ふたりのロッテ の商品レビュー
ちっちゃなふたごロッテとルイーゼが離婚した両親の〝仲直り作戦〟を立派にコンプリートさせる話。 こんなこと出来るのは〝運命の女神〟であって男神じゃない!だからふたご姉妹。
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河合隼雄さんの『子どもの宇宙』にて紹介されていた一冊。 子どもって親が考えているより何倍も大人のことよく見ていて、色んなことを考えている。 正反対の性格のロッテとルイーゼ。 入れ替わり期間に今まで一緒に暮らしいた父母と離れ、異国の地で暮らすのは、9歳の女の子達にとってどれほど勇気...
河合隼雄さんの『子どもの宇宙』にて紹介されていた一冊。 子どもって親が考えているより何倍も大人のことよく見ていて、色んなことを考えている。 正反対の性格のロッテとルイーゼ。 入れ替わり期間に今まで一緒に暮らしいた父母と離れ、異国の地で暮らすのは、9歳の女の子達にとってどれほど勇気のある行動だろう。 初めての環境に弱音を吐くこともなく、ピンチにも機転をきかせて立ち回る姿は読者をワクワクさせてくれる。 大人目線で読むと、一度別れた夫婦が元サヤに戻ることの難しさを感じる部分はあるが、父親に近づくヒール役の女性の存在が物語のスパイスとなり、リアリティを演出してくれる。 個人的には、入れ替わったロッテが父親にピアノのレッスンをつけてもらったり、ルイーゼが母親とガルミッシュに旅行をしたり、今まで知り得なかった幸せに触れる場面が印象的だった。
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想像以上にかわいい本だった 読んだらすぐ売る派ですがこの本はとっておきます。主人公たちのひたむきでまっすぐなところも本当にかわいい
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大人でも楽しく読める。 ハッピーエンドになるだろうとは思ってたけど、これ本当にハッピーエンドになるのかな?って途中からハラハラして読んでいた。 でもちゃんとハッピーエンドだったからよかった、笑 昔に離婚した父と母を2人なりの作戦でもう一度仲良くなってもらおうと奮闘する姿は、面白かったけど、それ以上に切なく寂しく感じた。 だからその分、もう一度4人が1つの家族になれた時はすごく嬉しかったし、安心した。 いつの間にか童心に帰って読んでいた気がした。
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P143からの、ロッテがゲルラッハさんに父との結婚を止めさせにいくところ、 ラストのパルフィー(父)とケルナー(母)が再婚するところ、 が好きなシーン。 全ては水面下で進めなければならない計画を、子供なりに精一杯考えて取り組む律儀さ、そして念願叶った瞬間の子供らしい感情を顕にす...
P143からの、ロッテがゲルラッハさんに父との結婚を止めさせにいくところ、 ラストのパルフィー(父)とケルナー(母)が再婚するところ、 が好きなシーン。 全ては水面下で進めなければならない計画を、子供なりに精一杯考えて取り組む律儀さ、そして念願叶った瞬間の子供らしい感情を顕にする場面が印象的だった。 大人になって時間が経ち、子供の頃のみずみずしい感情が忘れてしまい、臨場感を持って感情移入できないのが悔しい。。。
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ロッテとルイーズ、そんなことがあるの?双子なことを秘密にして2人を引き裂いておくなんて!良かった。2人がちゃんと出会えて。ルイーズが初めてお母さんの写真を見せてもらって「私のおかあさん」と写真を抱きしめ、ロッテが腕をルイーゼに巻き付けた。2人の幸せな瞬間。そこからの2人は、一生懸...
ロッテとルイーズ、そんなことがあるの?双子なことを秘密にして2人を引き裂いておくなんて!良かった。2人がちゃんと出会えて。ルイーズが初めてお母さんの写真を見せてもらって「私のおかあさん」と写真を抱きしめ、ロッテが腕をルイーゼに巻き付けた。2人の幸せな瞬間。そこからの2人は、一生懸命知恵を絞って、一緒になるという夢を実現させた。最後までハラハラしたけど、私も幸せな気持ちに包まれた。
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久しぶりの再読。 双子が入れ替わるという話は、今では陳腐ですらあるのだが、この時はすごいアイデアだったのだと思う。 大人になって読むと、こんなことあるはずがないと思ってしまうが、ケストナーもそれは重々承知なのである。双子は出会わず、元夫婦が再び夫婦に戻ることもまずない。双子はそれぞれ孤独を抱えて育ち、父はイレーネと再婚するのがリアルだ。しかしあえてそうしなかった。それは読者である子どもが「こうなってほしい」と考える結末を裏切りたくないという気持ちと、(書かれた時代を考えれば)敗戦、ナチス支配という負の歴史に叩きのめされたドイツ人に希望を取り戻してほしいという思いであったろうと思う。そこのところを訳者があとがきでもやさしい言葉で書いている。 必要以上に会話や心情を描くことなく、ちょっとした行動や言葉から登場人物の人となりが伝わり、物語が動くところなど、ケストナーの上手さも堪能できる。 母は娘に頼り過ぎていたこと、娘に大人びたふるまいをさせていたことに気づき、父は娘をほったらかしにしていたこと、家族は自分の仕事に邪魔になる存在なのではなく、仕事の活力になる存在だということに気づく。ここらあたりは現代の親が読んでもはっとさせられるのではないかと思う。 時代的に仕方ないが、ミュンヘンで編集者をしていた母が再婚してウィーンに来てから、仕事のことが語られないこと。夫はウィーンフィルの常任指揮者兼作曲家なのだから、戦後すぐなら仕事をやめて専業主婦っていうのは自然なのだろうが、現代なら仕事を続けるのではないだろうか。ここはちょっと残念な気がする。 トリアーの絵は大好きだが、今のイラストレーターのように主人公を魅力的に描こうという気持ちはあまりなく、双子の可愛い絵は意外と少ない。父パルフィー氏ももう少しかっこよく描いてもよかったんじゃないかと思うし、アンニ・ハーバーゼッツァーは怖すぎる。(しかも絵が大きい。) でも、イラストレーターが「魅せる」ことに注意を払わなくていい時代もあったという歴史の証言ではある。
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第80回ビブリオバトルinいこま「ダブル」で紹介された本です。チャンプ本。 コロナ禍のため現地とYouTube live配信のハイブリッドで実施。 https://www.youtube.com/watch?v=jBqOWY70sGc 2020.11.22
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親の離婚で生き別れた双子の女の子が、 サマースクールで再会して、入れ替わる話。 わたしにも地球のどこかに生き別れた双子…いたらいいなぁ、なんて思いながら読んでた。 海外文学って、名前が覚えられなかったり翻訳で文体が変わったり、読みづらくて苦手だったけど、 児童向け小説だと読みや...
親の離婚で生き別れた双子の女の子が、 サマースクールで再会して、入れ替わる話。 わたしにも地球のどこかに生き別れた双子…いたらいいなぁ、なんて思いながら読んでた。 海外文学って、名前が覚えられなかったり翻訳で文体が変わったり、読みづらくて苦手だったけど、 児童向け小説だと読みやすかったなぁ。 それにしても、登場人物は多いし、メモ取らないとすぐ、これ誰?ってなったけど。笑 なんでタイトル、ふたりの“ロッテ”なんやろう。 最初ルイーゼ視点やし、強いて言うなら『ふたりのルイーゼ』では? もしくは、『ふたりのパルフィー』なんかな…? タイトルはロッテ視点なんやぁ…って思っちゃった。
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ルイーゼとロッテは9歳の双子の女の子で、『巻き毛のおてんば』と『おさげのきまじめ』という個性の違いはあるものの、それ以外となると、どっちがどっちなのか見分けがつかない程の瓜二つぶり。 そんな二人も初めて出会った時は大変で、ルイーゼの方が激しく動揺したために、ついロッテに冷た...
ルイーゼとロッテは9歳の双子の女の子で、『巻き毛のおてんば』と『おさげのきまじめ』という個性の違いはあるものの、それ以外となると、どっちがどっちなのか見分けがつかない程の瓜二つぶり。 そんな二人も初めて出会った時は大変で、ルイーゼの方が激しく動揺したために、ついロッテに冷たく接してしまったが、その夜、すすり泣くロッテの髪をぎこちなく撫でるルイーゼに、思わず彼女の指を探したくなったロッテ。 そして、翌朝にはロッテの前に立って、きまり悪そうにもじもじと足踏みしているルイーゼに(他の女の子が見たら、あのルイーゼがと、きっと驚くだろう)、ロッテは無理してようやく微笑んでくれて、それは見えないくらいに小さかったけれども、ルイーゼはほっとして微笑み返した瞬間、彼女たちの人生は新たなスタートを切ることになる。 というのも、「ルイーゼ・パルフィー」には父しかいなくて、「ロッテ・ケルナー」には母しかいない、これが何を意味するのかは、なんとなく想像がつくだろうと思う。 大人も人間なので、夫婦間には色々あって当然だろうとは思うけれども、そこで巻き込まれる子どもの気持ちは、いったいどこに行くのだろうという疑問が湧き、親から見た子どもと、子どもから見た親というのはそれぞれに全く同じだとは思わないことからも、大切なのは、子どもにとって両親の存在とは、どのようなものなのかを、彼らがもっと子ども心に寄り添って考えることなのではないかと、本書を読んで何度も思った。 エーリヒ・ケストナーという人は、大人の中に於いて、とても稀有な存在なのかもしれない、子どもへの敬意をはっきりと作品に表す作家であり、『点子ちゃんとアントン』では当時のナチスが台頭した世の中に対して、自分たち大人が何も出来なかったことを子どもたちに謝っているし(ケストナー自身は、政府から目を付けられて命の危険にさらされていたというのに)、本書に於いても、双子の女の子の素敵な作戦がきっかけとなって、周りの大人たちの意識を優しく変化させる展開には、子どもの持つ大好きなものに対する一途さがもたらす不思議な力の可能性を感じられたことに胸を打たれた、そんな彼への賛辞は池田香代子さんのあとがきの、『わたしがほしかったのは同情でもはげましでもなく、この尊敬なのでした』からも実感できた、「子どもなのにえらいね」とか、「けなげだね」といった、『いわば一段高いところからのほめことば』では無い点に、ケストナーの作品は児童書の枠を超えた、子どもだけではなく大人が読んでも充分に考えさせられるものが多いのだと思われた、それはまさに本気で世界を良い方向に変えたい、彼のどこまでも強靱で揺らぐことの無い高い信念に基づいた意志が、たとえ今は清らかな魂になってしまったのだとしても、作品の中にいつまでも残り続けていて、しかもそこに必死さは微塵もなく、親しみやすい語りかけるような文章で温かく読み手を迎えてくれる、そんな優しさが子どもたちへの敬意となり、まさに本書の中の言葉のような『新しいしあわせの一瞬一瞬』を、現代に於いても変わらずに運んできてくれるのである。
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