ミッション・スクール の商品レビュー
教育社会学者 佐藤八寿子氏が日本における「ミッションスクール」が持つイメージがどのように出来上がってきたのかを様々な観点から明らかにしようとした2006年の著作。ミッションスクールの成立から発展を歴史的な背景や明治、大正、昭和の社会的な背景から解説していきます。途中からは昨今のサ...
教育社会学者 佐藤八寿子氏が日本における「ミッションスクール」が持つイメージがどのように出来上がってきたのかを様々な観点から明らかにしようとした2006年の著作。ミッションスクールの成立から発展を歴史的な背景や明治、大正、昭和の社会的な背景から解説していきます。途中からは昨今のサブカルチャーで見られるミッションスクールの持つイメージについても触れられており、総合的に「ミッションスクール」の持つイメージが分かります。なお、個々の「ミッションスクール」について考察しているわけではないので注意が必要。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2006年刊。著者は神戸ファッション造形大学専任講師。キリスト教信者数が、西欧はもとより隣国韓国より少数の日本でありながら、「ミッション・スクール」やその生徒は、上流・洗練・富裕層のイメージで見られることが多かった。このイメージの醸成過程と形成理由のみならず、スクールの実態やそれらの発展過程を検討。排耶運動や反リベラルが顕著に見られた戦前が主。また、イメージを論じるため小説等のフィクションも論拠の一つとして叙述を進める。大学・教育、戦前女性という座標軸で近代史を見る上で、有益な視点の一を提供してくれそう。
Posted by
ミッション・スクールという言葉がいかに羨望、憧憬を感じさせてきたか。漱石「三四郎」の美禰子、藤村「桜の実の熟する時」の勝子、蘆花「黒い眼と茶色の目」の寿代、花袋「蒲団」の芳子、そして戦後では石坂洋次郎「若い人」の江波恵子などがその系譜になります。美禰子のモデルが後の平塚雷鳥で、実...
ミッション・スクールという言葉がいかに羨望、憧憬を感じさせてきたか。漱石「三四郎」の美禰子、藤村「桜の実の熟する時」の勝子、蘆花「黒い眼と茶色の目」の寿代、花袋「蒲団」の芳子、そして戦後では石坂洋次郎「若い人」の江波恵子などがその系譜になります。美禰子のモデルが後の平塚雷鳥で、実は禅宗に傾倒していったとのこと。キリスト教的な雰囲気を出すことによって田舎から出てきた明治期青年の「西洋」「リベラル・アーツ」に対する憧憬を象徴したということは納得がいきます。それは「蒲団」においてもそうだとのこと。しかし、明治中期の内村たちへのキリスト教への迫害がミッション・スクールにとっての逆境の時代でもあったとのことは初めて知りました。制服を着た「ファム・ファタル」という言葉も初めて知りました。運命の女(フランス語)の意味だそうで、男をその性的魅力で惹きつけ、破滅させるような女とは確かにこれらの小説の女性たちのイメージです。そして戦後の双葉・聖心女子大出身の美智子妃のミッチー・ブーム、田園調布双葉出身の雅子妃らの皇室へ嫁ぐという「やんごとなき」イメージへ。雅子妃の時にはそんなにブームにならなかったのが、あまりにも優秀で完璧な女性過ぎたということが、皮肉でありながら、確かにそうだと思わざるを得ないのも、あの小説のヒロインたちを覚えているからでしょう。京都女子大を舞台にした「女の園」の暗さを引き合いに出しているのには笑えました。女子中・高ばかりを書いているわけではないのですが、文学の世界などに書き及ぶ中では著者自身も女の子に偏らざるを得なかったように思います。
Posted by
社会学的な記載とサブカルを基盤にした記載とが混在しており、複数名で書いた書なのではないかと思うほどの違いがあった。 ミッションスクールというブランドイメージがなぜ現在も継続してあるのかを戦前から現在までの時系列を追いながら記述されており、とても興味深く読むことができた。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] 天皇家にミッション・スクール出身者が嫁ぐ例が続いた。 事実、ミッション・スクールには、どこか「やんごとない」雰囲気が漂っている。 こうしたイメージは、いかに形成されてきたのか。 そしてそれは日本人について何を語っているのか。 日本社会において独自の地位を保つミッション・スクール。 その来歴を辿り、忌避と羨望のあいだを揺れ動いてきたイメージの変遷を浮き彫りにする。 全国のミッション中・高校一覧付き。 [ 目次 ] 序章 ミッション・スクールとは何か 第1章 忌避と羨望のアンビヴァレンス―明治 第2章 ミッション・ガール―明治から大正へ 第3章 ファム・ファタル登場―大正から昭和へ 第4章 大衆の欲望回路の中で―昭和から平成へ おわりに―これからのミッション・スクール [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
Posted by
娘の進学先を考えるにあたって「他者への奉仕という概念に触れるにはミッション・スクールがいいのではないか?」という考えから読んだ本です。 結論からいうと、この本は日本社会におけるミッション・スクールのイメージの変遷(特に明治・大正時代)を記載したものであり、私の当初の考えが正しい...
娘の進学先を考えるにあたって「他者への奉仕という概念に触れるにはミッション・スクールがいいのではないか?」という考えから読んだ本です。 結論からいうと、この本は日本社会におけるミッション・スクールのイメージの変遷(特に明治・大正時代)を記載したものであり、私の当初の考えが正しいかどうかを検証できるものではありませんでした…。 ただ、平成の「オッシャレー度」もしくは「クラス感」に関する記述の中で引用されている田中康夫の『ファディッシュ考現学』の一文は非常に面白かったです。 また、これとは別にメモしておきたい個所があったので、以下に記載します。 ~親子ともにあこがれた雙葉に入学することが、渋幕から東大に行くことよりもはるかに意味が重いということが文面から伝わってくる。 高度成長期に育った世代は、偏差値的序列の中に自らを位置づけることを余儀なくされてきた。しかし、偏差値とは別の「ものさし」もまたわれわれの中に存在していることは看過しがたい事実だ。田中康夫のいう「オッシャレー度」もそのひとつだろう。しかし、娘の健やかな成長を願う父親として、荘司がミッション・スクールを選択したのは、「オッシャレー度」以上の多くの特質を、そこに見出したからだった。~ ※その「特質」が何か、その「特質」がイメージだけではなく、事実であるか否かが知りたいっ!
Posted by
ミッションスクールの学生は外国語が得意だ、というのも日本社会におけるチャーターのひとつ。 不良的要素をはらんだリベラルアーツ型女子学校の対局に良妻賢母型の実科系女子学校が存在した。手芸学校、裁縫、職業学校などがそれである。 ミッションスクール的教養は、洗練された近代都市文化に根ざ...
ミッションスクールの学生は外国語が得意だ、というのも日本社会におけるチャーターのひとつ。 不良的要素をはらんだリベラルアーツ型女子学校の対局に良妻賢母型の実科系女子学校が存在した。手芸学校、裁縫、職業学校などがそれである。 ミッションスクール的教養は、洗練された近代都市文化に根ざしている。外国語はリベラルアーツと教養主義に共通する象徴的かつ極めて重要な記号のひとつだ。
Posted by
- 1