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扉の国のチコ の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2022/08/23

「ちいちゃんのかげおくり」の絵を描かれた、上野紀子さんの他の絵本を、画像検索で探していたら、とても惹き付けられるものを発見しました。 内容は、他の人と、ものの見え方が異なることで、疎外感や孤独感を抱いていた女の子が、小さな望遠鏡をプレゼントされたときから、それを通した自分の存在...

「ちいちゃんのかげおくり」の絵を描かれた、上野紀子さんの他の絵本を、画像検索で探していたら、とても惹き付けられるものを発見しました。 内容は、他の人と、ものの見え方が異なることで、疎外感や孤独感を抱いていた女の子が、小さな望遠鏡をプレゼントされたときから、それを通した自分の存在する世界が好きになり、そこから、更にある人物との出会いによって・・・といった、今、目に見えているものが現実ではなく、更にそれを超えた先にあるものが現実であると、言わんばかりのメッセージは、まさに超現実主義のシュルレアリスムである。 そう考えてみると、冒頭の『瀧口修造に捧ぐ』が気になったが、本書の巖谷さんのあとがきに、その真相と経緯が書かれており、瀧口修造を知らない方でも(私もその一人)、本書の謎がある程度明らかになり、それを知ることで、本書の絵や物語が、更に味わい深いものへと変わります。 というわけで、以下、ネタバレなので、ご注意を。 そもそも、瀧口修造(1903~1979)は、詩人、美術評論家、造形作家等の肩書があり、戦前から日本におけるシュルレアリスムを牽引したとのことで、本書の文の巖谷國士と、絵の上野紀子、構成担当で、上野紀子の夫である、中江嘉男、それぞれと親交があったそうですが、巖谷國士と中江夫妻は別々に交友していたようです(中江夫妻に関しては、1974年の「小宇宙 鏡の淵のアリス」で瀧口が序文を書いている)。 また、本書に登場する女の子「チコ」は、中江夫妻が1966年に発表した、「ペラペラの世界」という絵本で既に登場しており(望遠鏡をのぞくチコの姿も)、更にその後、1978年には、チコではなく男の子だが、「扉の国」という、本書とよく似た内容の絵本が出版され、ここで、ステッキをもつ瀧口修造その人が登場しております。 ここで、話を本書に戻すと、チコが扉の世界を覗いている途中で出会った老人、その人が瀧口修造であり、それは、彼の書斎の中の、ミロという名の瓢箪(瀧口はジョアン・ミロからカラバサの実を贈られ、ずっと宝物にしていた)や、ジョーンズという名の眼鏡(ジャスパー・ジョーンズ)からも分かり、そこからの内容は、彼が実際に生きた人生そのものに、チコを同行させる展開になります。 その旅はまず、瀧口の友人である、マルセル・デュシャン(1887~1968)が亡くなった後に、自ら彼の展覧会を見に、フィラデルフィアの美術館に赴いたエピソードがあり、ひびの入ったガラスの板のアート(大ガラス)を眺めながら、瀧口(正面からの絵がまた貴重)もチコも嬉しそう。 また、この場面でのチコの、「ひらたくて薄い、ペラペラの世界~」の台詞は、上記の、中江夫妻の同名絵本に登場したチコと、同一人物であるということが判明し、昔からチコの絵本を愛してきた方には、嬉しいものがあるのでしょうね。 それから、次のチェスのシーンでは、デュシャン本人が有名なポーズそのままで登場し、その後の、木の扉を覗いた先にある光景は、デュシャンの最後の作品「遺作」であり、現実では、扉に開けられているふたつの穴から、それを覗いている瀧口の後ろ姿を映した写真を、100号の大きな油絵に描いて、瀧口にプレゼントしたのが、中江夫妻なのですが、本書に出てくる瀧口の後ろ姿の絵は、その殆どが写真のポーズになっているとともに、上記した、「扉の国」の瀧口の後ろ姿も同様のポーズであり、ここで『瀧口修造に捧ぐ』の思いの深さの一端が覗けた気がいたしました。 そして、本書において、もう一つ大切なのが、瀧口の「遺言」と題する詩(草稿)で、その内容は、 年老いた先輩や友よ、 若い友よ、愛する美しい友よ、 ぼくはあなたを残して行く。 何処へ? ぼくも知らない ただいずれは、あなたも会いにやってきてくれるところへ。 それは壁もなく、扉もなく、いま ぼくが立ち去ったところと直通している。 いや同じところだ。星もある。 土もある。歩いてゆけるところだ。 いますぐだって…… ……ぼくが見えないだけだ。 あの二つの眼では。さあ行こう、こんどは もうひとつの國へ、みんなで…… こんどは二つの眼でほんとに見える国へ…… シュルレアリスムを通して、チコは悲しくても、寂しくても、なんだか力が湧いてくるように感じていたようで(こんどは二つの眼でほんとに見える)、それは、巖谷國士、上野紀子、中江嘉男と瀧口修造との、長きに渡る素晴らしき交友や想い出がもたらしてくれたようにも、感じられました。

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2021/06/21

感想が少し難しいお話ではあるけど、読後感は悪くない。シュルレアリスムの絵本。 本文中にデュシャンの名前が出てきたときに、この物語が現実と繋がっていることを察する。冒頭に「瀧口修造に捧ぐ」と献辞があって、あとがきを読むと物語の中の「ステッキの老人」が瀧口氏を写し取った登場人物である...

感想が少し難しいお話ではあるけど、読後感は悪くない。シュルレアリスムの絵本。 本文中にデュシャンの名前が出てきたときに、この物語が現実と繋がっていることを察する。冒頭に「瀧口修造に捧ぐ」と献辞があって、あとがきを読むと物語の中の「ステッキの老人」が瀧口氏を写し取った登場人物であることがわかり、そして友人だったデュシャンなど、瀧口氏を中心として繋がっていく人や物の物語なのかな。 巌谷國士・文、上野紀子・絵、中江嘉男・構成。 妻と息子が『ねずみくんのチョッキ展』で図録を買ってきて、その中で紹介されていたことが手に取った切っ掛け。

Posted byブクログ

2014/09/18

シュルレアリスムの絵本。チコはやぶにらみの女の子。いつも望遠鏡を覗いている。底から見えるものは…?見えているものが真実とは限らない。ステッキを持った白髪の老人・瀧口修造その人に向けた絵本。

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2013/01/26

・全体的に暗い。 ・チコが救われない、手紙で救いがなくなった。 ・文章と絵が一致していない。 ・おじいさんの杖もキーワードになっていそうでなっていない。 ・瀧口修造氏に思い入れがある人向け。 ・世の中にはいろいろな見方があるのだと思う。

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2009/12/07

これは絵本の域を超えていると思いました。 黒い帽子を目が隠れるほど深くかぶり、黒い服を着た少女の絵。 雑誌MOEでその絵を目にしたとき、昔、確かに似たような絵を見たことがあり、そしてとても惹かれた記憶が甦ってきました。それが上野さんの描くチコでした。 顔が見えないこの少女の絵は...

これは絵本の域を超えていると思いました。 黒い帽子を目が隠れるほど深くかぶり、黒い服を着た少女の絵。 雑誌MOEでその絵を目にしたとき、昔、確かに似たような絵を見たことがあり、そしてとても惹かれた記憶が甦ってきました。それが上野さんの描くチコでした。 顔が見えないこの少女の絵は、見ている人をふっとその隠れている瞳の中に吸い込んでしまうような不思議な力があるように感じます。 ものが二重に見えてしまうチコは、いつも望遠鏡を持ち歩いて遠くの世界を眺めています。見ることが大好きなのです。ある日、チコは望遠鏡でみた扉を目指します。そして扉をいくつもいくつもくぐり抜け、扉の国に入っていきます。そこで一人のステッキを持った老人に出会います。そしてチコはその老人とともに扉の国を旅するのです。 故・瀧口修造氏へのオマージュであるこの作品。 旅の途中でチコが出会う様々なもの。それらは全て瀧口氏や彼の友人のデュシャンにまつわるものでかたどられています。 旅の最後にチコが老人から受け取った手紙。その文章こそ、瀧口氏の「遺言」そのもので、その言葉には、チコだけでなく自分まで涙が浮かんでくるほどの力強いものがあり、感銘を受けました。 チコの顔は半分帽子で隠れていますし、老人は常に顔を見せません。チェスを見下ろすデュシャンもそうです。誰も顔を見せてくれません。やっと最後のページでやっとみることができた「みんな」の顔にほっと肩をおろせました。 とても独特で美しい作品です。もしかしたら小さい子は最初は怖がることもあるかもしれません。でもいつか大人になったときもう一度手に取りたくなる、そんな一冊になればいいなと思います。 絶版か重版待ちなのか現在定価では手に入らないようです・・・。もう一度書店に並んでくれる日を心待ちにしています。 お気に入り度:★★★★★ (2009年10月1日)

Posted byブクログ

2009/10/07

むむ、上野紀子の絵がちょうど気になってたところ恵文社で見つけてしまった。 内容はまったく知らずに買ったのだが、シュルレアリストS.T.氏とその友人たちの話だったとは。 見えない世界の扉を開き続ける旅人たち。 ひじょうに心打たれた本であります。

Posted byブクログ