被爆のマリア の商品レビュー
やはりこういう季節なので原爆関連の小説を読んでみた。 短編集で、感想はというとちょっと?だがまあ難しいテーマだろう事は想像に難くない。何を言ったら良いのか僕ももう一度広島長崎に行って考えてみようかと思う。
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予測できたとはいえ、原爆に対し、我々以降の世代による思いは変わってきた。薄れたとは言いたくないが、時と共に冷めるのは否めない。唯一無二の被爆国でもあるのに、世界で最も戦争を身近に感じない国民なのだ。語りべを務める被爆者は高齢となり、さほど遠くない将来には失うだろう。そうした時、こ...
予測できたとはいえ、原爆に対し、我々以降の世代による思いは変わってきた。薄れたとは言いたくないが、時と共に冷めるのは否めない。唯一無二の被爆国でもあるのに、世界で最も戦争を身近に感じない国民なのだ。語りべを務める被爆者は高齢となり、さほど遠くない将来には失うだろう。そうした時、これまでのような平和記念館での紹介やらでは、果たして次世代に反戦非核を訴えられるだろうか。史実は遠ざかり、世相は変遷する。常にその時代に適した伝搬方法を考えていかなきゃいけないんじゃないか。それが著者の言わんとするところだと思う。
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ヒロシマの本はたくさん読んだけれど こういう角度からヒロシマは、読んだことがなかった。 ランディさんの視点はやはり、独自だ。 「時の川」にも考えされられたけれど 「イワガミ」には、浄化された感じがする。 浄化されるような小説に出会ったことは無かった。 3.11か...
ヒロシマの本はたくさん読んだけれど こういう角度からヒロシマは、読んだことがなかった。 ランディさんの視点はやはり、独自だ。 「時の川」にも考えされられたけれど 「イワガミ」には、浄化された感じがする。 浄化されるような小説に出会ったことは無かった。 3.11からのモヤモヤも少しだけ、晴れた気がする。 この広島で もっとヒロシマのことを知りたいと思った。 原爆が落ちる前の広島も、もっと知りたい。 二葉山にも行ってみよう。
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『原爆』をテーマにした短編集。 4話。 広島と長崎に行き、少しだけですが被爆という過去に触れてきました。 晴れていれば新潟に落とされていたんだ。 だから、なんとなく他人事じゃない気がして。 平和記念公園も、町のいたるところに見受けることができる、被爆の爪あとも、 私...
『原爆』をテーマにした短編集。 4話。 広島と長崎に行き、少しだけですが被爆という過去に触れてきました。 晴れていれば新潟に落とされていたんだ。 だから、なんとなく他人事じゃない気がして。 平和記念公園も、町のいたるところに見受けることができる、被爆の爪あとも、 私の胸にはしっかりと刻まれています。 表題にもなっている被爆のマリア・・・ すぐに長崎のものを思い出しました。 だけど、内容としてはかなりの違和感。 他の3話は、胸に伝う何かがあったけれど、 この話は、かなり異様。 結局何???? だけど、3話目の『イワガミ』がとても良かったです。 何千年も前から、ずっと広島を見つめてきて、 戦争が起きて、原爆が落とされて、 苦しむ人々を、そしてまた平和になっていく広島を、 ずっと見つめている磐神。 いくら時が経っても、「広島」は広島。 永久不変である・・・そんな風に感じました。 被爆のマリアがやっぱり・・・。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「時の川」は、読了後に強い印象が残った。人間の持つ、異質なモノに対する無遠慮な差別は、本能的なモノである。だから、意識して考える事が必要なのに、異質を意識する事自体がすでに差別を孕んでいる事実が悲しいと思う。病気や災害は防げないものだが、人災であるハズの戦争で不幸になる人がいる世の中は、絶対に間違ってると感じた。
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60年後の原爆をめぐる四つの物語。 「原爆の火」を結婚式にという間接的なものから、被爆体験者の語り部、広島の昔の風景、タイトルにもなっている被爆のマリア像など。 原爆がもたらしたものをストレートに描くのではなく、人々の人生にじわっと浮かんでくる影響のようなものになっている。日本人...
60年後の原爆をめぐる四つの物語。 「原爆の火」を結婚式にという間接的なものから、被爆体験者の語り部、広島の昔の風景、タイトルにもなっている被爆のマリア像など。 原爆がもたらしたものをストレートに描くのではなく、人々の人生にじわっと浮かんでくる影響のようなものになっている。日本人の背景にある原爆を、重たくならずに出している。
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これもドリームタイムもまあまあおもしろかったけど 終わりの中途半端な短編集は 好みの展開を期待をしてしまってしっかり裏切られてなんか気に食わない わがまま!
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私は原爆についてほとんど何も知らないと言っていい。 体感として知れるはずがないことは当然だけど、知識としても知らない。 そんな自分を正当化するつもりはないが、現代人はそういう人が多いのではないかと思う。「原爆の存在は知っている。だけどその中身はほとんど知らない」。それは罪深きこと...
私は原爆についてほとんど何も知らないと言っていい。 体感として知れるはずがないことは当然だけど、知識としても知らない。 そんな自分を正当化するつもりはないが、現代人はそういう人が多いのではないかと思う。「原爆の存在は知っている。だけどその中身はほとんど知らない」。それは罪深きことであり、平和に埋もれている証拠なのだと思う。 そんな現代人である私にとって、事件としての原爆が描かれた小説というものはきっと、リアルには入ってこなかったと思う。だけどこの小説はとても身近。その辺に転がっていそうな事象と原爆のつながりが描かれていて、そのほうが却って私のような人間にとってはリアルなのだと感じた。 「知らない」ということは恐ろしい。「知らない」からこそ、無邪気に振る舞えてしまう。「知っている」人は、その重さを身をもって分かっているからこそ、無邪気にはなれない。 原爆について「悲惨な過去だ」「凄惨な出来事だった」と語れるのもきっと、何も知らない人たちなのだと思う。 知っている人たちはきっと、そんな一言では済ませられないし、ひと括りにも出来ないだろう。それ以前に、言葉にすることさえ躊躇ってしまうかも知れない。 私も「知らない」から、こんな風に書けるのかも知れない。 映画『火垂るの墓』を観たときにも感じたことだけど、心のどこかで“いつかの話”と思っているところがあるんだと思う。自分には無関係だという意識がどこかにあるからこそ、物語も客観的に見てしまう。 この短編集もきっと、読む側によって全く異なる感想になるような気がします。 経験者に言わせれば「こんなのリアルじゃない」だろうし、未経験者的には身近なものになるだろうし。 私は基本的に田口ランディさんの文章や書かれる雰囲気が好きです。精神的に迫るところがあるから。 そして私は「知らない」現代人だから、物語として「好きな小説」だと言える。 ただテーマとしてはとても難しいと思います。無意識であっても現代人であっても、日本人であればいつの間にか根付いているテーマなのかも知れない…と感じました。
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作家の田口ランディさんが何度か広島へ行かれていたことは知っていた。そのうえで、この本を書いたのだろう。漠然とそんなことを思いながら読まずにいた。 今回、これを手にしたのもたまたま目につく場所におかれていたからで、「さぁ読もう」といったものではない。 ただ、昨年そして一昨年と広島で...
作家の田口ランディさんが何度か広島へ行かれていたことは知っていた。そのうえで、この本を書いたのだろう。漠然とそんなことを思いながら読まずにいた。 今回、これを手にしたのもたまたま目につく場所におかれていたからで、「さぁ読もう」といったものではない。 ただ、昨年そして一昨年と広島で語り部さんの話を聞く機会に恵まれたので、読む準備はできていたのかもしれない。 自分もそうだが、田口さんも戦争を知らない世代の方だ。 だからこそ、想像するしかない。共感するしかない。 戦争や原爆は伝えていかなければならないことだろう。 でも、あくまでも想像と共感が原点となってしまう。 当事者である人々、戦争を知る人々からすれば、冷たい。分かっていない。そう言われるかもしれない。 でも、限界があるのだ。想像にも共感にも。 そのうえで伝えていこうとするならば、どうすればいいのか。 この本にあるのは一つの答えだと感じた。 ただ百点満点の何点であるかは分からない。 気に入らないという人も少なくないと思う。 それでも次の答えを出さないといけない時期にきている。 だから、否定されることを恐れずに、こうやって一つの答えを出した田口さんは素晴らしいなと思えた。
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原爆を少しずつ考えさせられる短編集。どこか無関心で、それでも確かに訴えかけられている。表題作はちょっと重たかったです;主人公の不器用さに引きずられた感じです。
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