時間意識の近代 の商品レビュー
明治以降の日本人の生活の変化の中で「時間」に対する意識がどう変わって行ったかを、科学技術、風習、芸術などから追っている2006年の本。この本以降でも、日本人の時間密度は現在進行中だ。 時間に対する意識、というより「時間に追われるようになっていく過程」と言うべき内容だ。時計の機能...
明治以降の日本人の生活の変化の中で「時間」に対する意識がどう変わって行ったかを、科学技術、風習、芸術などから追っている2006年の本。この本以降でも、日本人の時間密度は現在進行中だ。 時間に対する意識、というより「時間に追われるようになっていく過程」と言うべき内容だ。時計の機能向上だけでなく、通信や移動手段の速度が向上していくに連れて「短時間でできること」が増え、それが次の技術と時間密度の上昇を招く。統合失調症患者の中には異様に時間に対する強迫観念(一秒でも無駄にしたくない)がある例が紹介されていたのが強く印象に残る。 ちょうどこの本を読んでいる最中に、スマホはおろか携帯すら持ってない父と「スマホを持たないといかんかなあ」という話題をした。無くても現状困ることはないが、スマホ無しの選択肢が狭められてきている、というのが会話の発端で、「世の中便利になったのか不便になったのかわからん」と言っていた。私は「多分、不便になってる」と応じた。
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ふだんは意識することなどめったにない「時間」に対する感覚の差異。秒針に追いまくられているような現在からは想像しにくいが、明治初期に来日した欧米人には「大ざっぱな時間の国」というのが日本の印象だったらしい。「時間意識」においても、ヨーロッパ諸国が数世紀を要して成し遂げたことを、日本...
ふだんは意識することなどめったにない「時間」に対する感覚の差異。秒針に追いまくられているような現在からは想像しにくいが、明治初期に来日した欧米人には「大ざっぱな時間の国」というのが日本の印象だったらしい。「時間意識」においても、ヨーロッパ諸国が数世紀を要して成し遂げたことを、日本はわずか数十年で実現し、さらにその先まで進んでしまったようだ。 そのプロセスを丹念に追うことで、私たちがいま、どんな時代を生きているのかを鮮やかに浮かび上がらせた好著。
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