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ロートレアモン全集 の商品レビュー

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2023/10/08

だが、しばらく比較してから、私には自分の笑いが人類のそれに似ていないことがわかった、つまり自分が笑ってなどいないことが。(18) ――― 19世紀のフランス詩人・ロートレアモン伯爵(本名イシドール・デュカス、享年24歳)の作品全集。散文詩『マルドロールの歌』、デュカスの詩想文『...

だが、しばらく比較してから、私には自分の笑いが人類のそれに似ていないことがわかった、つまり自分が笑ってなどいないことが。(18) ――― 19世紀のフランス詩人・ロートレアモン伯爵(本名イシドール・デュカス、享年24歳)の作品全集。散文詩『マルドロールの歌』、デュカスの詩想文『ポエジーⅠ』、『ポエジーⅡ』、およびいくつかの書簡が収録されている。註解も多め。 ロートレアモンは生前は無名だったが、後世のシュルレアリストたちに大きな影響を及ぼした。特に『マルドロールの歌』に書かれた「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」というフレーズは、「デペイズマン」という美学概念の具体的な事例として有名(一般的な感覚・認識においては何の関連もなく、また実用性も発揮されない”もの”たちをあえて組み合わせることでコンテクストを揺るがし、美的効果を生じさせる手法)。作品内では、「歌い手」であるマルドロールが出逢ったメルヴィンヌという少年の美しさを形容する表現の一つとして用いられている。「彼は美しい、猛禽類の爪の伸縮性のように、あるいはまた、(…)、そしてとりわけ、解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会いのように!」(278)  マルドロールの歌を通底しているのは、悪徳の発散もまた、美徳の光輝を示すという思考である。一般的な社会通念が統御する「あるべき姿」は、(そこに悪徳も含まれる)「あるがままの姿」を覆い隠す偽善であり、詩人の感受性や想像力に限界をもたらしてしまう。その限界を踏み越えていくための試みが、形を変えて繰り返されるマルドロールの悪行であり、歌なのだ。 マルドロールの主観的な背景は、「人間のようには笑えない」、「人間と共感できない」、というある種の挫折でもある。しかし、読者の同情を誘うような「共感」や、その反動であるような「嘲笑」を招くような「苦悩そのものを描く表現」は、ロートレアモンの美学に反するのだと思われる。だからマルドロールは省みないし、罰されることもない(そもそも疑念や罪という観念を持ち込むことが美的には不純なのではあるまいか)。『ポエジー』を読むと、詩作や人間に対するロートレアモンの問題意識が朧気にでも伺い知れることだろう。 個人的に好きなのはヒキガエルに罵倒されるシーン、また荒れ狂う夜の海で雌鮫と交接するシーンも実に感動的だった。

Posted byブクログ