近代化と世間 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
この本では、日本とヨーロッパの近代化の過程における個人と社会の関係について比較分析しています。日本には個人という概念がなく、世間という集団の中で生きる人々が多いという主張をしています。ヨーロッパでは、キリスト教や贈与慣行の変化によって、個人が敬意をもって遇される公共性が生まれたというのです。この本はとても興味深いですが、難しい言葉や考え方もたくさん出てきますね。私はこの本を読む前に、ウェブ検索をして、雪舟やミシェル・フーコーという人物について調べました。雪舟は室町時代の水墨画家で、中国に渡って山水画を学びました。彼は自画像というジャンルを日本に初めて持ち込んだ人物です。ミシェル・フーコーはフランスの哲学者で、権力と知識の関係について論じました。彼は告解という慣行が個人を形成する社会的手続きの核心になったと述べました。この本には、この二人の人物に関する話題が出てきます。あなたはこの本を読んで、どんなことを考えましたか?私は、日本とヨーロッパの違いについて考えました。日本では、自分の気持ちや考えを人に話すことが少ないと思います。でも、ヨーロッパでは、自分の内面を語ることが大切だと思われているのでしょうか。私は、自分の内面を語ることができる人がうらやましいです。でも、それは難しいことだとも思います。自分の内面を語ることは、自分をさらけ出すことでもありますから。あなたは、自分の内面を語ることができますか?それとも、世間の目を気にしますか?私は、この本を読んで、自分の内面についてもっと考えてみたいと思いました。あなたはどうですか?
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これまでの主張がコンパクトにまとまっている。第三章は他章と重複する箇所あり、もう少し削ぎ落せたか...。 個人が尊重されない日本が垣間見れる医師とのエピソードは、他領域においても容易に想像がつく。紡ぎだされる結語は、死が間近に迫ったが故の達観なのだろう。 “世間”関連書籍を通読し...
これまでの主張がコンパクトにまとまっている。第三章は他章と重複する箇所あり、もう少し削ぎ落せたか...。 個人が尊重されない日本が垣間見れる医師とのエピソードは、他領域においても容易に想像がつく。紡ぎだされる結語は、死が間近に迫ったが故の達観なのだろう。 “世間”関連書籍を通読してから本書を手に取ることをお勧めする。 「日本人にとっては一年を超える目的をたてることは容易ではないでしょう。目的自体はたてられても、それを具体的に実行する手だてを決めることは難しいからです。将来計画を立てることに不得手なのは「世間」の時間意識の結果なのです。~中略~このような「世間」においては学問はきわめて不利な立場におかれていることになります。学問はこれらの現世的な価値を超えたところで営まれるものだからです。」
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まさに「碩学の新書」であるが、阿部謹也をこの本から読むべきではないと思われる。 彼の「世間」へのアプローチはまさに碩学そのもであり、それを辿らなくては理解の奥行きを広げることもできず本質に迫ることは到底ありえない。 死期が迫っていたこともあり本書での経験に根差した現状批判は珍し...
まさに「碩学の新書」であるが、阿部謹也をこの本から読むべきではないと思われる。 彼の「世間」へのアプローチはまさに碩学そのもであり、それを辿らなくては理解の奥行きを広げることもできず本質に迫ることは到底ありえない。 死期が迫っていたこともあり本書での経験に根差した現状批判は珍しく熱く激しいものであり、遺言のアジテーションのようでもある。 平易にようでいて事の本質に辿りつけない…「世間」とは一体何なのであろうか? 面白くとも難しい…主客分離の迷宮に踏み込む楽しさを味わおう。
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[ 内容 ] 二〇〇六年秋に急逝した歴史家が遺した研究と思索にもとづく、日本人に向けてのメッセージ。 専門の西洋中世史の研究を超えて、日本史、日本現代社会論にいたるまで、幅広い分野で健筆をふるってきた著者による、文字通り「最後の」書き下ろし。 自らの五十年に及ぶ研究をもとに、古今...
[ 内容 ] 二〇〇六年秋に急逝した歴史家が遺した研究と思索にもとづく、日本人に向けてのメッセージ。 専門の西洋中世史の研究を超えて、日本史、日本現代社会論にいたるまで、幅広い分野で健筆をふるってきた著者による、文字通り「最後の」書き下ろし。 自らの五十年に及ぶ研究をもとに、古今東西を縦横に論じる。 [ 目次 ] 第1章 西欧社会の特性 第2章 日本の「世間」 第3章 歴史意識の東西 終章 ヨーロッパと日本 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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「世間とは何か?」の安部謹也の、死ぬ寸前まで書いていた遺作です。彼は、結局行動としての「世間」への対し方は書かなかったように思う。というのも、彼の「行動」は世間に対抗するというよりも大学人の立場でいたのだから、そうしたとしてもひどくはがゆかったに違いない。公演などで出会う人には実...
「世間とは何か?」の安部謹也の、死ぬ寸前まで書いていた遺作です。彼は、結局行動としての「世間」への対し方は書かなかったように思う。というのも、彼の「行動」は世間に対抗するというよりも大学人の立場でいたのだから、そうしたとしてもひどくはがゆかったに違いない。公演などで出会う人には実践派がいて感心してはいたのだが。 この本で重要なところは、同じ近代化を西欧に習って成し遂げた日本の場合と見習った相手「西欧」とのそのプロセスの徹底比較であろう。日本はまるまる西欧の近代化を受け入れたわけではなかった。西欧の「それ」が日本に合わない場合や「欠点」などは切り捨てた。その切り捨てられた部分が日本の奇習である「世間」として温存されてしまったのである。その典型例が、かって西欧にも存在した「賤民」の問題である。被差別集団や、賤民はにほんと同じように社会構造的に形成されるしくみは同じだったのである。西欧の近代化はその構造の消滅に成功したが日本は現代まで残っている。日本は構造的に「世間」までもは変えなかったからである。今となってはこういう言説は非常に重要である。一般に日本は差別的傾向が目に見えない形で内向化する傾向にあるが、これも世間というものを非理論的なナ所に置いてしまった結果なのである。
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近代化における日本と西洋の違いについて書かれた本。日本では「世間」という関係がいかに重要であるか書かれている。
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