1968年 の商品レビュー
1968年の新左翼の運動を、ポストモダンの諸問題があらわになった転換点として位置づける試みがなされている本です。 著者は新左翼の運動の歴史的な意義を、国家に対する反逆としてではなく、思想的・文化的なヘゲモニーをつくり出したところにあるという、グラムシ的な観点から評価しています。...
1968年の新左翼の運動を、ポストモダンの諸問題があらわになった転換点として位置づける試みがなされている本です。 著者は新左翼の運動の歴史的な意義を、国家に対する反逆としてではなく、思想的・文化的なヘゲモニーをつくり出したところにあるという、グラムシ的な観点から評価しています。そして、エコロジーやフェミニズム、マイノリティの権利要求といった現代社会のさまざまな課題が明確になった歴史的な起点として、「1968年」の意義を評価しようとしています。こうした観点から、入管問題がきっかけとなって起こった華僑青年闘争委員会による日本人への告発の問題をとりあげ、津村喬によって思想的な整備がなされ全共闘運動において叫ばれることになった、革命の「主体」の批判的問いなおしへとつながっていったことを明らかにしています。 また著者は、現代においても市民的反戦平和主義という観点から評価されている「ベ平連」について検討をおこない、米軍脱走兵の援助の背景にシニカルなアナキスト山口健二の存在があったことを指摘します。そして、三島由紀夫の短編「親切な機械」のモデルが山口であったことに注目し、1968年以降左右の政治的立場を問わずひろまっていくことになる「偽史的想像力」が抱え込んでいた、天皇制との関係についての考察をおこなっています。 さらに、革マル派と中核派の衝突に代表される「内ゲバ」については、それが武装蜂起のための「革命戦士」をつくり出す規律/訓練の場面において生じた出来事であると位置づけ、「企業戦士」がセミナーで過労死することに類した、高度資本主義社会のシニシズムの極北を示す事件として解釈しています。 1968年の事件についての客観的な分析とはいいがたい本ですが、さまざまな思想史的文脈を渉猟して現代にまでつながる諸問題の系譜が解きほぐされており、おもしろく読むことができました。
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本書の通り1968年がターニングポイントだったのかどうかの結局のところは別として「結構そうなのかも?」という気がしてくる感じが湧いてくるのがおもしろくてスラスラ読めた。 なぜ「市民運動」は実際の市民を置いてきぼりにした政治活動でしかないように見えるのか?といった我々「市民」には...
本書の通り1968年がターニングポイントだったのかどうかの結局のところは別として「結構そうなのかも?」という気がしてくる感じが湧いてくるのがおもしろくてスラスラ読めた。 なぜ「市民運動」は実際の市民を置いてきぼりにした政治活動でしかないように見えるのか?といった我々「市民」にはよくわからないところが(読みやすくはないものの)書かれているのがよかった。 現在の状況を過去の運動の影響下にあるとすると、1968年はもしかしたら「問い」の年ではあったかもしれないけど、本書で主張しているとおりに「革命」の年ではなかったように感じる。 76ページから始まる「今日のベ平連再評価」は濃くてよかったのだが、なぜ反戦平和主義は暴力的なのかというのはわからないまま。このあたりはやっぱりなんだか自分ではわからない(わかる必要もない)という感じか。
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トランプ大統領が誕生し「Great America, again」ということを語っており、そのモデルがレーガンにあるということらしい。 レーガンが80年代にアメリカを立て直そうということ、それ以前にベトナム戦争があり、アメリカは疲弊してしまったこと。 その1968年に至るまでには60年の(日本では)安保闘争があったこと。 このあたりの系譜を理解しようと、そして現状に起きている世界的な「ポピュリズム」(ナショナリズム?)を捉えようと読みはじめた。 自分を「位置づける」、というところが印象に残っている。二十歳の原点でもよく記載があったが、とにかく「自分はどこに立っているのか」を重要視する。 とにかくもマイノリティー問題も資本主義的に回収され、革命が不可能性を持ってしまった。そこにあたり今度はPCを無視した大統領の誕生により、再度民族や宗教的差別がまかり通るようになりつつある。というようなことか?
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2006年刊行。全世界的に左翼学生運動が展開していた1968年。本書は、その左翼運動に秘められた欺瞞を、その前史から描き、後史たる「華青闘告発」の意義に収斂させていく。現代史の一面を切り取った秀作であるが、個人的には、まだまだ理解不足のところが多く、他書を当たった上で再読したいところである。
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最初にこっちを読んだんだけど。 数年後に小熊英二教授の『1968』を読んだので、再び図書館で借りてみて、比べながら、読んでみた。 小熊教授の『1968』は社会学者の研究の書で、より客観的、分析的、歴史学的。 こちらは、当事者の、ロマンティックな回想を含んだ、本かな。 どちらの本...
最初にこっちを読んだんだけど。 数年後に小熊英二教授の『1968』を読んだので、再び図書館で借りてみて、比べながら、読んでみた。 小熊教授の『1968』は社会学者の研究の書で、より客観的、分析的、歴史学的。 こちらは、当事者の、ロマンティックな回想を含んだ、本かな。 どちらの本でもウォーラーステインの1968年観への言及があるけど、オレはウォーラー・ステインはタワゴトしか言ってないと思う。
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この国は右傾化しているのか、左傾化しているのか、自分の立ち位置はどこなのか。今の時代に右も左もないではないかという感想を持つ人にこそ読まれるべき一冊。
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世界的な思想の大転換と、グローバル資本主義の端緒となった1968年という年を軸に、戦前から1970年代にかけて、日本の左派がどのような変遷を遂げたかを、主たる活動家の言動をベースに描いている。 時代の流れを丁寧に追っていて学ぶところは大きいが、登場人物のバックグラウンドを知っていたり、関連図書を読んだりしていないと、特に後半の第4章、第5章は理解が厳しい。
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[ 内容 ] 先進国に同時多発的に起こった多様な社会運動は、日本社会を混乱の渦に巻き込んだ。 その結果生まれたウーマン・リブ(→フェミニズム→男女共同参画)、核家族化(=儒教道徳の残滓の一掃)、若者のモラトリアム化(→「自分さがし」という迷路)、地方の喪失(=郊外の出現)、市民の...
[ 内容 ] 先進国に同時多発的に起こった多様な社会運動は、日本社会を混乱の渦に巻き込んだ。 その結果生まれたウーマン・リブ(→フェミニズム→男女共同参画)、核家族化(=儒教道徳の残滓の一掃)、若者のモラトリアム化(→「自分さがし」という迷路)、地方の喪失(=郊外の出現)、市民の誕生と崩壊、「在日」との遭遇などの現象は相互に関連しながら、現代社会の大きな流れを形作っている。 前史としての“60年安保”から、ベ平連や全共闘運動を経て三島事件と連合赤軍事件に終わるまでの“激しい時代”を、新たに発掘した事実を交えて描く現代史の試み。 [ 目次 ] 第1章 先進国の同時多発的現象(現代は六八年に規定された時代である 資本主義の脱構築的な力に依拠する六八年) 第2章 無党派市民運動と学生革命(ソ連の「平和共存」路線とベ平連 米軍脱走兵を援ける三島由紀夫の「友人」 ほか) 第3章 「華青闘告発」とはなにか(マイノリティーによる対抗運動の登場 マイノリティー運動がかかえる難問) 第4章 ヴァーチャルな世界のリアルな誕生(右翼と左翼の奇妙なコラボレーション―太田竜から村上春樹へ 偽史的想像力のもう一つの源流―吉本隆明と中野重治) 第5章 内ゲバ/連合赤軍事件/革命(リンクする華青闘告発と内ゲバの「論理」 レーニン主義の廃墟とグラムシ主義の廃墟) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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1960年代の学生運動・社会運動が、2000年代とどう結びついているか、を描こうとしている本。 読者を選ぶ本。単行本にして、用語解説や脚注をいっぱいつけてほし。そうしないと私のような入門者には分からない言葉が多すぎる。(たとえば、サバルタン ってなんだ?) ディテールはほ...
1960年代の学生運動・社会運動が、2000年代とどう結びついているか、を描こうとしている本。 読者を選ぶ本。単行本にして、用語解説や脚注をいっぱいつけてほし。そうしないと私のような入門者には分からない言葉が多すぎる。(たとえば、サバルタン ってなんだ?) ディテールはほとんど理解できない。たとえば、『爆弾男(って誰それ?)牧野はアナーキストで、新右翼にシンパシーを抱いていて、しかも三菱重工か商事の会長の息子で広告代理店などを立ち上げた(失敗した)』 ということから、ドイツのナチズムとイタリア・ファシズムとスターリニズムを内包 って結論しているけど、、、それ短絡的過ぎないか。そもそもナチズムとファシズムとスターリニズムの違いを、俺説明できないやん。 知識が確実に不足していて、理解できない。 それでもアウトラインで理解したところによると 1.ベトナム反戦運動は、ソ連(?)の「先進国内の内乱」を起こす戦略 に則っていたと思われる。日本の「べ平連」にソ連が一定の影響力を与えていた。 - ベトナム反戦運動では「アメリカはベトナムから撤退しろ」というスローガンが歌われた。撤退した後はソ連の後ろ盾を期待できた(ソ連は平和勢力という幻想もあいまって) - イラク反戦運動では「アメリカはイラクから撤退しろ」とはいえなかった。撤退した後はイラクの統治が誰にもできない(ソ連はもういない) 2.70年の「7・7 華青闘」の???で、日本のナショナリズムが指摘された。それまでは日本の新左翼(ってなに?)だけでなくその他の知識人もナショナリズムには無自覚であった。 => 在日韓国人・中国人への目、被差別部落民、女性、etc.. 3.スターリン批判→言語的転回 正史への信頼なくなっていく。偽史への関心高まり というか、何が正当かわからなくなっていく。 ==> サブカルチャーの台頭、フェミニズム、環境問題、在日というマイノリティの観点からの歴史、網野史学。 その他、さまざま考えさせられるところのある本。ディテールは分からないけど不思議な魅力がある。 ただ、「7・7 華青闘」が現在の状況に大きく影響を与えているという理屈だが、世界の思想の流れはどうなのか? この本を読んでいると日本の流れと世界の流れの関連が唐突に(特に説明なく)示されるだけ。 世界の思想がなぜ カルチュラルスタディーズや脱構築にいったのかの説明が知りたい。
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