私が独裁者?モーツァルトこそ! の商品レビュー
ベルリンフィル創立100周年のイベントにチェリは招かれなかった。 禅からのインスピレーションを受け、、ライトモチーフは「始まりは終わりの始まり」 音楽が美しいと思うのは間違い、それは真実の啓示である。 音楽で美しいものを体験しようとしても無理。音楽は真実が問題なのだ。美は疑...
ベルリンフィル創立100周年のイベントにチェリは招かれなかった。 禅からのインスピレーションを受け、、ライトモチーフは「始まりは終わりの始まり」 音楽が美しいと思うのは間違い、それは真実の啓示である。 音楽で美しいものを体験しようとしても無理。音楽は真実が問題なのだ。美は疑似餌に過ぎない。 音楽はあなたの心の中の1度限りのものを振り出してくれる。それ以上に美しいものはない。 どんな楽譜も独自の様々な問題を含んでいる。ただどんな問題であれ、あるひとつの目的のために前もって片付けておかねばならない。その目的とは細部の多様さをひとつに統合し、それを全体として浮かび上がらせること。 テンポは定義できない。テンポは独自で存在しない。だから間違っでいるわけでも正しいわけでもない。テンポは速度と関係していない。 我々が音楽を他人のためにするというのは幻想。しかし音楽は他者も真実に触れるひとつの可能性ではある。 フランク・ペーター・ツィンマーマン あなたが聴く楽の音が、あなたの中で何かを呼び覚ますものでなければ、それっきりのものでしかない。 禅がなかったら、初めに終わりがあるという奇妙な公案を体験できなかったろう。音楽はこの公案の具体化。 音楽の敵はルーティン。
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「幻の指揮者」 自分がこの指揮者の演奏に出会った当時、呼ばれていた言葉である。 ブルックナーの交響曲6番が、NHKのテレビ番組で放送されることになった。 興味津々でテレビの前に座った。 開始1分で、自分は、その音楽に魅了された。 響き、そして、音楽の説得力。 これまで耳にして...
「幻の指揮者」 自分がこの指揮者の演奏に出会った当時、呼ばれていた言葉である。 ブルックナーの交響曲6番が、NHKのテレビ番組で放送されることになった。 興味津々でテレビの前に座った。 開始1分で、自分は、その音楽に魅了された。 響き、そして、音楽の説得力。 これまで耳にしていた音楽とは、根本的に何かが違っていた。 「録音」を否定している指揮者のため、当時持てる限りの情報を使って、10年以上にわたり、海賊盤(非正規盤)を手当たり次第に購入し鑑賞した。 残念ながら、実演には接することができなかった。 それが正しい姿ではなかったかもしれないけれども、チェリビダッケの音楽に出会えたことは、自分の人生にとって幸運であった。 氏の言葉を集めたのが、この本である。 チェリビダッケは、毒舌で知られている。 同時代の指揮者カラヤンを「コカコーラ」と評するなど 口の悪さは(ある意味)絶品である。 しかし、言葉の中に、真理を持っているものもある。 それを嗅ぎ分け、大切にしていく。 これからも、音楽を続けていく限り。
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往年の名指揮者、チェリビダッケ。カラヤンなんかに比べるとやや傍流で「渋好み」なポジションだったようである。 その音楽に向かう厳しさゆえなのか、毒舌でも知られる巨匠だが、その毒舌を集めた本である。 と書くとちょっと悪趣味な気もする(笑)。 発言の特定の部分だけを抜き出すと、ど...
往年の名指揮者、チェリビダッケ。カラヤンなんかに比べるとやや傍流で「渋好み」なポジションだったようである。 その音楽に向かう厳しさゆえなのか、毒舌でも知られる巨匠だが、その毒舌を集めた本である。 と書くとちょっと悪趣味な気もする(笑)。 発言の特定の部分だけを抜き出すと、どうしても曲解が入り込む余地があるだろうし。 でも、おもろいもんはおもろい(笑)。 アバドに対して「才能なく、厄災」とか、カラヤンに対して「指揮ぶりはマヨネーズを混ぜているごとし」とかこき下ろす。氏特有の、レコード(録音)への罵詈雑言もある。一方、ブルックナーやフルトヴェングラーへの愛が語られる。 音楽の考え方については哲学的で難しい言葉もあるが(禅にも傾倒していた)、稀代の個性の一端を垣間見られる本なのである。
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こうして彼の言葉を聞けるのは素晴らしいことだが、どうせならインタビューやプローべの様子を全文掲載して欲しかった。
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