スクールアタック・シンドローム の商品レビュー
元々は『みんな元気。』という単行本で出版されたのが、文庫化にあたって『みんな元気。』と『スクールアタック・シンドローム』に分冊されている。『みんな元気。』の収録作は「みんな元気。」「Dead for Good」「矢を止める五羽の梔鳥」。『スクールアタック・シンドローム』は「我が家...
元々は『みんな元気。』という単行本で出版されたのが、文庫化にあたって『みんな元気。』と『スクールアタック・シンドローム』に分冊されている。『みんな元気。』の収録作は「みんな元気。」「Dead for Good」「矢を止める五羽の梔鳥」。『スクールアタック・シンドローム』は「我が家のトトロ」「スクールアタック・シンドローム」に書き下ろしの「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」だ。 電子書籍で全部読もうとすると『みんな元気。』は単行本版で電子書籍化してしまっているので『スクールアタック・シンドローム』(文庫)は「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」を読むためだけに買うことになる。もう少しどうにかならなかったのかと思うが、この「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」がかなりの良作で、この一編を読むためだけに買っても後悔はないと思う。人によっては「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」をベスト舞城に挙げる人もいるとか。 以下「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」についての感想(ネタバレあり)。 「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」が舞城作品の中でも際立った作品であることは間違いない。どこが際立っているかというと、この短編では主人公に純粋さ(自分の感情に正直で屈託のないこと)があるにも関わらず、ことが解決せず終わる。私は舞城作品をようやく半分くらい読んだところだが、少なくとも「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」までの作品で、このような結論をとった作品はなかった。舞城作品では共通して、自分の感情に正直であることが重要視される。自分の偽りなき感情や、ときに偽らざるを得ないという心情を、受容することで主人公は問題を乗り越えていく。ときには殺人事件などの不可逆的破壊によって、一般的に平和と呼ばれるような理想的な状況に回復しないまま終わることもある。それでも、舞城作品の主人公たちは、どうしようもないことを受容することで、ニュートラルに、自分の人生を生きるすべを見つけていく。「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」は今までのそういった純粋性至上主義に対するアンチテーゼのような作品だ。そもそもが死の悲しみやままならないことへの足掻きに対するアンチテーゼとして舞城王太郎作品はあったけれど、今作はそのさらに揺り返しをやろうとしている。「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」では主人公はステレオタイプ的な恋愛や友情を脱して、ただ相手を大切にする想いを「友情」として再定義して、杣里亜を壊そうとする家族から彼女を救い出そうとする。しかし力及ばず、諦めざるをえない。そこで諦めるしかできないことにも真剣に向き合おうとする。ここまでは舞城作品的主人公のあり方なのだが、そこからこの作品では、主人公と杣里亜の関係が自然消滅してしまう。そして、主人公は、どこかそのように関係が遠ざかってしまったことを受け止めきれていないように読める。「杣里亜が俺の真の友達だったことって一度でもあっただろうか?」とまで言ってしまう。その後に、真の友達なんてなくて友達は友達で、自分から遠いところにいても幸せになって欲しいと『好き好き大好き超愛してる。』の冒頭の独白に通じる"祈り"の文章へと繋がっていくのだが、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」の"祈り"は儚い感じがする。冒頭のソマリアについての解説を回収する形で紡がれるラストの言葉は、短編小説の構造としてはとても美しいけれど、同時に諦観を帯びているように感じた。
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短編三作品を収録しています。 「スクールアタック・シンドローム」は、30歳の父親と15歳の息子の物語。精神を病んでしまったことを理由に、ソファで日がな一日すごしている三田村は、家のなかに入ってきた知らない男と乱闘になり、彼の耳をかみ切りますが、やがてそのことが暴力の連鎖の一コマ...
短編三作品を収録しています。 「スクールアタック・シンドローム」は、30歳の父親と15歳の息子の物語。精神を病んでしまったことを理由に、ソファで日がな一日すごしている三田村は、家のなかに入ってきた知らない男と乱闘になり、彼の耳をかみ切りますが、やがてそのことが暴力の連鎖の一コマを占めていたことが明かされます。一方、別居中の元妻の恭子から、息子の崇史が学校を襲撃する計画のノートを記していたことがわかります。三田村は、親として崇史との心のつながりを得ることができないものの、崇史の振る舞いもまた、暴力の連鎖の一コマであったことがわかり、親子のきずなとはべつの共感が生まれたことが示唆されます。 「我が家のトトロ」は、太陽のように輝く美しい毛並みをしている猫のレスカと、家族の物語です。脳の研究者にならなければならないという天啓を受けた慎平は、勤めていた広告代理店を辞め、受験勉強をつづけています。彼の娘である千秋は、トトロのように大きくなったレスカに乗って空の旅をたのしんだと話し、妻のりえも千秋の「トトロごっこ」をいっしょにたのしんでいるようすを見せます。慎平は、自分たちが希望をもっている「ふり」をしながら生きていることに思いをめぐらせます。 「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」は、家族やクラスメイトたちの暴力を一身に受けつづけている杣里亜という少女をめぐる物語。徳永と交際している智春は、世界のゴミをゴミ箱に入れるように、杣里亜に暴力を振るい彼女を殺害しますが、死んだはずの杣里亜はなぜか蘇生して、徳永の前にすがたを現わします。 「スクールアタック」と「ソマリア」は、著者らしいテイストの作品です。「トトロ」は、伊坂幸太郎の作品を思わせる内容で、著者はこういう作品も書けるのかと、すこし意外に感じました。
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「スクールアタック・シンドローム」4 「我が家のトトロ」3 「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」3
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デスメタルで演奏されるマタイ受難曲のような、3つの短編。どれも死が過ったり、直面したりもするけれどトイレをするように軽い。 好きじゃないけど、凄い熱量で一気に読んでしまった。
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始めての舞城。おもろかったー。 無茶苦茶な感じがいい。 どの話も印象深くて、引き込まれて、残る。 真の友達なんてない。救われた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
10年ぶりくらいだろうか。再読 「スクールアタック・シンドローム」 15歳の時に生まれた別居中の息子。その息子がノートに学校襲撃計画を立てているという話。一応父と息子の関係、それから「暴力は伝染する」、「過剰防衛、マタギ(攻撃者)と獲物(被害者)?」といったことがテーマなんだろうか?舞城の主人公たちは考えていることを直接的に表現するから、普通は物語の進行とか、ストーリーを通して間接的に表現するんじゃないのかな?ってことまで何だか解説してくれているみたい。 他の作家だと説明しすぎて嫌になるようでも、舞城の作品であればそれほど気にならない。また見開き全ページ軽い調子の会話文だけで構成されているようなのも懐かしいおなじみ。 ただ、舞城の主人公たちはいつも自分が正しいかのように振る舞う。もちろん間違っていると自覚していることもある。でも、この話でも息子は結局猫を殺しているわけだし、自分が無職であって酒に溺れてたことを、そういう時期もあるとして片付けているようにも読めないだろうか。全体を通して、なんやかんやで看過できない一線は超えてない、これでいいんだ、みたいになっているけど、結局のところ「ソマリア」の話もそうだけど倫理的にアウトなものもある。どうかなと思うものもある。スクラップの過程もないし、ビルドも他力というより自力で気づける主人公。 「我が家のトトロ」 本来の生活からの逃避なのか、救いなのか、そうしたものを「トトロ」と呼び、表現している小説。これも自分自身で、短編のテーマを解説しちゃっている。それとも何か別のテーマがあるのかもしれない。読後感は一番良かった。 「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」 暴力をさらっと描いている。救いのない話だった。ただ、「ソマリア」は何度も蘇っているし、どんな残酷さもさらさらと日常に同化していく。 そういえばディスコ探偵でも、ある「想い」が具現化して作り出される「分身」のモチーフはあった。 これぞ初期の舞城という感じ。主人公は本書中一番素直だったかもしれない。
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三編収録の短編集。 最初の二編はもっと凄い展開になるのかと思いながら読んだのだけれども、意外とまともに完結。 それはそれで面白かったのだが、「ズボンを穿いたまま便座に座ってパンツの中にプリプリプリ~とやった」人間が主人公の割にはその後の展開は普通すぎて、ちょっと肩すかし...
三編収録の短編集。 最初の二編はもっと凄い展開になるのかと思いながら読んだのだけれども、意外とまともに完結。 それはそれで面白かったのだが、「ズボンを穿いたまま便座に座ってパンツの中にプリプリプリ~とやった」人間が主人公の割にはその後の展開は普通すぎて、ちょっと肩すかし。 「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」は凄いなと思った。 この作品だけであれば間違いなく満点。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2010/12/30 Amazonより届く。 2016/5/13〜5/16 約1年ぶりの舞城作品。「スクールアタック・シンドローム」、「我が家のトトロ」、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」の3作を収録。と言っても、前の2作は『みんな元気』に収録されていたらしい。(読んだはずなのにあまり記憶にない)どの作品も舞城さんらしいぶっ飛びぶりだが、 書き下ろしの「ソマリア〜」が一番。一度ご本人と話をしてみたいなぁ。一体どんな人なんだろうか。
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ひきこもりのダメ親父と、学校襲撃を妄想する息子 暴力は伝播する 医学部受験を目指して何年も何年も落ち続ける夫と 支える妻、娘 何回でも生き返る力を持った少女と 虐待する家族 疾走する文体、救いがあるようなないような文章 好きな人はものすごく好きかもしれないけれど 私には無理...
ひきこもりのダメ親父と、学校襲撃を妄想する息子 暴力は伝播する 医学部受験を目指して何年も何年も落ち続ける夫と 支える妻、娘 何回でも生き返る力を持った少女と 虐待する家族 疾走する文体、救いがあるようなないような文章 好きな人はものすごく好きかもしれないけれど 私には無理でした(汗
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この本収録の、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」を読んで、おおいに頭を抱えた。この後味の悪さ。優しさ。無力感。 自分の生きている世界こそが現実なのに、その現実はなんとグロテスクで即物的なのだろう。私達はこの現実に対して、どうやって立ち向かえばよいのだろう? 「でね、あん...
この本収録の、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」を読んで、おおいに頭を抱えた。この後味の悪さ。優しさ。無力感。 自分の生きている世界こそが現実なのに、その現実はなんとグロテスクで即物的なのだろう。私達はこの現実に対して、どうやって立ち向かえばよいのだろう? 「でね、あんたが言うの。どんなに綺麗な夕日よりも私の人生は美しいんだから、そんなちっちゃい夕焼け空なんて拝んでないで生きようぜって」 でも、どうして守りたいものを守れないの? どうして助けたい人のことを誰もが助けたいと思わないの? 私のこの気持ちも嘘で、ただの偽善=ポーズなの? なぜ物語が必要なのか、どうして私達は物語るのか、それは想像ということそのものが一種の救いであるからかもしれない。このお話の恐ろしい事実はただ事実として繰り返される。何度も繰り返されて、主人公はそれを止めることができない。 けれどなぜこんなにグロテスクでめちゃくちゃな物語が切ないのか、それはイメージの美しさがあるからだ。この短編の「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」という素敵なタイトル、ソマリアという紛争の絶えない地域の国旗になぞらえて終わるラスト、杣里亜が語る死後のソマリア(?)で見る夕日の情景……それらは現実には存在しない。みんなイメージで、実際に「起こった」とされていることではない。作中人物が想像上で思ったり見たり体験したこと、あるいは読者である私達が受け取ったイメージである。 けれどもそれがこの陰惨な物語を美しくする。事実とは無関係であっても、無関係であるからこそ。そしてそれが想像力の力であり、救いなのではないかと思う。
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