分されていたらしい。4人の主人公(エリートサラリーマン、ボクシング一筋の選手、才能ある若き芸術家、売れないが美貌の役者)が、その友人である資産家の女性(鏡子)と、それぞれの生き方を語り共有する形式。親しい友人だが互いに干渉しないのがルール。三島はこの作品でも「美とは何か」「人生の意味とは何か」「哲学を持たない社会の劣悪さ」を描こうとしているのだと思う。また、それぞれが干渉しないというのは、友人であっても、根底では分かり合えないのだということなのか。5人のうち、4人の人生は破綻する。これは、のちの三島の行動を知っているだけに、何かの暗喩に思えてならない。金閣寺でも「世界を変えるのは理念か行動か」という問いがあったが、現実の社会はそんな単純なものではない。この本ではその2つが5つになっているが、それでも生き残るのは1つというのは変わらないのか。
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文体と構成とキャラの勝利、、早くも2021年ベストに出会ってしまった予感。成立しないとわかっていても第三部を求めてしまうほどに良い、、 解説にあるように、三島は「現実の印象を"色彩と形態の原素"へと還元する作業の代りに、"観念とイメイジの言葉"へと還元する散文の芸術家」であり、その「磨かれた語彙にくるまれた影像が活字の奥から脳髄にしみこむ」感覚を一度味わうともはや他の作家が読めなくなる。。この作品を読むと一層強く実感する。 これは前提知識なしに挑むのが楽しい。つまらないページが一切ないし一種劇的な展開に痺れる。なんとなく鏡子と夏雄の事物への見惚れ方が一番近いのかなと思ってたけど清一郎じゃないんだ…!最後らへんは藤子目線で清一郎がほんとに崩壊して乱れる姿を見たくなったが、、まあ少し傷ついたところも見れたから良しとしよう。峻吉にしても収にしても、わたしは全員違った意味でかなり好きで、それぞれに三島のある一面が投影されていたように思う。鏡子には遠い祖先のような親近感を抱いた…あらゆる偏見から解き放たれた空間、他人の情念を通して何ものにもとらわれずに何ものをも愛しているような感覚、…そして結局人生という邪教を信じることにするという。繰り返し、退屈、単調さは永く酔わせてくれるお酒。
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前半は、読んでて苛つきを感じることが多かった。理想を抱きながら、世の中の雑事に対して超然とした態度を取っている登場人物たち。そのシニカルな姿勢、世の中の破滅を信じながらも生活の破滅の心配はないという甘えた心。 後半になると、それぞれの登場人物たちは、冷笑し無関心でいた世の中から手...
前半は、読んでて苛つきを感じることが多かった。理想を抱きながら、世の中の雑事に対して超然とした態度を取っている登場人物たち。そのシニカルな姿勢、世の中の破滅を信じながらも生活の破滅の心配はないという甘えた心。 後半になると、それぞれの登場人物たちは、冷笑し無関心でいた世の中から手の平を返され、ナイフを突きつけられはじめる。その時に感じた胸のすくような感じ。他者の苦境に「ざまぁみろ」と思うような心境。読後、自分の中の一番汚くて醜い部分を、まるで鏡のようにこの小説に映し出された気がして、なんとも言えない気持ちになった。
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彼女はいくら待っても自分の心に、どんな種類の偏見も生じないのを、一種の病気のように思ってあきらめた。田舎の清浄な空気に育った人たちが病菌に弱いように、鏡子は戦後の時代が培った有毒なもろもろの観念に手放しで犯され、人が治ったあとも決して治らなかった。 世界が必ず滅びるという確信がなかったら、どうやって生きてゆくことができるだろう。
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鏡子の家に集う4人が4様の美意識を持ち、干渉し合うことなく破滅に至る…という小説型をした、美意識に関するアフォリズム集といった感じで、他作に比して耽美感が薄いぶん、4人の持論を堪能しやすい。 4人の中で夏雄が1番理解しづらく印象的: 唯一破滅から立ち直る画家の夏雄は、ひとさしの...
鏡子の家に集う4人が4様の美意識を持ち、干渉し合うことなく破滅に至る…という小説型をした、美意識に関するアフォリズム集といった感じで、他作に比して耽美感が薄いぶん、4人の持論を堪能しやすい。 4人の中で夏雄が1番理解しづらく印象的: 唯一破滅から立ち直る画家の夏雄は、ひとさしの水仙の花が現実の中心であると気付くことで、彼の現実が再構成される。水仙(ナルキッソス)を明瞭に認識し、外界との繋がりを取り戻した夏雄のみが絶望から救済されたということか。
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昭和29年~31年を舞台に 刹那的であろうとする若者たちの群像を書いたものだ しかし彼らは要するにスタイリストの集まりでしかないので どうしてもいろんなことを考えてしまう 同時代、都会の若者には、やはり三島由紀夫の年寄り臭さを 難ずる声も多かったらしい 武田泰淳の小説(ニセ札つか...
昭和29年~31年を舞台に 刹那的であろうとする若者たちの群像を書いたものだ しかし彼らは要するにスタイリストの集まりでしかないので どうしてもいろんなことを考えてしまう 同時代、都会の若者には、やはり三島由紀夫の年寄り臭さを 難ずる声も多かったらしい 武田泰淳の小説(ニセ札つかいの手記)にそういう意見があったのだが 結局、悪ぶってるポーズが鼻についたという話なんだろう 快楽を前にしては 考えずに飛びつくのが刹那主義の現代的解釈であるからして つまり、この物語の主人公たちは、刹那を楽しめない人々だった 刹那を気取りつつも 真実の愛だの立身出世だのいう価値観に未練を残し 現実に対してシニカルな態度しかとれない そうやって抱え込んだ自分だけの絶望をナルシスティックに愛しつつ 世界の終わりを夢想することで、未来の不安をごまかしてる そんな連中だ 他人の目を恐れてばかりの悲しいヒューマニストたち 生きることは極私的な負け戦であるという事実に どうしても耐えられない それでもまあ 自殺する勇気がないから「生きよう」なんて ポジティブを装って居直るフリをした「金閣寺」の頃に比べりゃ ずいぶん進歩したものである しかし、たったそれだけのことを五人前にも嵩増しして 長々と書く必要はあったのだろうか? そう問われるならば、これはあったに違いない 三島が欲していたのは、理想を共に並び見る同志だったんだから …その内実が、世界の終わりであったにせよ なお、「鏡子の家」を書き上げた三島は 次いで「宴のあと」に着手したのだが 三島由紀夫のキャリアにおいて ここが、最も重大なターニングポイントではなかったか 個人的にはそう考えてる
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鏡子の家、ようやく読了。 鏡子は「鏡」で、家の中心にいてそれぞれを映す存在。中心といっても権力者というわけではなく、真ん中に鏡が置いてあるという感じ。 (鏡子が鏡というのは、解説の田中西二郎さんより) 民子と光子はそれぞれにキャラクターがあるけれども、収に対して、かたや「痩...
鏡子の家、ようやく読了。 鏡子は「鏡」で、家の中心にいてそれぞれを映す存在。中心といっても権力者というわけではなく、真ん中に鏡が置いてあるという感じ。 (鏡子が鏡というのは、解説の田中西二郎さんより) 民子と光子はそれぞれにキャラクターがあるけれども、収に対して、かたや「痩せっぽち」と言い、かたや肉体美に気付かず、適当に賞賛するところや、最初の小太りが最後に痩せ、かたや太るという具合で、対照をなしている。 収と峻吉は肉体派で、考えすぎる収と考えることを避ける峻吉。ともに肉体的な「死」を迎えた点でも共通する。演劇の世界に生きる収は、夢と現実の境界にいながら死を迎え、考えることをしなかった峻吉は、ボクシングをやめたあと、有り余る時間の中で、かつ正木に出会い、「考える」世界に足を踏み入れる。(この正木には、金閣寺の柏木のにおいがする。) 崩壊間際に生を感じる清一郎(いわゆる三島文学の男)と、2年間の間に一度崩壊し新世界を見つける夏雄(三島文学の男になった男) 鏡子の裏側には山川夫人がいる。 山川夫人の家で、滑稽な様子を見ながら交わされた会話の、人間自身を表す時の地獄絵図、という点を知ると、普段の社会生活の一見穏やかでありながらも実は表面的に過ぎない感じに、ことさら「パセティック」と感じる清一郎、ひいては三島文学世界が見えてくる。 自分の世界を見つけ、新たな世界を「見に」、出発しようとする夏雄に、最後にいまひとつの「世界」(=視野)を教え、鏡子の家は閉まる。 自らが鏡の中の世界に入っていくことにした鏡子の家の鏡は、これらを映すことをやめ、 鏡子の家はただの家になり、犬のにおいが充満し、人のにおいはなくなる。(かつて清一郎がここに来たときは、「人臭いぞ」と言っていた) とにかく長かったので頭がついていけてませんでしたし、しょっちゅう三島用語がわざとらしく出てくる(ように感じた)ので、表現の豊かさの良さが若干削がれた気がしていましたが、 もう一度、全体図を掴むために眺め読みをしてみると、うまい具合に構造化してるのだなあと感じました。最初と最後がちゃんと照合されているなど、こんなに長い作品で、最初から最後まで練られた構成であることの大変さを理解しました。
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鏡子という女性の家に集まる、四人の青年たちの順風満帆な生の軌跡とその破滅を描く。三島らしい絢爛な文体は抑えめだがその分親しみやすさはある。 生の実感とでも言うべきものを、拳闘、絵画、演劇、「他人の人生」によって得ようとした四人の青年たち。戦後の一時期には存在した「明日知らぬ」時...
鏡子という女性の家に集まる、四人の青年たちの順風満帆な生の軌跡とその破滅を描く。三島らしい絢爛な文体は抑えめだがその分親しみやすさはある。 生の実感とでも言うべきものを、拳闘、絵画、演劇、「他人の人生」によって得ようとした四人の青年たち。戦後の一時期には存在した「明日知らぬ」時代の片鱗をもつ彼らが破滅に向かってしまったのは、「日常生活の屍臭」が彼らを蝕んだためか。 正直やっぱり難しくてよく分からなかった。戦後の一時代の終焉を、峻吉たちの破滅(収は転生とでも言うべき復活を果たしたが)になぞらえたのかなぁとはとは思うけど、それらが具体的にどういうものなのかと聞かれるともう何回か読まないと分かりそうもない。でも600ページもあるからあんまりそんな気にもならない。 最後の収と鏡子の会話はある種の爽快さがあった。悲劇的な末路ばかりではあんまりだし、ひとつの時代が終わったとしても人々の生活は続いていくわけなので(それ以前とは決定的に生活への態度?が変わってしまったとしても)、この終わり方には救われた、気がする。
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鏡子という名前はほとんどないのだろうか。変換してもかなり後にならないと出て来ない。しかし、夏目漱石の妻が鏡子のようだから、昔はけっこういたのか。本書は鏡子の家にやって来る、4人の青年たちのドラマからなっている。それぞれには上り下りがありながら、からみあうことなく過ぎていく。チャン...
鏡子という名前はほとんどないのだろうか。変換してもかなり後にならないと出て来ない。しかし、夏目漱石の妻が鏡子のようだから、昔はけっこういたのか。本書は鏡子の家にやって来る、4人の青年たちのドラマからなっている。それぞれには上り下りがありながら、からみあうことなく過ぎていく。チャンピョンになった夜、ボクサーはチンピラにからまれて、拳が握れなくなる。それに対する、友人の批評は辛辣だ。「どんな偶然にふりかかってくる奇禍であろうと、人間は自分の運命を選ぶものであって、自分に似合う着物を着、自分に似合う悲劇を招来する。」ニューヨークに赴任したその友人、新婚の妻にはたして愛されていたのか。「枕はポマードの油に汚れていて、その汚れがこんな鈍い光のために一そう汚く見える。汚れが汚れのままに照り映えてみえるのである。藤子はそこへ顔を伏せて接吻した。」母親の借金のため、肉体のみならず人格そのものを女に預けてしまう売れない俳優。エスカレートした性的欲求は最後には死をもたらす。芸術家の苦悩を経て神秘思想にのめり込んでいく画家の卵。「まだなんでしょう」と鏡子がなめらかな声で言った。「うん」と画家は赤くなったまま答えた。4人の青年の中で、鏡子と関係をもったのは、この画家だけだったのではないか。離婚した後の鏡子は他人の話を聞くばかりで、自分の行為には及んでいなかったようだ。最後に鏡子の家に別れた夫がもどって来る。そこで、鏡子の家に集まるメンバーは解散となる。だが、そのとき入ってきたのは大きな七匹の犬だった。最後の一瞬で空気が変わる。どうやら、本作品は海外で映画になっているようだ。けれど、日本では公開されていない。なぜなのか。鏡子はだれが演ずるのだろう。
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画家、拳闘家、俳優、サラリーマン、の4人の青年がそれぞれ自分の信念と主義を貫きながら時代を生きていく話、それぞれで成功を掴み崩壊していく。青年時代の不完全さとそれぞれの信念が行き着く先の運命で、死んだり傷ついたり崩壊したり…。 面白かった、単純に好みだった。
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