人類最後のタブー の商品レビュー
どっしりとした重量感で、手首を痛める程。しかし、読み易く、拾い読みでも知識が得られる位、為になる情報が散りばめられている。と言っても本著が挑戦するのは「人類最後のタブー」。霊とか、奇形とか、医療や遺伝子。特に、奇形についてはネットで画像検索しながら読んだが、画像が残る時代の人々。...
どっしりとした重量感で、手首を痛める程。しかし、読み易く、拾い読みでも知識が得られる位、為になる情報が散りばめられている。と言っても本著が挑戦するのは「人類最後のタブー」。霊とか、奇形とか、医療や遺伝子。特に、奇形についてはネットで画像検索しながら読んだが、画像が残る時代の人々。頭にも顔のある男!四本の脚、二つの膣を持ち両方から子供を生んだ女!逆に一つの膣で上半身は二人、なども。確かにタブーのようだが、生きていた人間なのだから、それを否定するのは間違いだろう。 霊は、部族構成員の共同体への帰属意識を高めるために必要だった。そして、その生き残りである我々人類は、容易に霊を信じやすい脳を持っているのだ。 マクドーガルによる魂の重量の計測。生前と死後の人間の重量を計り、魂の重さを21グラムとしたが、霊魂が空気より軽いなら死後の体重は減るのではなくて増えなくてはならないし、実験も杜撰。 物質を制御する想像上の非物質的実体というのが霊もしくは生命力の定義。霊的信仰には儀式の形で共同体全体に利益をもたらす効果がある。厳選された自然現象を用いまるで俗界を超越したような霊的感覚を喚起する。窓のステンドグラス、装飾品、お香、リズミカルな詠唱や巨大なドラ、パイプオルガン等の耳で聞き取れない低周波。可聴音域階の低周波により背筋を震えが走ったと言う奇妙な感覚をもたらす。原始社会に属する人々が、儀式から得られる超俗的感覚によって冷静を喚起されてしまう仕組み。 こうした内容もありながら、人間のフレーミングにおける欺瞞についても。 核磁気共鳴(エヌエムアール)と言う言葉が磁気共鳴映像法(MRI)と解明。不吉な響きを持つ核と言う言葉を名前から消し、現代医学の不可欠の1部となる技術に対する潜在的恐怖を取り除いた。 人間の細胞が他の数百種類の小さな有機分子を合成できるのに、なぜビタミンを合成しないのか。それは1つはビタミンは少量しか必要とされていないこと。また数ヶ月ないし数年間体内に貯蔵されること。そして手に入りやすい食べ物からたやすく得られる事が理由だ。 フリークスについては、冒頭に書いた内容は一例。手首を痛めぬ程度に体験してみて欲しい。
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再読。アメリカのヒト胚にまつわるいろんな政治的な動きのうらの宗教的立場に対して、分子遺伝学者としてたたかいを挑む、みたいな。
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- ネタバレ
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科学と宗教(特にスピリチュアリティなもの)との対立を起因とした、科学に対する根拠のない不信感のベールを取り払う、画期的な本。 魂とは何なのか。 生命とは何なのか。 霊的信仰とは何なのか。 進化とは何なのか。 生命倫理の線引きは何処で決まるのか。 受精から誕生までの間の何処で、ヒトはヒトとして認められるのか。 心とは、精神とは、何処にあるのか。 脳死状態のヒトから抜き取った臓器を使う以外の臓器の移植方法はないのか。 自然は本当に優しい、母のような存在なのか。 なぜバイオテクノロジーに嫌悪感を持ってしまうのか。 なぜ病気の治療に役立つであろうヒトの胚クローン技術に規制がかかるのか。 なぜ何時の時代も科学と宗教(スピリチュアリティを含む)は対立するのか。 なぜ根拠が曖昧な似非科学が世間をまかり通るのか。 なぜ遺伝子組み換え作物に嫌悪感を示すのか。 なぜ全て天然の有機食品を安全で素晴らしいものだと信じてしまうのか。 なぜ食の歴史=バイオテクノロジーの歴史であることを忘れてしまうのか。 なぜビタミン剤やサプリメントを効く物として購入してしまうのか。 なぜ生命を、遺伝子を盲目的に神聖視してしまうのか。 上記の全ての疑問の答えが、この本にあります!?
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バイオテクノロジーが社会に提起する倫理的問題は、キリスト教圏内の世界にあっては、特にやっかいな問題だろう。他方、東洋においては全知全能の神を前提にした宗教というものが主流ではないため、遺伝子を操作することで恩恵を得ることができるという状況に比較的好意的な態度をとるであろうことは...
バイオテクノロジーが社会に提起する倫理的問題は、キリスト教圏内の世界にあっては、特にやっかいな問題だろう。他方、東洋においては全知全能の神を前提にした宗教というものが主流ではないため、遺伝子を操作することで恩恵を得ることができるという状況に比較的好意的な態度をとるであろうことは想像に難くない。つまり、日本を含む東洋は生物科学を追窮するのには悪くない環境であるといえよう。とはいえ、洋の東西を問わずこれから、バイオテクノロジーが発達することによって、突きつけられる選択と問題意識は共有可能なものであろう。 もし今後、人類の進化というものがあるとすれば、自然淘汰による遺伝子プールの変質によるものではなく、ヒト自身によって遺伝子を改良することで、あるいは人体に電子的なインターフェイスを埋め込むことであらゆる意味で、現在の私たちを超えることになるだろう。それが善なのか悪なのか、議論を深めていくことはこれからより必要になってくるだろう。
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