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態度が悪くてすみません の商品レビュー

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41件のお客様レビュー

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2013/11/23

・「嘘」や「芝居の台詞」には「何か」が決定的に欠けている。 身体が欠けているのだ。 演技者は「台詞がよく聞き取れるように、きちんとアーティキュレートして語る」ことを求められる。私たちがふだんしゃべるとき、私たちのことばづかいに必ず随伴する「ためらい」も「前のめり」も「無意味な間」...

・「嘘」や「芝居の台詞」には「何か」が決定的に欠けている。 身体が欠けているのだ。 演技者は「台詞がよく聞き取れるように、きちんとアーティキュレートして語る」ことを求められる。私たちがふだんしゃべるとき、私たちのことばづかいに必ず随伴する「ためらい」も「前のめり」も「無意味な間」もそこにあってはならない。そのような夾雑物をすべて「削ぎ落とし」た、クリアーカットな発声を達成したのち、演技者は、その「台詞にふさわしい」動作や表情をこんどは「付け加えてゆく」。 →小さい子どもの反応がわざとらしい時がある。ふさわしいと思われる態度を演技しているからかも知れない。発展というか、学習途上で夾雑物が生成されないのか。 ・太宰治の最晩年のエッセイ『如是我聞 四』は新潮社の編集者を夕刻電報で呼び出して口述筆記させたものである。太宰は編集者の前で炬燵に入って、酒杯を含んだまま、「蚕が糸を吐く」ように、よどみなく最後まで口述したという。 ところが1998年にこの口述筆記された『如是我聞 四』の「草稿」が発見された。それは発表原稿とほとんど一言一句変わらぬものであった。 つまり、太宰はまず草稿を書き、それを暗記し、ついでそれを聴き手の前で暗誦してみせたのである。 ・くわえタバコでネクタイを緩めたやくざな兄ちゃんが「いいから、適当に面白そうなのを選んで、ちゃちゃっと訳しちゃってよ」と汚いペーパーバックの束を私に投げてよこした。 読んでみると、どうでもいいような動機の殺人があり、みえみえのトリックがあり、30分以内に犯人がつかまるというまことに無内容なミステリー短編集であった。最初は律儀に訳していたものの、そのうちに内容のあまりのつまらなさにうんざりして、ついに一大決心をするに至った。 書き換えてしまうことにしたのである。 ・例えば、日本製電気掃除機のマニュアルに「お餅が喉につかえた場合などにもご使用頂けます」というような記述があったとしよう(ないけど)。これをいま仮にフランス語に訳すことを明日までの急務とするベルナール君がいたとして、「お餅」というものの形状や性質について知るところがなかったという場合をご想定願いたい。辞書的語義はわかっても何のことかぜんぜんわからないというケースは技術翻訳においては少なくない。 そういう場合は、静かに「餅のことは忘れる」というのも訳者の取りうる一つのオプションではないかと私は申し上げているのである。 ・「タカハシ」さんと高橋源一郎を隔てる距離は、「テスト氏」とポール・ヴァレリーを隔てる距離より、「苦沙彌先生」と夏目漱石を隔てる距離より狭い。そして、この距離が狭いほど批評装置の性能は高く、響く「倍音」は深い。 ・私たちにできるのは、この「どこまで信用してよいかわからない私自身の世界経験」」を慎重に腑分けして、そこから「信用できそうな要素」と「信用ならない要素」を識別し、「信用できそうな要素」だけに準拠して、「ほんとうの世界」について近似的に知ろうとすること、それだけである。 「信用できそうな要素」というのは、「今ではないとき、ここではない場所、私ではない人間」の世界体験と共通するような要素のことである。

Posted byブクログ

2013/07/02

ブログではなく雑誌寄稿の雑稿集。カギカッコにいれる技法や、わからないところを飛ばす翻訳、金銭に換算できないものを理解しないコンサルに対する怒り、色々良く分かるし勉強になる。

Posted byブクログ

2013/06/17

ブログの文章を集めたものでなくて、様々な媒体に依頼を受けて書いた散文を集めたもの。なので、著者本人も言っているけど、少し他のものと味わいが違う。ただ基本はいつもの内田節である。 「私のハッピー・ゴー・ラッキーな翻訳家人生」という題目の文章が特に面白かった。訳せないところは訳さな...

ブログの文章を集めたものでなくて、様々な媒体に依頼を受けて書いた散文を集めたもの。なので、著者本人も言っているけど、少し他のものと味わいが違う。ただ基本はいつもの内田節である。 「私のハッピー・ゴー・ラッキーな翻訳家人生」という題目の文章が特に面白かった。訳せないところは訳さなくていいという必殺技を伝授してもらった。 おそらくほどよく適当に書いているんだと思うけど、著者の文章はある程度適当に書いたものが一番おもしろい。

Posted byブクログ

2013/03/06
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「目からウロコ」という言葉がある。内田樹を読んでいると、文字通り目からウロコが落ちる。しかも、その頻度が高い。試みに下の文章を読んでみてほしい。 「合理的な人」は結婚に向いていない。/それは、「合理的な人」が人間関係を「等価交換」のルールで律しようとするからである。/「私はこれだけ君に財貨およびサービスを提供した。その対価として、しかるべき財貨およびサービスのリターンを求める」という考え方を社会関係に当てはめる人は、残念ながら結婚生活には向いていない(そして、ビジネスにも向いていない)。/というのは、人間の社会は一人一人が「対価以上のことをしてしまう」ことによって成り立っているからである。/すべてのサラリーマンが自分の給料は不当に安いと思っているが、それは彼らが稼いだ「上前」をはねることで株主配当や設備投資が行われている以上当然のことである。/結婚も全く同じである。/「夫婦」は企業と同じく、配偶者それぞれが「夫婦」という集合体に投資することで成立する。配偶者がそこに十分な投資を行い、状況の変化に相応できるフレキシブルなビジネスモデルを組み立てるならば、「夫婦」は生き延びることができる。/反対に、自分が投資したもの(金、時間、労力、気づかい、忍耐などなど)に対して相手から「等価」のリターンを求めると、「夫婦」は潰れる。それは営業マンが彼の努力で成約した取引から得られた利益の全額を「オレの業績だ」と言って要求することを許せば、会社が潰れるのと全く同じ原理なのである。/そのことに気づいている人はまことに少ない。(一部省略) 新書版見開きで余白が出る短い文章だが、言われていることは、結婚生活に関する深い洞察に溢れているではないか。多くの人が、会社相手にははじめからあきらめても、配偶者には自分の投資に対する「等価交換」を求めてしまうのではではないだろうか。それは相手にしたって同じことだから、要求が正当なものであっても、いや、正当であるからこそ、会話は対決姿勢に終始し、やがて破綻することになる。 経験から、結婚に「等価交換」は不向きだということをうすうす実感してはいても、それがビジネスモデルを譬えにして説明されることで、実に明快に理解できることに驚く。もしかしたら、巧く騙されているだけかもしれないが、それならそれでいい。とにかく人間は生きていくための「物語」を必要とする動物だから(因みに著者は離婚を経験している)。 単行本化されていない、どこに書いたかすら覚えていないような筐底に残された雑多な文章を拾い集め、「知ること」というテーマの下に六つの章に並べ直したのは、編集者の手柄かもしれない。しかし、「落ち穂拾い」(この手の本を評者はそう呼んでいる)にしては、最近の収穫である。一つは、これらが、注文原稿であったからではないだろうか。最近の内田の本は、ブログをもとにしたものが多い。ブログは字数も何も気儘なものである。枚数が限られていることで、かえって首尾結構を意識し、簡潔にして明瞭な文章を生んだのかもしれない。

Posted byブクログ

2012/10/31

知識欲をかきたててくれるウチダ先生のエッセイ。翻訳にまつわる文章は、畏れ多くもいたく共感。私も相当態度が悪いのだな、と自覚しました(笑)

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2012/08/06

タイトルで選んで手に取った次第の本。著者の語り口と題材にしているものがとても興味を引くもので面白く読めました。ブログやら取材やらで書いたものをまとめたエッセイ集みたいなもので、次々読めて重たい感じはありません。もう一回読み返すとさらにおもしろいかも。

Posted byブクログ

2012/07/15

(以下引用) すべてのサラリーマンは自分の給料は不当に安いと思っているが、それは彼らが稼いだ「上前」をはねることで株式配当や設備投資が行われている以上当然のことである。「そんなのイヤだ、稼いだ分だけ稼いだ人間に戻せ」ということになると企業は資金も調達できずシステムの変化に対応でき...

(以下引用) すべてのサラリーマンは自分の給料は不当に安いと思っているが、それは彼らが稼いだ「上前」をはねることで株式配当や設備投資が行われている以上当然のことである。「そんなのイヤだ、稼いだ分だけ稼いだ人間に戻せ」ということになると企業は資金も調達できずシステムの変化に対応できずテクノロジーの進化にも追いつけず、遠からず破産する。(P.32) 同じ食物を分け合うということは、食物が乏しいときには、全員が一様に空腹を感じ、腹をこわすときには全員下痢になるという、ある種の運命共同体を立ち上げることである。同じ元を食べているとそのうち解剖学的組成が似てきて、似たような体型、似たような顔つき、似たような感情が醸成されることになり、共同体維持にも有利なのである。(P.56) どうしてTVレポーターのような人気のある職業をやめてしまったのか、理由を訊いてみた。訊けばもっとも。労働条件はめちゃくちゃ悪いからである。「だって『やりたい』という人がいくらでもいるんですから…」なるほど、そうだろう。「どんな安い給料でもいいからTVで働きたい」という人が後から後から押し寄せるのだから、雇う側は笑いは止まらない。労働条件の改善要求は、レポーターの「替え」なんかいくらでもいるんだということで簡単に蹴飛ばされてしまう。(P.95)

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2012/07/11

本書を読んで、 物語を語る上で、 「何を語っているか」という、 意味性のレベルだけではなく、 「どのように語っているか」という、 身体性のレベルに注目すると、 また違った見方が出来て面白いかもしれないなぁ、 と思いました。 それはアニメや漫画で言えば、 絵のレベ...

本書を読んで、 物語を語る上で、 「何を語っているか」という、 意味性のレベルだけではなく、 「どのように語っているか」という、 身体性のレベルに注目すると、 また違った見方が出来て面白いかもしれないなぁ、 と思いました。 それはアニメや漫画で言えば、 絵のレベルの話になるでしょうし、 音楽で言えば、 響きのレベルの話になるでしょう。

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2012/07/07

ブログのエッセイを編集したものらしい。 自分の体を「ソリッドな単体」のイメージで動かすのと「水のような細粒の集積」のイメージで動かすのでは、発動する力がまったく変わるらしい。なるほど、肩コリもこの発想で治るんじゃないかい。いろんな発想の転換が詰まった本。

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2012/06/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「私たちがものを書くのは「もう分かっていること」を出力するためではなく、「まだ知らないこと」を知るためです。」 あちこちに書き散らしたテクストを再発掘したもの。 「知ること」を徹底して考え続ける著者の考察は様々な分野にわたる。 いつもの「読みやすいけど、深い」知的エッセイ。

Posted byブクログ