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論壇の戦後史 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2024/06/09

『毎日新聞』の文芸部で論壇記者として勤務した経験のある著者が、戦後の論壇史を概説している本です。 丸山眞男が「悔恨共同体」と表現した、戦後まもないころの時代精神のなかから、岩波書店の総合誌である『世界』が刊行された経緯が解説されます。つづいて、高坂正堯や永井陽之助などの「現実主...

『毎日新聞』の文芸部で論壇記者として勤務した経験のある著者が、戦後の論壇史を概説している本です。 丸山眞男が「悔恨共同体」と表現した、戦後まもないころの時代精神のなかから、岩波書店の総合誌である『世界』が刊行された経緯が解説されます。つづいて、高坂正堯や永井陽之助などの「現実主義」の立場を代表する論者たちが登場し、さらに60年安保を契機として、『世界』に代わり『朝日ジャーナル』の隆盛にいたるという歴史がたどられています。 「序章」には、1988年の清水幾太郎の葬儀に記者として参列した著者が、福田恆存、丸山眞男、林健太郎など、戦後の論壇をにぎわせた論者たちのすがたを見かけたことが記されており、「戦後」という時代をリードした人びとが立場のちがいを越えて共通の場所に立っていたことが象徴的に示されているように感じました。それとともに、そうした時代がすでに遠く過ぎ去ってしまったことも感じさせられます。

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2012/09/19

あまり面白くない。新聞記者出身なので、非常に読みやすい文章です。現住所は学者なので、少し学者っぽいです。ほとんどのエピソードは、この分野に興味のある人ならば、既知なことばかりです。また、一つ一つの記述は薄味です。一番興味深いエピソードは、山本全共闘議長と吉野編集長の関係です。娘さ...

あまり面白くない。新聞記者出身なので、非常に読みやすい文章です。現住所は学者なので、少し学者っぽいです。ほとんどのエピソードは、この分野に興味のある人ならば、既知なことばかりです。また、一つ一つの記述は薄味です。一番興味深いエピソードは、山本全共闘議長と吉野編集長の関係です。娘さんの家庭教師だったんですね。意外な関係です。また、引用として、小熊氏の著作が取り上げられることが多いです。何故、なんでしょう。小熊さんの本読んでみようかなと思いました。「正論」の発端がわかったのも、よかったです。

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2010/05/29

[ 内容 ] 戦後の日本は「悔恨共同体」から始まった。 終戦直後、清水幾太郎らが作った二十世紀研究所には林健太郎、丸山眞男、福田恆存など、その後立場を異にする人たちが集まっていた。 以後、彼らが活躍する舞台となる論壇誌は、いかなる問題を、どのように論じてきたのか。 論壇が存在感を...

[ 内容 ] 戦後の日本は「悔恨共同体」から始まった。 終戦直後、清水幾太郎らが作った二十世紀研究所には林健太郎、丸山眞男、福田恆存など、その後立場を異にする人たちが集まっていた。 以後、彼らが活躍する舞台となる論壇誌は、いかなる問題を、どのように論じてきたのか。 論壇が存在感を持っていた時代を鮮やかに描き、「戦後」に新たな光をあてる。 [ 目次 ] 序章 一九八八年八月一二日、四谷霊廟 第1章 「悔恨共同体」からの出発―二十世紀研究所のこと 第2章 「総合雑誌」の時代―『世界』創刊のころ 第3章 天皇・天皇制―津田左右吉と丸山眞男 第4章 平和問題談話会―主張する『世界』 第5章 『世界』の時代―講和から「六〇年安保」へ 第6章 政治の季節―「六〇年安保」と論壇 第7章 高度成長―台頭する現実主義 第8章 『朝日ジャーナル』の時代―ベトナム戦争・大学騒乱 終章 「ポスト・戦後」の時代―論壇のゆくえ 補章 戦後「保守系・右派系雑誌」の系譜と現在 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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2018/10/14

毎日新聞で学芸部等を長年担当した著者による、戦後の論壇を飾った主要な論客の流れの概説書。丸山真男の「超国家主義の論理と心理」がエポックメーキングだったとあるが、どのような論文だったのか読んでみたい気がする。

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2009/10/04

1988年8月に営まれた清水幾太郎の葬儀。最前列のVIP席に案内された福田恒存、居たかもしれない林健太郎、一般席に佇んでいた丸山真男。会葬者の中にいた人々と清水を加えた4人の姿に「戦後思想史の象徴的な場面を見た」思いをするところから、筆者は書き始める。長年、毎日新聞の論壇記者を務...

1988年8月に営まれた清水幾太郎の葬儀。最前列のVIP席に案内された福田恒存、居たかもしれない林健太郎、一般席に佇んでいた丸山真男。会葬者の中にいた人々と清水を加えた4人の姿に「戦後思想史の象徴的な場面を見た」思いをするところから、筆者は書き始める。長年、毎日新聞の論壇記者を務めた。その仕事をしながらの思いをまとめている。 考えてみれば、今でも月に一度、新聞には「論壇時評」といった固定欄がある。「論壇」ウオッチングということで、総合誌や最近では随分とウイングを広げて、その時代思潮のようなものを紹介したりしている。それにしても「論壇」という「壇」がなくなってしまっているのかもしれない。因みに「壇」とは、大辞林によると(1)一段と高くこしらえた所や設備。「―に登る」「ひな―」(2)土を盛ったりして高くした祭りや儀式を行う場所。(3)〔梵 maala〕土を盛ったり、木で囲ったりして作る修法や授戒などを行う特殊な場所――。新聞に「壇」でほかに残っているのは、「歌壇」「俳壇」くらいか。文壇、画壇は文芸時評など、別の表現になっている。 ちょっと「高み」から、モノを言っていた人たちを認め、認められた人たちが戦後の日本を「あるべし」と考え、むしろ多くは「行ってはならない方向へ行くこと」を阻止しようとして主張してきたことが、「論壇の戦後史」でもある。清水幾太郎の話から始まったが、筆者は「戦後の日本は『悔恨共同体』から始まった。」と帯に書いている。冒頭の会葬者たちは、いずれも二十世紀研究所に集った人たちだ。そして岩波書店の「世界」を軸とする総合雑誌と、そこに集い、離れていった人たちの話が続く。「世界」が岩波を戦前から支えてきた「オールド・リベラリスト」たちの 願いもあってスタートしたものの、津田左右吉の皇室をめぐる論文「建国の事情と万世一系の思想」掲載など「オールド」の限界の前に、丸山真男らの「ニュー」と入れ替わってゆく。日本の占領終了、つまり戦後世界への復帰を前に二分された「全面講和」か「単独講和」の論争。冷戦の現実を踏まえながら、理想主義がどこまで有効なのか……。 スターリン批判、ハンガリー事件、とソ連と社会主義国のカーテンの向こうの動きに、有効に理論構築ができなかった理想主義の陣営。60年安保。「声なき声の会」という組織なき組織。ベトナムに平和を市民連合(べ平連)への流れ。大学解体を叫んだ全学共闘の時代、ノンセクトラジカルに寄り添った形で読者層が一気に膨れ上がった朝日ジャーナル。 あの時代以降、論壇というものが、ひょっとするとありえなくなっているのかもしれない。活字離れが言われたが、それ以前に、偉そうにものを言う人への不信、「ナンセンス」の異議申し立てが「壇」を壊したのかもしれない。 今の時代、決して「壇」ではないのに、似非「壇」があるのが、テレビのニュースショウであろう。そのコメンテーターに求められているのは「短時間に、端々は切り捨ててでも、白か黒かを語ること」のように思われる。「朝まで生テレビ」というのが新しいテレビのジャンルになったころと、論壇が論壇でなくなったころと、どこかでクロスしているような気がするのは、勝手な思いだろうか。 筆者の奥武則氏は、毎日新聞で学芸部長、論説副委員長を務めた。私と同年代という近親感もあって、『スキャンダルの明治――国民を創るためのレッスン』 筑摩書房(ちくま新書)1998年■『大衆新聞と国民国家――人気投票・慈善・スキャンダル』平凡社2000年といった著書も読んできた。読みやすいことと、いろいろ考える契機を与えてくれる。

Posted byブクログ