悪党芭蕉 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
嵐山光三郎「悪党芭蕉」、2006.4発行。タイトルを見て半信半疑で読み進めました。芭蕉が悪党だったかどうか、読後もよくわかりませんでしたが、著者の主な論旨は次の2つかと思います。①旅ゆく先々で芭蕉の碑が建てられていくのを見た正岡子規は、芭蕉のブランド化(宗教化、句の鑑賞でなく拝む対象に)に反感を ②「古池や蛙飛こむ水の音」蛙は池の上から音をたてて飛び込まない。池の端より這うように水中に入っていく。芭蕉は事実より観念(虚構)が先行。それを芥川龍之介は「芭蕉は大山師である」と直感した。
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実は本書を読んだのは、『芭蕉という修羅』という本の書評を新聞で読んだからだ。すると、嵐山さんの前著『悪党芭蕉』もかなりの評判で、こうなったら両方買うしかないと思って、2冊注文し、『修羅』も気になりつつ、前著から読んだというしだいである。『悪党』は古書で買ったが、2007年で11刷...
実は本書を読んだのは、『芭蕉という修羅』という本の書評を新聞で読んだからだ。すると、嵐山さんの前著『悪党芭蕉』もかなりの評判で、こうなったら両方買うしかないと思って、2冊注文し、『修羅』も気になりつつ、前著から読んだというしだいである。『悪党』は古書で買ったが、2007年で11刷り。そのあとは文庫本になった。こういうとき、文庫本はけっこう字が小さく読みづらいので、ぼくはあっさり古書でもとの本を買うようにしている。そして、それは正解だった。本書は芭蕉とその弟子たちの句会を中心にした俳句と行動を細かく描きつつ、弟子たちの間の争い、離反、そしてそれに関わる芭蕉の行動を分析している。句会における芭蕉はなかなか強い。そんな強い芭蕉に反感をもつ弟子たちもすごい。芭蕉は大阪で亡くなるが、それも弟子たちの争いの調停に行ったがために無理をして病気をこじらせた結果である。そして、その葬式にこなかった弟子たちもいる。芭蕉というと、なにか俳諧の聖人のように思うのだが、実際は弟子たちとの関係を含めどろどろしているのである。そのどろどろは実は芭蕉の衆道(男色)と関わっているようだ(もっともかれは妾もいて両刀遣いである。さらに、本書によれば弥次喜多道中の二人もそういう関係であったらしい。まあ、江戸時代では驚くようなことではないが)これはこの世界では永くタブーだったようだが、嵐山さんの前にそれを問題にする人が出て、公然の事実となった。また、芭蕉は単なる俳人ではなく、水道工事の専門家でもあり、だからこそ伊賀上野から東京へ行ったのだそうだ。これまでの芭蕉のイメージを大きく塗り替える著作である。
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江戸も初期から中期に差し掛かろうというころ。世はまさに太平。幕府は戦から解放され、公家のみならず武家までもが文道にうつつを抜かす。将軍自ら若衆道に陥り、男色が恥じられることもない淫乱な時代。その申し子が芭蕉であったとは。句の良し悪しなんぞ評する知識を得ないが、「不易流行」やら「軽...
江戸も初期から中期に差し掛かろうというころ。世はまさに太平。幕府は戦から解放され、公家のみならず武家までもが文道にうつつを抜かす。将軍自ら若衆道に陥り、男色が恥じられることもない淫乱な時代。その申し子が芭蕉であったとは。句の良し悪しなんぞ評する知識を得ないが、「不易流行」やら「軽み」の思想にたどり着いた芭蕉の句であるからこそ、時が移れど褪せることなしと感じる。
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芭蕉の晩年を描いた1作 芭蕉の一番弟子の其角は師匠の芭蕉よりも江戸で人気があり、芭蕉とは違って遊び人であったりとそこでの複雑な師弟関係や犯罪を起こした弟子との旅など赤裸々な芭蕉の素顔が描かれています。 また、弟子のけんかの仲裁に大阪で死亡していく経緯や、甥と妾の駆け落ち、芭蕉...
芭蕉の晩年を描いた1作 芭蕉の一番弟子の其角は師匠の芭蕉よりも江戸で人気があり、芭蕉とは違って遊び人であったりとそこでの複雑な師弟関係や犯罪を起こした弟子との旅など赤裸々な芭蕉の素顔が描かれています。 また、弟子のけんかの仲裁に大阪で死亡していく経緯や、甥と妾の駆け落ち、芭蕉と道を違える弟子、逮捕される弟子そして、蕉門分裂などストイックな修行僧のイメージとは違った真実の芭蕉に出会えるでしょう。
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タイトルで購入決意。嵐山光三郎著。装幀もいい感じ。南伸坊。 嵐山光三郎に書けるのか、というのが疑問だったけれど、やがて彼でないと書けないことが判って来る。芭蕉専門家、俳句専門家の間ではタブーになっている話題ばかりだからだ。 冒頭に芥川龍之介の「芭蕉は大山師だ」という発言について書...
タイトルで購入決意。嵐山光三郎著。装幀もいい感じ。南伸坊。 嵐山光三郎に書けるのか、というのが疑問だったけれど、やがて彼でないと書けないことが判って来る。芭蕉専門家、俳句専門家の間ではタブーになっている話題ばかりだからだ。 冒頭に芥川龍之介の「芭蕉は大山師だ」という発言について書いているが、これは実際に芥川の文章を読んだ時に実に痛快だな、と思った文章だ。この言葉に勇気をもらいつつ、嵐山は進む。 古池の句でも、蛙が飛び込んでも水音などはしない、と苦言を呈する。なのにそこに幻の音を作ってしまったのが芭蕉の力なのだ、と従来の説を簡単に覆す。蛙が飛び込んでも音はしない。それは確かだ。私もそんな音聞いたことがない。 痛快に芭蕉像を崩して行くが、それと芭蕉の句を崩すことは違う。著者のイメージとは思いっきり離れているが、そこは丁寧に作品と人物を切り分けて書いている。面白かった。
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芭蕉は、人気があって悪口は少しいいにくい。「悪党」という題名は、芭蕉のしたたかさを強調したものである。なぜ、芭蕉だけが、歴史に残ったのか?芭蕉に興味ある人もない人も楽しめる。
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芭蕉うんちく本。29歳で伊賀上野から江戸へ、水道浚渫工事請負をしながら俳諧師に。藤堂家嗣子良忠に寵愛され忠右衛門宗房(そうぼう)→桃青(とうせい)→芭蕉(謡曲芭蕉「無常なる女の妖怪」)。敬愛する西行(佐藤善清)は保身から出家とも。
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