飛び道具の人類史 の商品レビュー
ダイヤモンドの銃・病原菌・鉄の銃の部分を先史時代にまで遡り考察した本。 飛び道具とは何か。自身と距離を隔てた場所に不可逆的な変化を起こすという行為として捉えると確かにこれは思考能力と関係していると考えるのも頷ける。 それが軍事的な役割を得てからの権力者と技術者の関係というのはあ...
ダイヤモンドの銃・病原菌・鉄の銃の部分を先史時代にまで遡り考察した本。 飛び道具とは何か。自身と距離を隔てた場所に不可逆的な変化を起こすという行為として捉えると確かにこれは思考能力と関係していると考えるのも頷ける。 それが軍事的な役割を得てからの権力者と技術者の関係というのはあんまり変わらないんだなぁと。人間の愚かさというかなんというか。 情報の伝達を飛び道具として比較したら面白いなとも思った。単純な音のやり取りから、文字、振動、電気など、対象を破壊する飛び道具とは一線を画すが間違いなく近代以降の歴史を形成してきた要素だからだ。そこには矢文や狼煙、といった火と飛び道具がどこかで関わってくる。
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他の人類史の本と一線を画すような目新しさはそんなに見られないが、「飛び道具」という視点の持ち方には、読めば読むほどなるほどと思わされる。 翻訳が秀逸で、かなり読みやすかった。
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数ある人類史本のうち、投擲というタイトルに惹かれて読んでみた。 直立二足歩行、火を操る、そして投擲。 いかにして人類が地上に分布してきたかを、その進化を通して描いたわけだが、後半の近代史になるとどうも西側史観中心に描かれている。 ウェデマイヤーの「第二次世界大戦に勝者なし」によれ...
数ある人類史本のうち、投擲というタイトルに惹かれて読んでみた。 直立二足歩行、火を操る、そして投擲。 いかにして人類が地上に分布してきたかを、その進化を通して描いたわけだが、後半の近代史になるとどうも西側史観中心に描かれている。 ウェデマイヤーの「第二次世界大戦に勝者なし」によれば、アメリカ陸軍大将をもってしても、大戦後の中国や東ヨーロッパ諸国をみるに、勝利などとはいえないと断じているあたりからも、対立軸の動向には言及しておくべきだったろう。 まあ、完全な中立性などあり得ないので致し方ないが、人類史を語るのであれば些かの努力を見せるべきだったのではなかろうか。 さておき、テラフォーミングによる人為的な環境変異がもたらす破壊行為については、自分的には、盲点であった。 最近読んだ「映像研には手を出すな!」でも「小動物や昆虫の住処を奪ってしまうので刈りすぎ注意」と浅草氏が言及していたな、などと。 そういえば「柳生蓮也」(とみ新蔵・著)でも飛び道具を使わないのは突き立てた刀から伝わる命の拍動を感ずるため、と言っていた。 クロスビーは治世のための方便と一蹴するであろうが、しかし、それは宇宙へ移住するか地球にとどまるかの選択肢と考えると、ロマンが膨らむ。
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『飛び道具の人類史』は個人的に、かなり当たりでした。 かなり内容の濃い本です。 本書では、石飛礫(いしつぶて)からミサイルまでの「飛び道具」の歴史をたどるという内容。 密度が濃くて長いので、消化不良にならないうちに、まずは第1章、第2章の内容だけまとめました。 体感では、本...
『飛び道具の人類史』は個人的に、かなり当たりでした。 かなり内容の濃い本です。 本書では、石飛礫(いしつぶて)からミサイルまでの「飛び道具」の歴史をたどるという内容。 密度が濃くて長いので、消化不良にならないうちに、まずは第1章、第2章の内容だけまとめました。 体感では、本書の各章でそれぞれ1冊ずつ新書が出せる程度の密度でした! 以下内容 ーーーーーーーーーー 人類には物を飛ばしたりものを燃やすことを好む傾向があり、また、それを巧みに行う技量が備わっている、と著者は言う。 人の3つの特性は、 1.二足歩行 2.投擲力 3.火を操る能力 である。この中で投擲力はあまり取り上げられないが、サッカーやアメフト、テニスなどのスポーツも投擲力だし、4m先のウサギ大の的に石を当てられるのは人間だけだという。 これはコウモリが反響定位を用いて暗闇で昆虫を捉えるのに匹敵するほどの力だと著者は言う。 シェーニケンの遺跡からは、重心が先端から1/3ほどの位置に作られた先端の尖った棒が見つかっており、この重心位置はオリンピックの投槍で用いるやりの重心と同じことから、人類は古代より投擲を武器としていたことがわかる。 この投擲という技術は自然界にはない動きで以上である。 たとえば、樹上のナマケモノが複数人のハンターたちに槍を投げつけられたとして、生理的な衝撃によって瞬時に命を奪われなかったとしても、このナマケモノは、この痛みはどこからきたのか?がわからない。 これまで、離れたところからいたみがやってきたことがなかったからである。 投擲を「離れた場所に変化を起こす能力」と考えると、弓矢や銃も一種の投擲になるが、投擲そのものを昇華させることで武器とした民族もいる。 ポリネシア人は投擲を発達させ、マスケット銃に匹敵するほどの殺傷力を誇った。この石つぶてにより、上陸したパーティのうち12人が殺されたという。 他にもオーストラリアでは、アトゥラトゥルという紐をつけた槍が使用され、これを用いることでより遠心力が増し、速度が1.5倍にすることができる このアトゥラトゥルはハイアライにおけるセスタのようなもので、リーチの増加による投擲のスピードアップを図るもの。 ハイアライの様子↓ ちなみに、人が投擲を得意とする理由の一つとしては以下の流れがある。 1.樹上生活により嗅覚よりも視覚に頼るように進化した。 どの枝を掴むべきかなどを瞬時に判断するために両目は顔の正面につき、立体視ができるようになった。 2.腕が360度回せるようになった リスは樹上を走るが、アウストラロピテクス類はそこまで小さくない。 そのため腕は可動域が広がり、片腕で枝を掴んだまま、もう一方の手で別の枝を掴んで移動するブラキエーションを体得した。 3.樹上で天敵と戦うために投擲を覚えた 「最初の花形投手は母親。」と神経心理学者ウィリアムカルヴィンは言う。 特に何もなければ、天敵からは逃げればよい。 しかし、樹上で敵から逃げられず、その場で戦わねばならない場面があるとしたらそれは個を片手に抱いた母親だ。 子を抱いたまま、天敵に攻撃できる手段として、片腕で木や石を投げ続けて相手に攻撃を諦めさせる(またはオスが帰ってくるまでの時間を稼ぐ)ために初期の投擲が始まったという。 なるほど。。 ーーーーーー ここまでで第1章、第2章の内容。 第3章からは「火を扱う」というテーマで展開するとのこと。 楽しみである。
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05.22.2015 読了「アトゥラトゥル革命」は非常に興味深い。知的好奇心がくすぐられる。文化人類学から生体力学まで。副題のとおり〜火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで〜の人類史がそこにある。 アトゥラトゥル スリング ダートからクロスボウ。そしてカタパルト 、トレビュシェットに...
05.22.2015 読了「アトゥラトゥル革命」は非常に興味深い。知的好奇心がくすぐられる。文化人類学から生体力学まで。副題のとおり〜火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで〜の人類史がそこにある。 アトゥラトゥル スリング ダートからクロスボウ。そしてカタパルト 、トレビュシェットに至る加速は非常に面白い。火薬あたりから停滞するが、ロケット開発まで昇華させる人類のすごさを痛感する。 第7,8章はこのころの歴史に疎いため斜め読み。
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[ 内容 ] いったいなぜ、人類はこんなにも繁栄したのか? 本書はその理由として、直立二足歩行や火を操る能力とならんで、「ものを投げる能力」を挙げる。 飛び道具を使って、遠く離れた場所に変化を生じさせることへの飽くなき探究心こそが歴史を形づくってきたのだ。 人類進化の足跡から、戦...
[ 内容 ] いったいなぜ、人類はこんなにも繁栄したのか? 本書はその理由として、直立二足歩行や火を操る能力とならんで、「ものを投げる能力」を挙げる。 飛び道具を使って、遠く離れた場所に変化を生じさせることへの飽くなき探究心こそが歴史を形づくってきたのだ。 人類進化の足跡から、戦争のスタイルと軍事技術の変遷、惑星探査や宇宙開発まで、壮大なスケールで描く画期的な人類史。 [ 目次 ] なぜ人類はかくも繁栄したのか(直立二足歩行の出現―鮮新世) 第一の加速 ものを投げる、火を操る(「人の強さは投げるものしだい」―鮮新世と更新世;「地球を料理する」―更新世と完新世;「人類と動物界の大激変」―後期旧石器時代;飛び道具の発展―職人技からテクノロジーへ) 第二の加速 火薬(中国の不老不死の霊薬―火薬の起源;「火薬帝国」の誕生;機関銃・大砲・第一次大戦) 第三の加速 地球外空間と原子内空間へ(V‐2と原子爆弾;はるかなる宇宙へ) 第四の加速 ふたたび、地球へ [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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副題「火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで」のとおり、ヒトの“火を投げる能力”に着目したユニークな論考。ヒトは二足歩行をすることで何を得たのか――答えは「手」だ。では、その手で最初にしたことは? 道具をつくることではない、人類の祖先が直立してから100万年たたないと石器をつくった形跡が...
副題「火を投げるサルが宇宙を飛ぶまで」のとおり、ヒトの“火を投げる能力”に着目したユニークな論考。ヒトは二足歩行をすることで何を得たのか――答えは「手」だ。では、その手で最初にしたことは? 道具をつくることではない、人類の祖先が直立してから100万年たたないと石器をつくった形跡がない、そうではなく「石を投げること」だっただろうと著者は推測する。投擲力のおかげでヒトは、先を予測する頭脳、チームワーク、ひ弱なサルではなく捕食者としての地位を獲得した。ところが人類は石ではなく火を投げることを思いつく。可燃性の物質を投げたり火薬を使用したりすること、つまり爆弾、銃、ミサイルの発明だ。以降、私たちをサルから分けた力が、おもに同胞を殺傷することに使われてきた皮肉な歴史が明らかにされていく。いわゆる火気が発明されたのちの話もボリュームとしては大きいが、それ以前、槍だの石だのを投げていたころの話のほうがおもしろい。
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訳者の解説が充実。巻末の註釈と合わせれば、日本語で読める文献にも配慮した、すぐれた文献ガイドとなっています。 たとえば、Joseph Needham, ”Science and Civilisation in China” は邦訳では四巻までですが、本書においてアルフレッドは五...
訳者の解説が充実。巻末の註釈と合わせれば、日本語で読める文献にも配慮した、すぐれた文献ガイドとなっています。 たとえば、Joseph Needham, ”Science and Civilisation in China” は邦訳では四巻までですが、本書においてアルフレッドは五巻をかなり参照しています。 「ニーダムの著作は単に科学技術を紹介するにとどまらず、洋の東西を見通した文明間や深い洞察が記されており、邦訳事業の中断はまことに残念である」と千恵子はいう。。
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樹上生活から地上生活に移行した人類の、その火にまつわる数多の輝かしいというか、愚かしいというか……歴史活劇書である。あらゆるコトガラには表と裏側があるのだ、と改めて思い知らされた次第。
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