サラサーテの盤 の商品レビュー
意外と知られていない…
意外と知られていない内田百間。読みやすい文庫で読んでみましょう!夏目漱石の弟子なので、漱石研究をしたい人はそろえておきたい集成シリーズです。
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鈴木清順によって映画…
鈴木清順によって映画化された「サラサーテの盤」を初め、百間独特の幻想小説が楽しめる集成。現実と夢が地続きで繋がっていく様を、読者はまどろみの中から目撃するのです。
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元・法政大学のドイツ…
元・法政大学のドイツ語教官で、大の火事好きな偏屈なおやじ。でも同時に、夏目漱石の弟子で、エッセイが素晴らしい文豪でもあります。一度彼の作品を読むと、にやにや笑えてしまうか、夢を見ているような気になります。よく寝る人で、夢にまつわる奇妙な作品が多く、彼の旅行記やエッセイに負けず劣ら...
元・法政大学のドイツ語教官で、大の火事好きな偏屈なおやじ。でも同時に、夏目漱石の弟子で、エッセイが素晴らしい文豪でもあります。一度彼の作品を読むと、にやにや笑えてしまうか、夢を見ているような気になります。よく寝る人で、夢にまつわる奇妙な作品が多く、彼の旅行記やエッセイに負けず劣らず独特の香を漂わせています。「まったくもう!」と笑いたい時はエッセイを、ぼんやりと雲の中に入りたいときは、夢に関するものを読んでみるのをお薦めします。
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エッセイの時とはまた違った印象。読み易い、自然な美文であることは変わらない。 そこはかとない怪異を感じさせる作品集。 夢と現実との境目、生者と死者の境目、見えるものと見えないものの境目・・・すべて『曖昧』 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があるが、これはネタ証しがされてホッ...
エッセイの時とはまた違った印象。読み易い、自然な美文であることは変わらない。 そこはかとない怪異を感じさせる作品集。 夢と現実との境目、生者と死者の境目、見えるものと見えないものの境目・・・すべて『曖昧』 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があるが、これはネタ証しがされてホッとするとともに興醒めな部分もある。 この本では、ネタ証しはされないので興醒めはしない。 そう思えばそんなような〜? もしかしたらそうかもしれない・・・ 曖昧な気分がどこまでも続くので、何度でも読み返せる。 個人的に印象に残った話をいくつか上げたい。 最初の『東京日記』は、二十三編の小品詰め合わせ。怪物の登場から、懐かしい人の声で締めるまで、「夢十夜」のような感じで様々な不思議が描かれる。 この本の巻末には、三島由紀夫の解説という、スペシャルなものが収録されているのだけれど、三島先生は「その六」のトンカツ屋の話が怖いと書いている。私も映像的にアッ!と思うオチだった。 落ちにハッとするという事なら、「その十二」の知らない人と箏を並べて重奏する話と、「その十九」の同窓会の話も首の後ろにすうっと風が通る。 割とハッキリした怖さをさそうのは、もう弔いも済んだはずの人が隣の部屋で、死んだ姿で寝ている話だ。 『とおぼえ』の、氷屋のおやじと客の、なんだか噛み合わないやり取りが続き、だんだんと核心(?)に近づいて行くのは、そこはかとないこわさの中にユーモアもある。 『南山寿』は、教師を退職した途端に妻が亡くなってしまい、手持ち無沙汰に鬱々としている人。 行く先々に現れる、後任の新教官が不気味なのだが、本当に偶然なだけかもしれないし、今の言葉で言うところの「ストーカー」ならそれは別の意味で怖い。 『柳撿挍(検校)の小閑』は、親友だった宮城道雄がモデルらしい。目の見えない人のものの感じ方というものはまた別世界だ。怪談ではなく、お弟子さんとのほのかな交流と予期せぬ別れの物語。 『東海道刈谷駅』では、列車の転落事故で亡くなった宮城道雄氏の当時の行動を記録をもとに追う。 そして、二年ののち、まだ気持ちの置き所に迷いながらも、宮城検校の遭難の地に程近い、東海道刈谷駅を訪れる。
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本書の中では、白昼夢のような日常を綴った「東京日記」が一番好き。理屈では説明のつかない現象にポカンとしたり、首を傾げたりする様子が脳裏に思い描かれ、だからどうということもなく次の出来事に移る。そこに生じる奇妙な空気感がいい。また表題作は、最後に蓄音機から流れる、きっとノイズ混じりであろうツィゴイネルワイゼン、しかもサラサーテと思しき人の肉声入りを想像すると、じんわり不安が広がった。
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実は大学時代に最後の授業で読んだこの「サラサーテの盤」いや〜その当時の色々な感情が湧き起こり、なんとも言えない気持ちに浸りながら読了。 どうでもいい話だが、「サラサーテの盤」の元になっている曲は「ツィゴイネルワイゼン」と言うそうだが、聞いてみると「あーあの曲かー」と心の中でふふっとなるので、読んだ後に聞いてみると教養が増えた気がして少し幸せになるのでおススメである。 さて構成自体は、やはり百閒独特の曖昧模糊な文章によって終始不気味でジメジメした空気感が漂いながら非現実的な物語が展開している。たとえば、最初の場面では(実はここを授業で英語翻訳したので、相当思い入れがあるが)暗澹たる雰囲気に包まれてる家の中を鮮明に記述し、不穏な到来を告げている。そして、頁が変わった瞬間の「砂のにおいがする」という非現実的な記述により、頭が「???」となる我々読者はもはや百閒の現実と非現実が融合する不安要素に包まれてながら進むストーリーの虜になる。あんまり詳しくないので偉そうに書きたくないが、ラテンアメリカの本でよく使用される魔術的リアリズムのように、現実の中に非現実的なことが混ぜ込まれるが、物語自体は何事もなく進んでいき、私達読者が混乱する手法をとっているように思われる。ここら辺は内田百閒とラテンアメリカ文学の比較研究をすると面白いのではないだろうか?(もちろん、私には出来ないし、したくもない。) ともかく、現実と虚構の境界線が溶け合い、我々が正しいと認識していたこの現実も実は正しくないのでは?と不安に陥るような文章を愉しめるこの本は一読の価値があると思う。 最後に、百閒の文章を読了し終えて考えた人間的考察を加えたい。私達は普段、血のつながりや友人関係や会社での上司、同僚という人間関係を固定的に考えていると思う。つまり、たとえ数日や数週間、時には数年会わずともその人とは以前の関係になんらの変化がない状態であると考えているだろう。もちろん、変わらぬ関係も中にはあるだろうが、中には久々に会ってみると「なんか前と比べて一緒にいても面白くないなぁ」とか、逆に「この人ってこんな面白かったっけ?」となることが暫し私にはある。それはなぜ? 考えてみると、逆説的ではあるが、人間とは常に動的な存在で、私たちが普段会うなんらかの「知り合い」は実は「他人」なのではないか?と思ったりする。 つまり、人の細胞は毎日変化するし、昨日覚えていたことも今日には忘れるし、知らない人と出会って考えが変わることもあるだろう。これが自分のみならず他人にも起きているのだから、いわば昨日の自分も他人であり、一見すると記憶のある友達も同様に他人なのではないかと思う。 よって、意味わからないだろうが、私たちは人間という存在が日々「連続」しているものではなく、実は毎秒毎に「断続」していると理解するのはどうだろう。そうするとと、「あの人はあんな人じゃなかったのに」と暫し傷つくことがあると思うが、実はそれは当たり前で、今目の前にしている人は実は「他人」なのである。そう考えると、その人は自分の知る人ではなく、もはや「他人」なのだから必要以上に過去に拘りすぎて関係性を今後どうするかで気を病むこともない。 しかし、少なくともその当時はお世話になったのだから、もし関係が悪くなっても「あの時はお世話になりました」と心の中で思うことが大事だろう。 以上が内田百閒の「サラサーテの盤」を読んで思ったことである。百閒の描く不安定な人間像を参考にして色々考察してみた。
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『サラサーテの盤』は1948年に発表された内田百閒の短編小説。とある一枚のレコードをめぐる怪異譚である。ジャンルとしては恐怖小説に属するのか、幻想小説と呼ぶべきなのか判然としない。オカルトのようでもあり、日常に潜む狂気のようでもあり、信頼できない語り手の紡ぐサイコサスペンスのようでもある。 大正末期〜昭和初期の東京。風の強い夜、〈私〉の家を訪うのは亡き友人の妻であった。女はいつも決まった時刻に、夫が生前〈私〉に貸した遺品を返してもらいに来る。字引き、参考書、そしてサラサーテ自奏のツィゴイネルワイゼンのレコード。サラサーテの肉声が録音されている貴重品のレコードを、女が求めるに至った経緯とは… あからさまな超常現象は出てこないのだが、下手なホラーよりも不気味な物語だ。まず、登場人物の誰も彼もが信用ならない。〈私〉の妻だけは正気に見えるが、夫の連れ子を一人で育てているおふさも、夜な夜な死んだ父親と会話しているきみ子も、友人が死んだという割には妙に冷静な〈私〉も、みなどこか狂気を孕んでいるように見える。 遺品をひとつずつ取りに来るおふさも不気味だが、ひとつずつしか返却しない〈私〉も相当奇妙だ。きみ子が亡き父と会話しているというのは事実なのか、おふさの妄想なのか。レコードの声は結局誰の声だったのか。きみ子が幼稚園に行って不在だというなら、なぜおふさは泣き崩れたのか。謎は何ひとつ解決されないまま物語は唐突に終わり、読者は置き去りにされる。 描かれているのは非日常的な恐怖ではなく、日常そのものが融解してゆく恐怖である。自分の認識そのものが信用できなくなってゆく心細さである。ツィゴイネルワイゼンを知っている人は、その旋律を脳内で物語にオーバーラップさせてみてほしい。二倍増しで戦慄できること請けあいである。(表題作のみ読了)
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福武のものを再読したので、ちくま文庫のものとは多少中身が違うかもしれない。 どれも夢や幽冥の堺を扱った小品をまとめてある。表題作や東京日記は覚えていたのだが、完全に忘却していた南山寿がひときわ印象に残る。中でも下女が突然に暇乞いをしたのはなぜなのかが引っかかり、もしや手当が十分で...
福武のものを再読したので、ちくま文庫のものとは多少中身が違うかもしれない。 どれも夢や幽冥の堺を扱った小品をまとめてある。表題作や東京日記は覚えていたのだが、完全に忘却していた南山寿がひときわ印象に残る。中でも下女が突然に暇乞いをしたのはなぜなのかが引っかかり、もしや手当が十分でなかったからでは?と通俗的に解釈すると、意外にするすると解釈が通じてしまいました(笑)
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まだ読んでないもの、もう一度読みたいものをつまみ読み。私をウチダヒャッケンに引きずり込んだ東京日記がやっぱりナンバーワン。柳検校も好きです。何度でも読める
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『東京日記』『桃葉』『断章』『南山寿』『菊の雨』『柳検校の小閑』『葉蘭』『雲の脚』『枇杷の葉』『サラサーテの盤』『とおぼえ』『ゆうべの雲』『由比駅』『すきま風』『東海道刈谷駅』『神楽坂の虎』収録。 “襞の濃くなった辺りに向うの丘の上の大きな建物の塔が聳えて、天辺が黒雲に食い入り、そのまわりの雲の腹が煙の筋の様になってささくれている。” 百閒先生の空の表現がすごく素敵。
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