1,800円以上の注文で送料無料

ちぐはぐな身体 の商品レビュー

3.9

76件のお客様レビュー

  1. 5つ

    20

  2. 4つ

    21

  3. 3つ

    17

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

    1

レビューを投稿

2026/03/30

話としては興味深いものもあったが、肝心の服を着ることについて突っ込んだ記述はそこまで多くなく、どちらかというとファッションを起点にした社会論のような感じで、正直少しがっかりした。 また、ファッションという感覚的なものを論述として語るうえでの弊害か、あるいは事例や感覚が古いせいか、...

話としては興味深いものもあったが、肝心の服を着ることについて突っ込んだ記述はそこまで多くなく、どちらかというとファッションを起点にした社会論のような感じで、正直少しがっかりした。 また、ファッションという感覚的なものを論述として語るうえでの弊害か、あるいは事例や感覚が古いせいか、論理に納得感もあまりなく、かといって鋭く研ぎ澄まされた感性を味わえるわけでもなく、そこらへんによくいるギャルソン、ヨージ好きのおじさんのつぶやきに思えてしまって、なんとなく読み応えがなかった。

Posted byブクログ

2026/03/29

鷲田清一著作を初めて。高校生向けを意識したとあとがきにあるように、平易な文章を心がける気遣いを感じる。 本作は、パスカル「ディスプロポルシオン」とファッションを結びつけ、ファッションの軽薄さではなくその深遠な真理性を探求する論考である。 杓子定規な「等身大」に飲まれることなく、...

鷲田清一著作を初めて。高校生向けを意識したとあとがきにあるように、平易な文章を心がける気遣いを感じる。 本作は、パスカル「ディスプロポルシオン」とファッションを結びつけ、ファッションの軽薄さではなくその深遠な真理性を探求する論考である。 杓子定規な「等身大」に飲まれることなく、既定の何かから外れること、ずれること、くずすがファッションの真髄である。そのようにモードを創造し批判し新たに生み出すという営みに、人間のちぐはぐさを優しく包み込む作用がファッションにはある。 個人的な体験として、最近出身高校の制服が78年ぶり刷新されるというニュースをみた。正直私が現役の時から古風なデザインで特に女子生徒から不人気であった。今まで何度も刷新する議論が交わさせてきたが、今まで実現できなかった主な要因は「伝統」を守らねばという固持である。これは、制服の社会性に重きを置かれた観点である。 今回制服を刷新するにあたりデザインには在校生のアイデアも採用されている。現在の生徒たちがより制服を好ましく思うようにと、制服の当事者である生徒たちの視点に立った配慮である。 この出来事は、本書に述べられている制服における匿名の〈属性〉への還元をよく表している。 今回の制服刷新は、現役の生徒たちが当該高校の生徒であることへの愛着や誇りにもつながることが想定される。それは、制服はただ機能的に身体を装飾・保護するだけの目的でないことを示している。今回の制服刷新によって、還元される当該高校の生徒という〈属性〉が、生徒たちにとってポジティブな印象になることを切に願う。さらに興味深いのは、彼らが今後、この制服をどのように着崩し、あるいは着こなしていくのかという点である。そこには、各々が内に抱える〈ちぐはぐさ〉が、ささやかに表出してくるのではないだろうか。 本書は制服を起点とした論考にとどまらず、話題はダイエット症候群や80年代の日本人デザイナーの功績分析、タトゥーへと多岐にわたる。一貫して、ファッションを軽んじることに対して抵抗をしようという著者の気概を感じる。私のようにファッションに疎い、関心が低い人がそもそもファッションや服飾の意味は何か、と思想的に興味ある人おすすめ。

Posted byブクログ

2026/02/20

ファッションとは規範からの逸脱と言い換えられると思った。 庶民の好ましい装いを産んだのは貴族階級の豪奢な服飾に対する反抗意識であるし、思春期に入り制服を着崩すのは型への抵抗である。 ロランバルトは「モードとは無秩序に変えられるためにある秩序である」と書いているらしい。「モード...

ファッションとは規範からの逸脱と言い換えられると思った。 庶民の好ましい装いを産んだのは貴族階級の豪奢な服飾に対する反抗意識であるし、思春期に入り制服を着崩すのは型への抵抗である。 ロランバルトは「モードとは無秩序に変えられるためにある秩序である」と書いているらしい。「モード」の普遍的な定義はそうだろうと思う。 一般的に「流行は繰り返す」と言われるのも、モードの推移が螺旋を登って一周したように見えるからだろう。 ノーマルな服を着崩すことによって自分自身の輪郭を掴む練習をしたい。

Posted byブクログ

2025/12/27

こりゃあ、「暇と退屈の倫理学」以来のわたしヒット哲学本だ!95年発刊で27刷目突入という隠れた名著。極めて思想的なのに社会学的・心理学的・身体的見地からファッションを哲学する一冊。あと三回読んで後ほどレビューします。しかし文章のうまい哲学者って本当に怖い物なしだね。

Posted byブクログ

2025/11/26

反骨の精神を体現する川久保玲さんと山本ヨウジのことを知りたくて読んだ。 触れられている分量はそれほど多くなかったが、ファッションで表現されるもの、将来に備えない形としての袖の長い服(すぐに手を出せない)。今を生きるための服、としての表現だという解釈については面白かった

Posted byブクログ

2025/11/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ファッションとは、身体感覚を統一させるもの?なのかな。 「着るもので自分を表現する!」という意識が弱く、「オーバーサイズは嫌いだからまず除外」程度の好悪でしか服選びが出来ない身としては刺激的な本でした。 女性は身体変化が続いていく性別だから異性装くらいで自己が揺らがないけれど、男性は耐性がないから異性装で揺らぎやすい…というのにびっくり。 現代は男性も耐性ある人増えてきたと思いますが。歌舞伎や舞台役者、V系という一部の人はずっとこうだったと思うけど、もっと広がってきた(同列にしていいかわからんけど、歌舞伎もV系も「女形」なんですよねぇ) そういえばこの頃って「モテ服」という概念はなかった気がする。 いつ出てきたんや… 30年前くらいの発行なので、現代の「悪目立ちしたくない」に傾いてると思う若い人たちのファッション傾向は、どう捉えられているのか気になりました。 ハイブランドとファストファッションの2極化はもの凄く進んでるとは思います。 というか、ヨウジヤマモトってモードかと思ってました…… コムデギャルソンは「アラサーちゃん」で観てた。漫画版の方、ギャルソン着てる子は170cmあったし高価な服だと知ってたので“媚びない服”なんだなぁと思った思い出。

Posted byブクログ

2025/11/24

哲学的にファッションを解釈することで、一見奇妙にしか見えない奇抜なデザインやカルチャーを別の視点から解説している。 自分の姿は本質的には自分の目では見えず、身体の触覚や他人の評価でしか認識することはできない。そこで、ファッションとしての衣服はそれを補完するツールとして有効である...

哲学的にファッションを解釈することで、一見奇妙にしか見えない奇抜なデザインやカルチャーを別の視点から解説している。 自分の姿は本質的には自分の目では見えず、身体の触覚や他人の評価でしか認識することはできない。そこで、ファッションとしての衣服はそれを補完するツールとして有効である。 奇抜なファッションをしている人に対して興味が出てくるし、見かけることが今後楽しみになってくる。

Posted byブクログ

2025/09/14

ある時期において大変ハマった作品 これを読んでメルカリでギャルソンの服を買ってきてみた 自分が装う理由がここに書いてあって言語化してあった 読みながらそうなんだよそうなんだようんうん と共感納得しながら読んでいた  当時は衣服とこの本に救われていたので感謝している

Posted byブクログ

2025/04/16

2025年の読み物としては物足りない内容であった。 当時と情報収集の質も速度も別世界なので仕方ない節はあるが、以下の2点が特に気になった。 ①ファッションとは本来、❶クリエイティブと❷着こなしの2軸で考えるべきと思うのだが、本著者は記号として同一に捉えている。 ②制服からファ...

2025年の読み物としては物足りない内容であった。 当時と情報収集の質も速度も別世界なので仕方ない節はあるが、以下の2点が特に気になった。 ①ファッションとは本来、❶クリエイティブと❷着こなしの2軸で考えるべきと思うのだが、本著者は記号として同一に捉えている。 ②制服からファッションへの目覚めの話だが、これは日本特有の文化であり、それをパリ含めた世界規模のものと捉えているのは適切ではない。固定された服での着崩しと服そのものを選べる環境では前提が全く異なる。 哲学からかけ離れた学問で育った身なので哲学的読み方がそもそも間違っているのかもしれないし、時代的情報網の差分かもしれないが読み物としてしっくりこなかった。

Posted byブクログ

2025/09/14

中学の国語で読んだ『自由の制服』の出典元。 教材には収録されていない箇所で、一つ大きな発見があった。 「ファッションとはほんとうは社会を組み立てている規範や価値観との距離感覚であり、ひいてはじぶんとの距離感覚であるとおもう。」(174P) 本書巻末、『自由の制服』には収録されてい...

中学の国語で読んだ『自由の制服』の出典元。 教材には収録されていない箇所で、一つ大きな発見があった。 「ファッションとはほんとうは社会を組み立てている規範や価値観との距離感覚であり、ひいてはじぶんとの距離感覚であるとおもう。」(174P) 本書巻末、『自由の制服』には収録されていなかった、本書の結論めいた記述だ。 中3の時に授業で『自由の制服』を読んで以来ずっと、ぼくにとってのファッションとは、世間からどうしようもなくズレてしまっているじぶんを、なんとか世間並みの価値観で説明がつくように隠蔽してくれるものだった。いわば、僕の意識はずっと、じぶんと社会との遠すぎる距離を少しでも縮めることに向けられていたのだ。 しかし鷲田のいう「距離感覚」は明らかに「はずし、ずらし、くずし」のことであり、普通の(ぼくに言わせれば、普通でいられる)人が社会からあえてちょっとだけ距離を取ることを指す。つまり、はじめから立ち位置も、向かう方向も全く逆なのだ。 これが良いことか悪いことかはさておき、ぼくのアイデンティティについて中学生以来の大きな気づきを与えてくれる読書ではあった。

Posted byブクログ