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族長の秋 他6篇 の商品レビュー

4.1

18件のお客様レビュー

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2024/10/13

6本の短篇を含むが、メインは表題作「族長の秋」。 290ページ弱に渡るボリュームなので通常の書籍なら1冊分であろうが、全集の1分冊なので、お得感ある構成。 『百年の孤独』の文庫版巻末に、筒井康隆が激賞し、激しくお勧めしてくる本作。 とある小国の独裁者である大統領が思うがままに権...

6本の短篇を含むが、メインは表題作「族長の秋」。 290ページ弱に渡るボリュームなので通常の書籍なら1冊分であろうが、全集の1分冊なので、お得感ある構成。 『百年の孤独』の文庫版巻末に、筒井康隆が激賞し、激しくお勧めしてくる本作。 とある小国の独裁者である大統領が思うがままに権力をふりかざし濫用しそして息をするように人を殺す。 驚くほどの長寿で、永遠とも思える時間権力の座につき傍若無人に振る舞う。 まだ比較的若いときは、しっかりとした認識のもとで残虐性を発揮し、心身が衰えてきた後は、衰えたなりに都合の良い解釈をしながらやはり残虐性を発揮する。 とにかく人が死ぬ。 それだけの物語と言っても過言ではない。 それだけの物語なのだが、本作、相当クセがある。 「百年」も若干クセがあったがそれでもかなり読みやすかった。 一方の本作のクセは、若干どころではない。 まずすぐに気がつくのは、段落がほとんどない。 一つの段落だけで100ページ近く、一息に綴られる。だいぶ辛い。 そして、その猛烈に長い一段落の中で、視点と時制がぐるぐる回る。 その上、固有名詞よりも人称代名詞が多用されるため、誰の視点で綴られているのかがわからなくなる。 さらにもう一つ。本作を決定的に特徴付けているのが、句点「。」の代わりに読点「、」を使っている部分が多くあるため、文の切れ目がわからなくなる。 本当に読みにくい。 読むのに、相当の集中力を必要とする。 半ページでも流し読みしようものなら、もう何の話をしているのかわからなくなる。 これは私の解釈なのだが、これは、永遠とも思える長い時間権力の座についた大統領が死ぬ間際に見た「夢」のようなニュアンスを出したかったのではないだろうか。 常夏の小国、燦々と降り注ぐ太陽の昼下がり。 すべてが寝静まったかのような静かな空間で、ハンモックに揺られながら涅槃にさしかかろうとしている残虐な大統領が見ている「夢」みたいなイメージをもつと、上記のクセがなんとなく理解できるのだ。 すべてが曖昧。すべてが夢うつつ。 本当に読むの辛かった。大変だった。 でもね、面白いんだ。 とにかく人を殺す。女性を襲う。ひどい。 でもこれがガルシア=マルケスの文章に乗ると、憎めない。 コミカルで、ユーモアがあり非常に人間らしく、憎めない。 ユーモアのある文章というのは、この作家の一つの特徴だと思うけど、本作ではその才能を隅々まで堪能できる。 さっきも書いたけど、一文でも読み飛ばすと置いてけぼりを食うけど、その一文一文は読み飛ばすのが勿体ないくらい詩的で楽しい。 読み終わるまで相当時間がかかることは覚悟して。 その上で、少しずつでもじっくり吟味していったら、この作品の素晴らしさがわかると思う。

Posted byブクログ

2024/08/24

何度も読んでいる、大好きすぎる小説。 百年の孤独文庫版の、筒井康隆先生の解説のなかで、百年の孤独の次はこの小説を読めと勧めている。 この小説の一番面白いであろう箇所、ロドリゴ=デ=アギラル将軍の最期については、その解説のなかでは触れられてない。ネタバレせずに、読んだ人に強烈にたま...

何度も読んでいる、大好きすぎる小説。 百年の孤独文庫版の、筒井康隆先生の解説のなかで、百年の孤独の次はこの小説を読めと勧めている。 この小説の一番面白いであろう箇所、ロドリゴ=デ=アギラル将軍の最期については、その解説のなかでは触れられてない。ネタバレせずに、読んだ人に強烈にたまげてほしい、という筒井康隆先生の想いがあるんやと思う。

Posted byブクログ

2020/02/15

芸術には、“すごい”という“好き”とは別のものさしがたしかに存在する。ガルシア=マルケスはわたしのなかで間違いなく“すごい”作家だ。“上手い”とはまた違う、スポーツで言ったら“強い”に当たるだろうか。“力”のある作品、それが“すごさ”だ。 この本に収められた作品でも、長ければ長い...

芸術には、“すごい”という“好き”とは別のものさしがたしかに存在する。ガルシア=マルケスはわたしのなかで間違いなく“すごい”作家だ。“上手い”とはまた違う、スポーツで言ったら“強い”に当たるだろうか。“力”のある作品、それが“すごさ”だ。 この本に収められた作品でも、長ければ長いほど“すごさ”がある(短編はすべて長編「族長の秋」のための筆慣らしだったと解説にはあるが)。ガルシア=マルケスが構成"力"に秀でていることの現れだろう。ガルシア=マルケスといえばその語り口、文章力も取り上げられがちだ。しかし文章力は構成力を通じて迫ってくる。 ガルシア=マルケスといえば「百年の孤独」であり、「百年の孤独」の構成といえば連綿と続く、ときに読者を逃してしまうようなものだ。しかし、「族長の秋」は複雑なようでとてもシンプルである。物語はつねに死体から始まる、そしてほぼ時系列順に彼の周囲の者が現れる。1人にスポットを当てた効果だろう。(風と「はい、お祖母ちゃん」が繰り返される中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」の構成はその中間にあると言える。)

Posted byブクログ

2015/11/26

 かつて牛がそのバルコニーに顔を出したという混沌とした大統領府で、ハゲタカに食い荒らされた族長が発見されるシーンからこの物語は始まる。そして複数の語り手によって、彼の、権力への執着が生む疑心と臆病に満たされた、孤立した生涯の日々が語られる。語り手は、あるときは関係者、あるときは大...

 かつて牛がそのバルコニーに顔を出したという混沌とした大統領府で、ハゲタカに食い荒らされた族長が発見されるシーンからこの物語は始まる。そして複数の語り手によって、彼の、権力への執着が生む疑心と臆病に満たされた、孤立した生涯の日々が語られる。語り手は、あるときは関係者、あるときは大統領自身、あるときはうわさ話であるが、だれもが(大統領ですら)名を持たない。主語の明確でない語りは、文章の端々に「そうであるならば」という言葉を響かせているようであり、仕掛けはギリシア神話に置かれていながらも、その情緒が日本的な精神性と大いに重なる印象が深く残る表題作は秀逸。  雨にはたき落とされた天使、凛々しく堂々たる体躯で生者を魅了する水死体など、神話的な枠組みで生と死を色濃く描く6短編を併録。

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2015/04/14

「族長の秋」を含めた7作品 『この世でいちばん美しい水死人』浜に打ち上げられた漂流物、水死体。魅了される女たち。エステーバンと名付けられる。 『族長の秋』大統領府の死体。独裁者たる大統領、母、妻、将軍、影武者。次々と移り変わる語り手。

Posted byブクログ

2015/01/09

やっと読むことができました。なんという濃厚さ。語り手がいつの間にか自由に変わっていくところや、時間や視点が折り重なって修飾される文体に、やっつけられました。まるでピカソの絵のようです。

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2014/11/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

マルケスの中ではこれはちょっと苦手な作品だ。短編は他のもばらばらに読んだことがあるけれども、あれ?これは他の話にも入ってたエピソードだよな?というのがちらほら散見。

Posted byブクログ

2018/10/14

131012 中央図書館 視点のすべてを這いまわるような濃厚さが、日本人にはちょっと辛い感じだが、これが世界標準の文学だろうか。

Posted byブクログ

2013/10/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「週末にハゲタカどもが大統領府のバルコニーに押しかけて、窓という窓の金網をくちばしで食いやぶり、内部によどんでいた空気を翼でひっ掻きまわしたおかげである。全都の市民は月曜日の朝、図体のばかでかい死びとと朽ち果てた栄華の腐れた臭いを運ぶ、生暖かい穏やかな風によって、何百年にもわたる惰眠から目が覚めた。」 カリブ海に面した諸国で出版される本には「独裁者もの」というジャンルがあるそうだ。実在の独裁者の逸話そのものが破天荒なものらしいが、ヨーロッパその他の国ではあり得ないことがほんとうに起こり得るのが、ラテン・アメリカ諸国なのだ。ルポルタージュ作家だったマルケスは、周到な用意をしてこの作品に取りかかっている。 主人公の独裁者である大統領その人のエピソードには、作家が収集した実在の独裁者たちの信じられないような行跡が集約されているらしい。国営の宝くじでいつも自分たちが利益を得るように、当たり籤の球(それだけが冷やされている)をひいた二千人もの少年たちが要塞の中庭に閉じ込められていたり、一番信頼していた将軍を丸焼きにして食卓の上にのせたり、という如何にもマルケスらしい駄法螺めいた逸話の数々も、ひょっとしたら実際にあったことなのかもしれないという、うすら寒い疑惑がつきまとう。 米英の傀儡政権としてたまたま大統領になった娼婦の息子が、権力者でいるために周囲の簒奪者を次々と屠り、その挙げ句が水占いによって百年以上も権力者の位置に縛りつけられるという、悲喜劇めいた物語である。象の足跡を思わせる巨大な足と、同じくヘルニアのため肥大化した睾丸の持ち主という主人公の姿は戯画化されてはいるが、神話的な聖痕を思わせる。 物語の主題は「孤独」。王にも似た権力を持ちながら、その育ち故に外国から来る賓客たちと同席させられない母親を別の屋敷に住まわせ、自分が時折そこを訪れるという暮らしぶり。叛乱を恐れるあまり自分の軍隊の火薬に砂を、銃には空砲をつめ、寝るときは、自分で三重の錠前に三重の鍵をかけるという徹底した用心ぶり。愛した女はそのあまりの乱脈な生活を疎まれ、訓練された六十匹の犬に我が子と同時に喰い殺されるという有り様。 最も悲惨なのは、彼の周りには真実というものがないということだ。彼が権力の座にいることで、甘い汁を吸える部下たちは、彼の命令を待たずに勝手にものごとを進めていく。その結果、彼の周りには塀が建てられ、醜悪な現実や不都合な真実は見えないようになっている。老いた大統領は、通学途中の女子高生に声をかけて淫らな行為をくり返すのを愉しみにしていたが、それさえも親たちの苦情で部下が動き、娼婦に変装させていたことが分かる。 まるで螺旋階段を一階上るたびに階下の光景をのぞき見るように、何度も何度も同じ光景がくり返し想起される。階級章のない麻の軍服を着て、片方だけ金の拍車のついた長靴を履き、右腕を枕代わりに俯せになった死体。物語は荒れさびれた大統領府の情景から始まり、大統領の最期の場面で終わる。その死体を廻って一人の男の波乱に満ちた生涯が描かれるのだが、腐敗、乱脈を極めるその一生が、極めて倍率の高いレンズによって拡大されたものであって、その拡大鏡をはずしてみたとき、どこにもいる愚かなそれ故にひときわ悲しい人間の姿が見える。 会話も地の文も改行なし。われわれという無名者の語りによって始められた語りは、いつの間にか、次々と主人公やその母にとってかわられ、視点人物を特定することは難しい。ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』のように登場人物が替わるたびに話者が交代する「意識の流れ」の手法ともちがって、変幻自在の文体は、『百年の孤独』のそれとはまたひと味も二味もちがう。しかし、読み終わって本を置くまで、そんなことは気にならなかった。事あるごとに具体的な数字を挙げて実在感を増そうとする工夫や、五感を総動員して具体的なイメージを織り上げる饒舌なスタイルは健在である。 他に『百年の孤独』の文体から自由になるための文体練習のように書かれた六篇の短篇を含む。童話めいた、この数編の方を好む読者も多いだろう。評者もかつてはそうだった。しかし、マルケスの長編の魅力に一度はまると、その読後の多幸感は短篇の比ではない。是非『族長の秋』の圧倒的な迫力に触れていただきたいと思う。

Posted byブクログ

2013/02/13

短編数本+長編「族長の秋」短編の「この世でいちばん美しい水死人」が気に入り。「族長の秋」はリアルだけどどこか幻想的で良かった。ガルシア・マルケスならではのどっしりとした剛健な文章が光る。

Posted byブクログ