貝と羊の中国人 の商品レビュー
当たり前のことではあるが、中国人と日本人は違う。顔つきや肌の色は似た黄色人種で二者共に漢字を操る民族であっても、考え方も言葉も多くは異なる。誰も疑いようない事実ではあるが、最近化粧や食べるものが近づいてきた(グローバル化による均一化)せいなのか、黙っていればどちらが日本人か中国人...
当たり前のことではあるが、中国人と日本人は違う。顔つきや肌の色は似た黄色人種で二者共に漢字を操る民族であっても、考え方も言葉も多くは異なる。誰も疑いようない事実ではあるが、最近化粧や食べるものが近づいてきた(グローバル化による均一化)せいなのか、黙っていればどちらが日本人か中国人か見分けがつかない事もある。気候までも日本と近いからなのか、沖縄出身の方は見分けても中国人の方を見分けられないことさえある。だが違う。 本書は中国に暮らした筆者が、日本人との違いについて中国人の成り立ちから辿っていく一冊である。タイトル「貝と羊」は中国人の気質をよく表した言葉だ。貝は農耕が生み出した余剰生産物を貨幣を用いて売買する所から、お金や経済を表す。殷の時代にそれらは発達したから殷人的。羊は読んで字の如く狩猟や遊牧を中心とした生活で周の時代、周人的な側面を表す漢字だ。 中国という国は長い歴史の中でたくさんの周辺民族が侵略し治めてきた土地だ。各年代、王朝によって様々な考え方や暮らし方、文化が発達し、それに応じた知識人や権力者が集まり様々な色合いに発展してきた土地だ。四千年の歴史とはいえ同じ王朝が長く続くことも少ない。今の中国に至っては僅か80年にも満たない歴史しかない。その様な変化の激しい国だからこそ、土地への繋がりも疎遠で他者との繋がりも深くならない。 その様な国が我が国の隣にあるのだ。私は中国はプライベートもビジネスも何度も訪れて、人の多さには驚いたが、食べ物も人も良くて世間一般で言うような悪いイメージは持っていない。国内にも中国人の知り合いは多数おり、皆、日本人の友人同様に良い人たちばかり、何よりビジネスやお店で出会う中国人は皆働き者だ。そんな中国と日本は頻繁にすれ違いを起こす。政治の問題は靖国訪問、台湾や沖縄、原発処理水放出は日本からの魚貝類農産物の輸出に大ダメージを与えるような問題が山積している。すれ違いは今はまだ殴り合いの喧嘩に至っていないが、対話・沖縄・尖閣問題はいつ武力衝突に発展しないか緊張状態が続く。まさかお互い手を出すことはないだろうとたかを括っている人も多い。だが歴史を振り返れば、そうした国民性の違いやひょんなすれ違いから何度も戦火を交えてきた。元寇然り日中戦争もたったこの数百年の間に衝突している。 先ずはお互いの国民性の違いは認めなければならない。生まれも育ちも経験もまるっきり違う2つの国家が分かりあうためには互いの歴史に学ぶのが一番である。その知識なしにニュース報道やネット動画に悪戯に踊らされ、面白がっていると、そのうちに引き金は引かれるだろう。 中国人が本音と建前を貝と羊の様に使い分け、どんな変化の中でも逞しく生き延びてきた事を忘れてはならない。そして我々日本も太平洋戦争の惨禍から劇的に復活を遂げた民族だ。2つの強力な民族同士が心の底から相手を信じ、笑って手を取り合える時代がいつか来る。そう信じて本書を閉じる。
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中国の文化を殷周の違い、貝と羊から書き起こし2000年代まで中国人の考え方、行動原理、習慣が書かれている。 特に中国の大雑把な捉え方は参考になった。「春望」の一節で、二通りの解釈ができるところ等。
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貝の殷、羊の周という二つの文化が並存する社会から始まった中国。その起源も漢字に残されている。また、人口動態と王朝交代の関連性を議論しているのも面白い。目からウロコの読了感。
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人口動態と王朝交代を結びつけるのは新鮮だった。天下をとる→社会が安定して人口増加→人口が生産力を上回り混乱・人口減少→王朝交代→以下繰り返し。
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ちょっと古いので、今の中国とはまたちょっと違うんだろうな。と思うところもありつつ、非常にスラスラ読みやすい本です。例えも分かりやすい。 改めて、お隣の国が、大陸ならではの歴史背景をもった国民性なんだな。と。で、ありかながら、ホンネとタテマエを持つところなど、日本人と同じところもあ...
ちょっと古いので、今の中国とはまたちょっと違うんだろうな。と思うところもありつつ、非常にスラスラ読みやすい本です。例えも分かりやすい。 改めて、お隣の国が、大陸ならではの歴史背景をもった国民性なんだな。と。で、ありかながら、ホンネとタテマエを持つところなど、日本人と同じところもありつつ、欧米圏の人から見た中国人の人物観が、まんま日本人と同じやんけ。やっぱグローバルで見たら似てるんだなぁ。
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小飼弾氏の「新書がベスト」でおススメされていなかったら手に取る事も無かったですあろうが、非常に良かった。 中国の歴史を俯瞰し、中国人の精神構造、政治、日本との関係等についてとても分かりやすく書かれてある。またここに書かれてある内容は、私個人の中国・中国人との交流における経験とも...
小飼弾氏の「新書がベスト」でおススメされていなかったら手に取る事も無かったですあろうが、非常に良かった。 中国の歴史を俯瞰し、中国人の精神構造、政治、日本との関係等についてとても分かりやすく書かれてある。またここに書かれてある内容は、私個人の中国・中国人との交流における経験とも一致する。 何だかんだ言っても日本と中国は歴史的に1番長い関係にある。近代化の流れの中で必ずしも同じ価値観を共有出来なくなってしまった。今でもそのギクシャクした関係は残っているが、相手の事を理解して大人同士の交流をスタートさせるための手引書として非常に優れていると思う。
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歴史や文学がメインだけど、政治、経済、人口学などいろいろな視点から中国を見る切り口がユニーク。いろんな意味でヒントになることがある。
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自分は中高時代の歴史の授業で、第二次世界大戦の辺りの教え方にだいぶ違和感を抱いていた。 そこにはもちろん、あの戦争に関する「全て日本が悪うございました」という姿勢に対する情けなさや怒りもあったけれども、かといって、2chなどにある過激な反中的言説にも共感できかねた。 あまりに...
自分は中高時代の歴史の授業で、第二次世界大戦の辺りの教え方にだいぶ違和感を抱いていた。 そこにはもちろん、あの戦争に関する「全て日本が悪うございました」という姿勢に対する情けなさや怒りもあったけれども、かといって、2chなどにある過激な反中的言説にも共感できかねた。 あまりに勧善懲悪的すぎるじゃないか、世の中そんなにシンプルではないんじゃないか、もとをただせば、そういう種類の違和感だったからだ。 こうした違和感の大本はたぶん三国志から得たのだと思う。 というのも、三国志という歴史を眺めてみると、歴史というのは嫌でも政治的にならざるをえない側面というか、それを余儀なくされる面があるんだとも思ったからだ。 魏と蜀いずれが正統かという問題は、結局のところ政治的なテーマとならざるをえない。 連合国と枢軸国、いずれが正義かといった問題も、その勝敗の影響を免れない(言わずもがな、その行為を正当化するわけではございませんよ。連合国を正義とし、枢軸国を悪とする見方をもってしても、原爆投下は非難されるべきでしょう)。 かといって、歴史教師の立場もやはりよろしくないし、それに2ちゃんねらーの所見はもはや顧みるまでもなかった。 そうした自分の中の「極端な考え方ではないけれどもかといって居心地のいいわけでもない」状態、このモヤモヤした状態を何よりもスッキリさせてくれたのはこの本だと感じている。 歴史を政治から解放してくれたわけではないけれども、しかしだいぶその固執からは逃れていると思う。優れた文明論。
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漢民族がが二つの文化、貝←農耕民の「殷」と、羊←西域の遊牧民族「周」の衝突によって「漢民族」とする。「貝」=多神教的の文化=実利主義 「羊」=一神教的文化=建前主義。 日本が発展するためには、どうしても中国とうまく付き合う必要がある。この本音と建て前をうまく使えば良いと思うし、江...
漢民族がが二つの文化、貝←農耕民の「殷」と、羊←西域の遊牧民族「周」の衝突によって「漢民族」とする。「貝」=多神教的の文化=実利主義 「羊」=一神教的文化=建前主義。 日本が発展するためには、どうしても中国とうまく付き合う必要がある。この本音と建て前をうまく使えば良いと思うし、江戸時代までの明らかに中国の国力が上の時代はうまくやってきたと思う。明治、昭和と日本の国力が中国を上回った(と思うのである)時代を経たことで、これがやりにくくなっているような気がするのだ。
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加藤徹『貝と羊の中国人』(新潮新書)は、新しい観点が豊富につまった中国人論。 民族とは2つの異質な集団がぶつかりあって生まれる例が多いとしたあとで、中国もまた平原の農耕民である「殷」と、西域の遊牧民族である「周」の衝突によって「漢民族」ができたと指摘。そのうえで「貝」=多神教...
加藤徹『貝と羊の中国人』(新潮新書)は、新しい観点が豊富につまった中国人論。 民族とは2つの異質な集団がぶつかりあって生まれる例が多いとしたあとで、中国もまた平原の農耕民である「殷」と、西域の遊牧民族である「周」の衝突によって「漢民族」ができたと指摘。そのうえで「貝」=多神教的な「殷」の文化=実利を重んじるホンネ主義 「羊」=一神教的な「周」の文化=義を重んじる建前主義 と整理。金儲けと共産主義の共存する中国の複雑さを、この「貝」と「羊」を使い分けに求める。まさに「一筋縄ではいかない」中国人のしたたかさを、すこーんと腑に落ちるように説明してくれているなぁ。なんか、すっげぇ使えそう。 他にも、中国語には「泊まる」と「住む」の区別がないとか。「餃子を食べる(我喫餃子)」も「食堂で食べる」(我喫食堂)も文法的には変わらない大まか言語(食堂を食べたりしないのは、文脈判断)だとか。言語と国民性はもちろん密接につながっていることを考えると、中国的な合理主義というのも、なるほどなーと思えてくる。 著者は本来、「京劇」の専門家とか。歴史うんちくもたーっぷりでたのしい。
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