新・ゴーマニズム宣言(文庫版)(9) の商品レビュー
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今回もここ数巻続いている「南京大虐殺」の歴史的有無に関する闘争と『脱ゴーマニズム宣言』における著者の許可のない引用への著作権侵害に関する裁判の模様、そして「新しい歴史の教科書を作る会」の進捗が語られている。 「南京大虐殺」については中国政府に操られる日本政府という図式をあらわにし、特に中国が行ってきた「チベット侵略」に関して世界的に何も非難されていないことを取り上げている。この辺の記述は詳細かつ陰惨を極め、戦慄を覚えざるを得ない。よしりんが「なぜ日本は(世界は)この中国の悪行を非難しないのか」と訴えているが、これはほとんどの大人が判っていることだ。やはり国力のパワーバランスが全てものを云っている。 よしりんは認めたくないのだろうが、やはり世界の流れはいま中国に向いているのが現状だ。この大きな流れはよほどのことがない限り、止められないだろう。この本が出版された2000年と今では明らかに世界の情勢は変わってきている。 著作権を巡る裁判の結果がこの巻の最後で逆転勝訴となったのは喜ばしいことだ。色々不満もあるようだろうが、相手に課せられた処分は重いのだから、これでよしとすべきだろう。しかしこの本を読んでいると朝日新聞はますます買い(読み)たくなくなるなぁ。 「新しい歴史の~」はもはや戦線離脱といった様子だ。実際、この巻において活動グループからの離脱を表明している。小林よしのり氏はその考えに同調して参加したグループから常にスケープゴート的に偶像として奉られ、利用される傾向にあるようだ。 しかし最も印象に残ったのは「公」と「私」に関する話である。これらは上に掲げたテーマにも通底している考えで、これについては頷ける事が多々あった。 確かに個人主義、ゆとり教育、自由主義が発達したせいで、公共性というのが今の日本人に失われているのを強く感じる。私も含めてそうだが、無礼とか我侭がかっこいいという風潮が確かにある。それらは「決して権力に屈しない」とか「自分のこだわりを捨てない」などの美辞麗句で飾られるため、別な方向で勘違いしている傾向がある。 紳士的な振舞いがかっこいい、つまり礼儀正しい態度がかっこいいのだと気づく精神的成熟さが今の日本人に欠けているのだ。 この件に関して最もシンパシーを感じたのはわが子に嫌われたくない、若い部下に嫌われたくないためにご機嫌取りのように横暴を許す父性の欠如があると作者が指摘した箇所だ。 これは大いに賛成する。個人の尊重は大事、これは認めよう。しかし悪事や不条理は許してはいけないのだ。子供に嫌われる父親を目指すという私の考えは正しかったのだと再認識した次第。 しかし本巻のラスト近くで作者がしきりに自分の仕事に没入したいと吐露するシーンが多かった。これは今までなかったことだ。 どうも書きたいテーマがあるらしい。それか今まで参加してきた活動に失望を覚えることが多く、疲れが出てきたのかもしれない。 確かに同じようなテーマで数巻を費やす傾向が最近強かっただけに、もっとグローバルな視点であらゆる事象を縦横無尽に斬りつける展開を次巻から期待しよう。
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