コドモであり続けるためのスキル の商品レビュー
読んでて苦しくなったからやめた。 疲れた。 著者が自分のために書いた本で、被害者意識が強いと感じたからかな。 文章も入って来ない。 これ、本にしてもいいの?とまで思った。 多感な時に読まないほうがいい気がするな。
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結論は妥当だと感じる。 そして僕は以前から、「社会的な弱者は本人の努力が足りないからだ」といったような言説には嫌悪感を持っていたし、そこの感じも著者と共通するはず。 でもなぜだろう?なんとなく、諸手を挙げて大賛成できないのは。 たぶん話に現実感がなさすぎるってのと、「大人」を敵...
結論は妥当だと感じる。 そして僕は以前から、「社会的な弱者は本人の努力が足りないからだ」といったような言説には嫌悪感を持っていたし、そこの感じも著者と共通するはず。 でもなぜだろう?なんとなく、諸手を挙げて大賛成できないのは。 たぶん話に現実感がなさすぎるってのと、「大人」を敵視して、「コドモ」との対立構造を強めようとしているように見えるからだと思う。 あと、筆者の望む世界を実現させるのに、戦略が間違ってないか?とも思うんだ。 自分の中で結論は出ていないけど、何か違和感を覚えてその原因を探す、という営みの機会を与えてくれた点で、本書には感謝。
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ゆえあって、今になって精読。リンドグレーン『長くつしたのピッピ』の引用からの導入。わかりやすい。学校という枠組みで働いている小生にとって、耳の痛い話ばかり。しかしそれにもこの本のなかの言葉を借りれば「当事者主権」があるよね。「当事者主権」をよりどころにする「新しい社会運動」。その...
ゆえあって、今になって精読。リンドグレーン『長くつしたのピッピ』の引用からの導入。わかりやすい。学校という枠組みで働いている小生にとって、耳の痛い話ばかり。しかしそれにもこの本のなかの言葉を借りれば「当事者主権」があるよね。「当事者主権」をよりどころにする「新しい社会運動」。その運動の対象がなくなったとき、個人はどうなっていくのだろう。心情的にはよくわかるんだけど。
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社会に適合できない人物とみなされている引きこもりやニート目線で、別に無理に適合する必要はないんでない?ということを述べた本。
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前半は 難しい言葉をこねくり回し 何を言っているのやら 多分 著者自身わからないのではないか 後半は一転 やさしい言葉でわかりやすい 著者の言葉 経験からくる言葉かな 不登校 自分は経験していないが 彼らは家でなにをしているのだろう 行きたくなければ学校なんて行かなくて...
前半は 難しい言葉をこねくり回し 何を言っているのやら 多分 著者自身わからないのではないか 後半は一転 やさしい言葉でわかりやすい 著者の言葉 経験からくる言葉かな 不登校 自分は経験していないが 彼らは家でなにをしているのだろう 行きたくなければ学校なんて行かなくてもいいけど 勉強だけはしておいたほうがいいと思う あと運動も 学校は勉強するところだけど 勉強なんて学校じゃなくても どこでもできるのだから
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将来への不安、生きづらさはどこから来るんだろう。それは今の社会に「適応」できないからかもしれない。無理に適応して大人になるのもいいけど、適応せずにコドモのままでいたっていい。そういうお話。学生向けの社会学・フェミニズムの本で、口調が砕けているためとても読みやすかった。
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もう一歩惜しい感じ。 でも、大人になりきれない自分を否定し続けるよりも、受容して生きていけばいいんじゃない?ってことなんじゃないのかな、きっと。 外の目線や、他人との比較に敏感な思春期にコレを読むのは効果的なのかもしれない。 わたしはこの書物の対象年齢からすると、もう...
もう一歩惜しい感じ。 でも、大人になりきれない自分を否定し続けるよりも、受容して生きていけばいいんじゃない?ってことなんじゃないのかな、きっと。 外の目線や、他人との比較に敏感な思春期にコレを読むのは効果的なのかもしれない。 わたしはこの書物の対象年齢からすると、もう「将来」にいてしまう身。 もっと多感だった頃に読んでみたかったな。 つーか、著者さんが同い年なのね。
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「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、「研究」と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる。」『べてるの家の「当事者研究」』より 好きじゃない。 書いてあることはすべて納得する知っている事実だけれど、それとコドモであることとどうつながるのか? コドモの前に...
「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、「研究」と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる。」『べてるの家の「当事者研究」』より 好きじゃない。 書いてあることはすべて納得する知っている事実だけれど、それとコドモであることとどうつながるのか? コドモの前に「生きづらい」とか「不登校の」コドモと、形容詞がつくコドモのための話かと。 更に、冒頭の言葉だけれど、著者はこの言葉に打ちのめされたと、書いているけれど、研究ってワクワクするから、知りたいからするんじゃないのかしら?大変でも辛くても、知りたいから分かりたいから、その時がとてもワクワクするから、研究するのだと今までの私もおそらく私の周りの人たちもそう感じながらやっているように見えてきた。 改めて感じることはあるけれど新発見ではない。 フェミニズムや、教育格差の話を始め、今更な当たり前のことがポンポンと飛んで飛んで“コドモ”のためとか、“十代の若い人”のため、とかではなく著者のための本に感じた。 後半はかなり飛ばし読みの一意見。はぁっ。 【7/22読了・初読・市立図書館】
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自分自身どうしてこんなに不器用なんだろうって悩むこともある。 でも、本当の問題は、「自己責任」だって思いこんでいたことかもしれない。 確かに、自分にも責任はある。 でも、頑張ってもどうしようもないこともある。 そういうとき、さらに自己嫌悪に落ち込むのか? 社会に目を向...
自分自身どうしてこんなに不器用なんだろうって悩むこともある。 でも、本当の問題は、「自己責任」だって思いこんでいたことかもしれない。 確かに、自分にも責任はある。 でも、頑張ってもどうしようもないこともある。 そういうとき、さらに自己嫌悪に落ち込むのか? 社会に目を向けてみるのか? 時には怒ってもいいんだ。 自分じゃなく世の中に。
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「より道パン!セ」シリーズ。 内容が深く、じっくり読んだ。 ぎすぎすしたオトナ社会に「適応」出来ずにスポイルされる、それは人が問題なのではなく、そんな社会のあり方が問題なのだ。 「当事者主権」という考え方に興味を持った。 ーー大切なのは「いつも正しくある」ことで...
「より道パン!セ」シリーズ。 内容が深く、じっくり読んだ。 ぎすぎすしたオトナ社会に「適応」出来ずにスポイルされる、それは人が問題なのではなく、そんな社会のあり方が問題なのだ。 「当事者主権」という考え方に興味を持った。 ーー大切なのは「いつも正しくある」ことではなくて「時には正しくあり得ないかもしれない」ことを知っていること、じゃないだろうか。ーーこんなフレーズにも惹かれた。 真摯な姿勢に対して星は4。 作成日時 2007年12月24日 05:36
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