草枕 の商品レビュー
漱石の作品、ブクログ登録は3冊目になります。 著者、夏目漱石、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 ---引用開始 夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の教師・小...
漱石の作品、ブクログ登録は3冊目になります。 著者、夏目漱石、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 ---引用開始 夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉 - 1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。本名は夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪の一人。 ---引用終了 漱石の代表作を、「修善寺の大患」の前後で分けると、 【修善寺の大患前】 『吾輩は猫である』(1905年) 『坊つちやん』(1906年) 『草枕』(1906年) 『三四郎』(1908年) 『それから』(1910年) 『門』(1911年) 【修善寺の大患後】 『彼岸過迄』(1912年) 『行人』(1914年) 『こゝろ』(1914年) 『道草』 (1915年) 『明暗』(1916年) 本作は、書き出しが有名ですね。 その書き出しは、次のとおり。 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智に働けば角(かど)が立つ。情に掉(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
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古典を読まなくては、と挑戦。冒頭の有名な書き出しからするすると読める。何をしてるか知らないが、温泉地へ来て画家を気取り俳句を詠む主人公は浮世離れして、理解もできないし共感もしない。しかし、登場する那美さんには哀れを覚えた。優秀な女性なのに、狂女だ、気違いだと誹謗されているのだから...
古典を読まなくては、と挑戦。冒頭の有名な書き出しからするすると読める。何をしてるか知らないが、温泉地へ来て画家を気取り俳句を詠む主人公は浮世離れして、理解もできないし共感もしない。しかし、登場する那美さんには哀れを覚えた。優秀な女性なのに、狂女だ、気違いだと誹謗されているのだから可哀そうだ。
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「猫」の脱稿後、わずか2週間で書き上げたというから驚き。 漱石の筆がほとばしっている感がある。 深い学識と名文に、読後の感想もなかなか出てこないけれども、味わいが深く、なぜかまた読みたくなる作品である。
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冒頭から続く文章の計算し尽くされたリズム感と、そこかしこに散りばめられたアフォリズム。筋らしい筋はなく、けれども、文章を目で追うという行為そのものの愉悦を与えてくれる。その体験は単に読書というよりは、聴覚(リズムに身をゆだねる)と視覚(漢語が多用され、実に煌びやか)で文章を味わう...
冒頭から続く文章の計算し尽くされたリズム感と、そこかしこに散りばめられたアフォリズム。筋らしい筋はなく、けれども、文章を目で追うという行為そのものの愉悦を与えてくれる。その体験は単に読書というよりは、聴覚(リズムに身をゆだねる)と視覚(漢語が多用され、実に煌びやか)で文章を味わうというのに近い。 夏目漱石という人は、小説家というよりも、(言葉の最良の意味で)文章家だったのだなと改めて実感。 漱石マイベストはこれかな。
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漱石の繊細な言葉の触覚は、読む人に不思議と懐かしく感じられると思います。草枕を読むと、なにか僕らの先祖がかたちをそっとつくってきた美の意識のようなものが、深く煮詰められた透明なスープのように染み込んでくる。そして、日本にこんな時代があって、そこに僕らの祖父のそのまた祖父が住んでい...
漱石の繊細な言葉の触覚は、読む人に不思議と懐かしく感じられると思います。草枕を読むと、なにか僕らの先祖がかたちをそっとつくってきた美の意識のようなものが、深く煮詰められた透明なスープのように染み込んでくる。そして、日本にこんな時代があって、そこに僕らの祖父のそのまた祖父が住んでいたのかと思うと、すこし胸がどきどきとしてしまう…
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この版ではないのだけれど、この表紙がピッタリ。父の蔵書にあった岩波版だったので…中学の時に読んだかな、いや高校だったかな…あいまいだ…記憶の中の夏目さんシリーズでした…
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夏目漱石さんてすごい!って思いました。 こんな視点でかけるとは…。 難しくてわからないところも多々あるけれど、表現方法に脱帽です。
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