日本史集中講義 の商品レビュー
歴史は一つの流れである、その一つひとつは『点』ではなく『線』でとらえる、点て点が線になり、線と線が面を形作るのです。
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やや眉唾な記載も見受けられるが、井沢氏の史観を一冊でダイジェスト版のような感じでインプットすることができる。 数十倍のボリュームをもつ逆説の日本史、読んだことはないが一体どれだけ詳しい記述がなされているのか…
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著者はWikiによれば歴史小説の作家。 日本の歴史研究と教育について通史にわたり色々と異を唱えているものの、ちょっと眉唾かなあと思った。 例えば、憲法十七条についてはこう書く。 《もし私が、この三社の教科書の憲法十七条に関する記述を(略)残念ながら一〇〇点満点で五〇点も差し上...
著者はWikiによれば歴史小説の作家。 日本の歴史研究と教育について通史にわたり色々と異を唱えているものの、ちょっと眉唾かなあと思った。 例えば、憲法十七条についてはこう書く。 《もし私が、この三社の教科書の憲法十七条に関する記述を(略)残念ながら一〇〇点満点で五〇点も差し上げられません。》 《さらに、この条文の中できわめて異常なのは、最後の一文です。 ここでは、話し合った内容は「おのずから道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない」と断言しています。(略)つまり、話し合いで決めた内容は必ず正しい、と言っているのです。 でも現実にそんなことがあるでしょうか。》 「きわめて異常」な要素は特に見当たらないと思うけどなあ。 好き嫌いが分かれる感じ。
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‘’点と点が線になる‘’ 歴史とは、暗記科目ではない。 過去に生きていた人間の生活の苦労から生み出された、新しいシステムの記録なのだ。 歴史で登場する偉人は、知恵を絞り、そのシステムを生み出した人物という事だ。 システムの変革が起これば、そこに人と人との亀裂が生じる。それがひいて...
‘’点と点が線になる‘’ 歴史とは、暗記科目ではない。 過去に生きていた人間の生活の苦労から生み出された、新しいシステムの記録なのだ。 歴史で登場する偉人は、知恵を絞り、そのシステムを生み出した人物という事だ。 システムの変革が起これば、そこに人と人との亀裂が生じる。それがひいては戦争となる。 秀吉が日本統一しても、今度は存在意義を失った武士の生きる道をあてがわねざならない。それが朝鮮出世の目的だった。 人間が生きていく限り、システムは変革し続ける。歴史はもちろんだが、全ての現象が、この仕組みで説明出来るとまで、思わされた。 古代国譲りの話から、現代に至るまでの、点と点が、正に一本の線となって腑に落ちる、大変わかりやすい歴史解説書である。
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日本史としての流れを理解させてくれる本。 特に平安時代などは雅さしか学校では教えないが、武士の原点などを日本人の気質から考えていて面白かった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
日本史を「点」で教えようとする教科書(過度な史料重視)。これを「線」で結び、歴史の流れを理解させてくれる。 例えば、「武士」を通り巻く流れを、土地政策、武装勢力としての社寺、「穢れ」思想から簡単に纏めてみると次のとおり。 ●土地政策と武士の起こり: 646年公地公民制➜743年『墾田永年私財法』➜荘園(藤原氏などが土地の私有地化を認めさせる(12世紀頃に確立した「不輸・不入の権」で有力貴族や大規模社寺に対する免税制度化)で公地公民の崩壊(国家財政の困窮・治安の悪化)➜土地・生産物を自分達で守る、自衛としての武士(侍)の興り➜武士は正式な土地の所有者として認められなかった➜独立運動(935-40年平将門の乱、939年藤原純友の乱)の失敗➜公家の内部抗争の解決に武士の力(1156年保元の乱)。武士の存在感が増す➜1159年平治の乱・1180-85年治承・寿永の乱を経て、1185年源頼朝は「守護・地頭」を置く(武士が「穢れ」部門(警察部門)を担当(守護)する一方、正式な土地所有者(地頭)となる。武士の世へ➜室町幕府の足利氏は数ある源氏の一門。他の守護大名の臣従意識が低い。足利将軍が統制に失敗し「戦国時代」へ。➜織田信長による職業軍人化(農閑期に限定せず年中戦える、京都に駐留できる)。➜戦力は強化されたが大きな戦いが終わると武士の失業問題が発生(cf. 文禄・慶長の役)➜江戸時代には、武士の官僚への職種転換で解決。➜しかし、戊辰戦争後の西南戦争、征韓論、台湾出兵の背景に同様の問題も燻る? ●武装勢力社寺の武装解除と政教分離: 留学僧は、仏教の教え以外に様々を技術を学ぶ(当時の寺は先端技術輸入センター)➜寺社の利権による物価高--①商人に対してライセンス料を要求(従わないと、寺社という武装集団(僧兵)に排除される。②商品を運搬する際に「関銭」を巻き上げられる。③市場ではテナント料を取られる。➜信長が領主になると寺社勢力の利権撤廃(関所の撤廃、楽市楽座の開設)と武装解除➜庶民は信長を支持➜信長は寺社を介しない経済活性化のため、「城下町」を築く。 ●「穢れ」思想から生じた朝幕併存: 日本人特有の「穢れ」思想(例、京都の死体置き場:鳥辺野、化野(あだしの))➜桓武天皇、死の穢れに触れる部門(兵部省・刑部)を事実上放棄➜治安の悪化➜令外官として軍事・警察の組織「検非違使」の配置➜平安時代末期になると北面武士に取って代わられ、更に鎌倉幕府が六波羅探題を設置すると次第に弱体化。室町時代には幕府が京都に置かれ、「侍所」に権限を掌握されることに。➜全国的には前述の「守護」が警察機能➜室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなる。➜江戸時代の朱子学の導入により、天皇から征夷大将軍に任命され政治の全権を委ねられている徳川家の地位を確固たるものにした。➜朱子学の思想が、幕末の尊王攘夷の思想に繋がり江戸幕府の崩壊を招く。 最後に印象に残ったのは、日本という「話し合い至上主義」のなかでの織田信長のリーダシップの取り方である。「あることをしようと思った場合、それを自分の決断として一方的に押し付けるのではなく、まず主だったものを集め意見を聞く。全ての人に意見を言わせた後、その中から、自分の意見に最も近いものを『お前の意見を採用する』という形で選び実行する」というやり方だ。なるほど、家臣のやる気を高めつつ、リーダーシップを明確にし、迅速な決定に繋がる方法だと感心。
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日本人は和をもって考え、話し合いで考え(話し合い絶対主義)個人で責任を持たない。責任の所在がはっきりしないというのはその通り。 もともと「やまと」という名の一地方政権があり、それが日本を統一した。 大和(やまと)とは 「大きな和」、話し合いによって成立した国家であるから「大和」と...
日本人は和をもって考え、話し合いで考え(話し合い絶対主義)個人で責任を持たない。責任の所在がはっきりしないというのはその通り。 もともと「やまと」という名の一地方政権があり、それが日本を統一した。 大和(やまと)とは 「大きな和」、話し合いによって成立した国家であるから「大和」という字を「やまと」という呼称にあてたのではないか。 ケガレ思想が日本の武士が出来る元になったという説にも多いに納得
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グローバルヒストリーなんかもそうだけど、こうやって因果を連ねて歴史を語られると本当に面白いよね。 だけど歴史の専門家への罵詈雑言はあまりあたっていないような。もうちょっと専門家への敬意を持った方が、自身の学問的な進展もある気がする。
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日本の歴史学は、明治時代にお雇い外国人のルートヴィヒ・リールがランケ流の実証主義的研究を伝えたことに始まります。しかしその後のアカデミズムの歴史研究には、いくつかの問題点があると著者は主張します。 第一の問題としてあげられているのがは、「史料絶対主義」のせいで、歴史を一つの「線...
日本の歴史学は、明治時代にお雇い外国人のルートヴィヒ・リールがランケ流の実証主義的研究を伝えたことに始まります。しかしその後のアカデミズムの歴史研究には、いくつかの問題点があると著者は主張します。 第一の問題としてあげられているのがは、「史料絶対主義」のせいで、歴史を一つの「線」として理解せず、「点」としての理解にとどまっていることです。また、このことと関連して、史料の記録者の背景にある、「言霊」など日本人特有の信仰や風習の重要性が十分に留意されていないことにも言及されています。さらに、専門領域の細分化・タコツボ化が生じていることや、敗戦後、日本人の歴史観に左翼的な歪みが生じていることについても、著者は批判的に取り上げています。 本書で著者がめざすのは、日本の歴史を一本の「線」として理解することです。聖徳太子の憲法十七条によって「和」を尊重するという思想が打ち出されることになり、以来日本人の精神を貫く原理として働いていると著者は考えます。また、「穢れ」を嫌う平安貴族の施政が武士を生み、やがて朝廷と幕府の併存という世界に類を見ない政治体制が長く続いたことや、織田信長の宗教政策、豊臣秀吉の朝鮮出兵、「徳川の平和」の確立と、その幕末における崩壊の理由といったさまざまなテーマについて、それぞれの歴史的背景を説明するとともにそれらの意義を著者自身の立場から解き明かしていきます。
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点と点が線になった時、昔から今現在まで、日本人が他の国の人と違う価値観で生きている、と実感できる。和の世界だけでは、外国に立ち向かえない。メンタリティの内と外への使い分けが重要、と筆者は説いている。なるほど、と共感出来ることも多い。特に、稟議書については1人が反対したら何も決まら...
点と点が線になった時、昔から今現在まで、日本人が他の国の人と違う価値観で生きている、と実感できる。和の世界だけでは、外国に立ち向かえない。メンタリティの内と外への使い分けが重要、と筆者は説いている。なるほど、と共感出来ることも多い。特に、稟議書については1人が反対したら何も決まらない、日本社会を顕著に言い当てている、と思う。
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