優雅で感傷的な日本野球 新装新版 の商品レビュー
偽ルナールの野球博物誌 ライプニッツに倣いて センチメンタル・ベースボール・ジャーニー 日本野球創世綺譚 鼻紙からの生還 愛のスタジアム 日本野球の行方 第1回三島由紀夫賞 著者:高橋源一郎(1961-、尾道市、小説家)
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最初から最後まで意味が分からない。異世界なのか、それとも未来なのか。一つだけ正しいのは、人々が知っている野球は存在していないという事だ。 全ての章に変な人が、長い言葉で野球を説明する。それはライプニッツや空想話でだ。長々と語られる言葉に、一つも意味がないのはわかる。だけどなぜ...
最初から最後まで意味が分からない。異世界なのか、それとも未来なのか。一つだけ正しいのは、人々が知っている野球は存在していないという事だ。 全ての章に変な人が、長い言葉で野球を説明する。それはライプニッツや空想話でだ。長々と語られる言葉に、一つも意味がないのはわかる。だけどなぜか読まされてしまうのは、異質な文章力のなせる技だろう。 著者は、「素晴らしいアメリカ野球」という本に影響を受けて、この小説を書いた。その本の内容は、アメリカ野球について語りながら、その事を通じて、アメリカ文学を語るというアクロバティックなもの。現代は「素晴らしいアメリカ文学」。ということはこの小説も、現代としては「優雅で感傷的な日本文学」となる。小説ないの全ての野球という単語を、小説に変えても、いや、他の言葉に変えても成立するかもしれない。 だけど著者はこの小説で何を書きたかったのか。言葉で遊びたかっただけなのか。ポスト文学というものに詳しくないのだが、小説でしかできない芸術であり遊びだとは思った。 ほのぼのとしたタイトルとは似つかず、この小説を読んでいると、とてつもない不安に襲われた。様々な映像が(松本大洋の漫画のような)押し寄せて、それは見えざるものの恐怖ではなく、今見ているものが偽りなのではないか、壊れてしまうのではないかという恐怖だ。もしかして私の、私は、全ては野球なのか? 野球とはなんだ? 何も分からない。
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2009年3月28日~29日。 この人の作品には常に寂しさが付きまとっていると思う。 すべてを読んだ訳ではないが、殆どの作品にそんなテイストがあったように思う。 この作品にもその寂しさはあった。 悲しみ、といってもいいのかも知れない。
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[ 内容 ] ぼくは野球を知らなかった。 ぼくの友だちもパパもママも先生さえも知らなかった。 「野球を教わりたいんです」―“日本野球”創世の神髄が時空と国境を越えていま物語られる。 一九八五年、阪神タイガースは本当に優勝したのだろうか? 第一回三島由紀夫賞受賞の名作。 [ 目次 ] [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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高橋源一郎氏が挑戦した日本野球を語る事で、日本人を語ってみるという作品『優雅で感傷的な日本野球』を読んだ。 挑戦的作品なのだが結構笑えるのは高橋源一郎さんが持っている秀逸なユーモアのセンスのおかげだろう。日本人が語られているか二「関しては?だが日本人の特徴の一つ物事へのこだわりの...
高橋源一郎氏が挑戦した日本野球を語る事で、日本人を語ってみるという作品『優雅で感傷的な日本野球』を読んだ。 挑戦的作品なのだが結構笑えるのは高橋源一郎さんが持っている秀逸なユーモアのセンスのおかげだろう。日本人が語られているか二「関しては?だが日本人の特徴の一つ物事へのこだわりの部分が描き出されて入ると感じた。第一回目三島由紀夫賞をとったとの事だが選者は勇気があったなあと思う。才能への投資だったのだろうか。。不思議な小説を読みたい方にはおすすめです。
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野球は、資本主義によって、新聞によって、TVによって、かつての夢を叶えることはできなかった。それどころか今や、球場には血が流れる。野球があるためには様々なものが省略されたり、抹消されたり、交換されなければならない。野球は極めて恣意的で、膨大な数の選択によって生まれた。重大な秘密が...
野球は、資本主義によって、新聞によって、TVによって、かつての夢を叶えることはできなかった。それどころか今や、球場には血が流れる。野球があるためには様々なものが省略されたり、抹消されたり、交換されなければならない。野球は極めて恣意的で、膨大な数の選択によって生まれた。重大な秘密が隠されている小説にも見えたし、この小説自体が重大な秘密として在るような気もした。
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1988年の小説。これは、解読したいという欲望をめちゃくちゃ喚起させるくせに、解読しようとするとさらさらと指の間から零れ落ちてしまうような小説だとおもった。なにか大事なことが書いてある「気がする」、というか小説にはきっとなにか大事なことが書いてある「にちがいない」、という思い込み...
1988年の小説。これは、解読したいという欲望をめちゃくちゃ喚起させるくせに、解読しようとするとさらさらと指の間から零れ落ちてしまうような小説だとおもった。なにか大事なことが書いてある「気がする」、というか小説にはきっとなにか大事なことが書いてある「にちがいない」、という思い込みから脱兎のごとく逃げ出そうと試みる小説。どう受け止めたらいいんだーポストモダンむずかしい。なんでこんな訳分かんないのに読み進めちゃうんだろうなあと首を傾げながら、でも面白くてするっと読んでしまった。うーむ。
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高橋源一郎が、野球について書くことで日本人の心のありようを描こうとした作品。 野球が消えてしまった世界で、野球に関して書かれた文章を探す者、野球選手になるため野球について知ろうとする少年、元野球の監督、そして1985年に優勝したとされている阪神タイガースの元選手たち……。 以...
高橋源一郎が、野球について書くことで日本人の心のありようを描こうとした作品。 野球が消えてしまった世界で、野球に関して書かれた文章を探す者、野球選手になるため野球について知ろうとする少年、元野球の監督、そして1985年に優勝したとされている阪神タイガースの元選手たち……。 以前、友人の一人が檀一雄について書かれたエッセイや評論を読んでいて、でも檀一雄の作品はひとつも読んだことがなくて、それで檀一雄についてやたらと詳しく語っていた。 友人曰く「俺は堀を見て城を想像するのが好きなんだ」。 この作品で高橋源一郎がやろうとしたのも同じようなことなんじゃないだろうか。 高橋源一郎「いや、むしろ僕がやろうとしたのは屋敷を見てトレーシーを知るって感じですね」 と答えてくれたら面白いかなと思ったが、自分でも書いていて意味不明なのでこれはこれで終了。 僕は少し前から高橋源一郎信者で、要するに彼の書く文章に参ってしまってこれはもう全部読まなくちゃと、とりあえず今のところ変わらぬ決心をしたので買いやすいものから順に彼の著作を買っている。 その文体だが、やっぱり何度読んでも心地良い。 単純に僕の好みなのだ。合ってるのだ。 距離感というか、文章と文章の間にあるスリット部分の幅と深さがちょうどいい感じでもういくらでも読んでいられる気分だ。 野球よりサッカーが好きで、高木豊にも屋敷にもトレーシーにも若菜にも阪神タイガーズにも興味がない僕がこれだけ楽しく読めるのはひとえに高橋源一郎のおかげです。 どうもありがとう。
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高橋源一郎って、ずっとハッタリで生きているよな、ていう感じがする。作品も、本人も。ハッタリだけ。ある種、詐欺師みたいな。そんな人だよなぁ、と。基本的に、空っぽ。でも、それに価値があると思わせるのだけが、長けてる。そんなふうなイメージでいる。(12/7/4)
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もうなんか批評家めいたことはかきたくないしかくのめんどくさいんだけど、そしたら全部「おもしろかった」で終わっちゃうからなんかなー。とりあえず全体的によかった。日本野球創世綺譚の章はとくによかった。
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