村上春樹全作品 1979~1989(6) の商品レビュー
まさに不朽の名作。 著者自身がカジュアルティーズ(犠牲者)の物語と話すように、本作では主人公の周囲の人の死や、別れが多く描かれ、孤独や喪失が強調される。それでも尚、人は生き続けなくてはならないという、一つの人生観を示した作品となっている。
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思いのほかスッキリ 村上春樹の作品を食わず嫌いしてあたのもあり、中盤まではどのように楽しむかを探しなが読んだ。 だが、一度綺麗な雰囲気だなと思ったころには自然と読みやすく文体と物語のスピードが心地良くなった。 意外なのは、起きる事柄は暗く沈んだ気持ちになるようなものなのに最後まで...
思いのほかスッキリ 村上春樹の作品を食わず嫌いしてあたのもあり、中盤まではどのように楽しむかを探しなが読んだ。 だが、一度綺麗な雰囲気だなと思ったころには自然と読みやすく文体と物語のスピードが心地良くなった。 意外なのは、起きる事柄は暗く沈んだ気持ちになるようなものなのに最後までスッキリ読めたことだ。晴れやかな気さえする。 野外作品が多いので連続では少し疲れるかもしらないが、このリズムが好きな人がいるのは理解できた。 読んでみて良かったことは確かだ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「恋愛小説」にしては死人(あるいは退場者)が多すぎますよ。「死」は残酷ですね。レイコさんが好きでした。なんとなく登場するたびに安心感がありました。
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主人公の「僕」が身を投じる女性たちとの戯れについて考えてしまった。概ねそれらは虚しく終わる。だが、そう言い出せば私たちの人生だって虚しく終わる。記憶に留めておくべき人(直子/レイコ/ハツミ)は記憶からどんどん忘れ去られてしまい、愛していた確証さえも「時の洗礼」(永沢さん)に洗われ...
主人公の「僕」が身を投じる女性たちとの戯れについて考えてしまった。概ねそれらは虚しく終わる。だが、そう言い出せば私たちの人生だって虚しく終わる。記憶に留めておくべき人(直子/レイコ/ハツミ)は記憶からどんどん忘れ去られてしまい、愛していた確証さえも「時の洗礼」(永沢さん)に洗われて定かではなくなる。そんな郷愁とメランコリーはこの小説を読んで30年経った今でも不思議と胸を打つ。ただ、時が経ったせいか今では永沢という男の悲しさにも入り込めるようになった。こうして多彩な登場人物を備えている懐の深さが作品の魅力か
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再読。 この本に限らず、村上春樹の作品って、すごい抽象的で感覚的な話をしてるかと思えば、暮らしの延長線上にあるような、手の届く範囲にあるリアルな喩えが出てきたりして、その塩梅がめちゃくちゃちょうどしっくりくる。 …「春の野原を君が一人で歩いているとね、向こうからビロードみたいな...
再読。 この本に限らず、村上春樹の作品って、すごい抽象的で感覚的な話をしてるかと思えば、暮らしの延長線上にあるような、手の届く範囲にあるリアルな喩えが出てきたりして、その塩梅がめちゃくちゃちょうどしっくりくる。 …「春の野原を君が一人で歩いているとね、向こうからビロードみたいな毛なみの目のくりっとしたかわいい子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱き合ってクローバーの茂った斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。……」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
文体の、作品の、登場する人物たちの、全ての美しさに圧倒された。こういう小説を自分も書きたいと強く思わせてくれた。 ワタナベ君に強く惹かれた。大きな哀しみに触れ、他から距離を取って生き、それでいて直子とはどこまでも真摯に向き合う。他の女性たち、緑やレイコさんなど、彼女らへの言葉かけも秀逸である。周囲の女性たちは、端的に言うと「重い」女性が多い。過去に暗がりを抱えた女性たち。そんな彼女らを疎ましく思うことをせず、ひたすら傾聴。男性の描く男性が、ここまで女性に優しく、私という元来男尊女卑な考え方をしてしまう女性でも惹かれてしまう男性を描けることが素敵だと思えたし、こういう男性も少なからず存在するのかもしれないと思うと、少し心が満たされる思いだった。 そんな気持ちは中盤の永沢さんとの場面で打ち砕かれる。永沢さんの就職祝いの場面だ。 「俺とワタナベには似ているところがあるんだよ」と永沢さんは言った。 「ワタナベも俺と同じように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間なんだよ。傲慢か傲慢じゃないかの差こそあれね。自分が何を考え、自分が何を感じ、自分がどう行動するか、そういうことにしか興味が持てない人間なんだよ。だから自分と他人をきりはなして物事を考えることができる。俺がワタナベを好きなのはそういうところだよ。ただこの男の場合は自分でそれがまだきちんと認識されていないものだから、迷ったり傷ついたりするんだ」(301) 優しいと、他人の重い話に傾聴できると感じさせてくれる人間は、完全に共感していないからこそ優しくなれるのか、そう感じた。瞬間、自らはいつもこういう異性に強く惹かれることを再確認してしまい、のちにハツミさんがワタナベ君に永沢さんと分かれるよう薦める場面で、ハツミさんと共に涙した。作品中の異性に強く惹かれ、同じ作品中で失恋のような想いをさせられたのは初めてだと思えた。そしてのちの永沢さんの言葉で、自らがそういう風になれたらと思えた。それが「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」(346)である。自分の重さに自分で共感し憐れむことで、悲劇のヒロインのように酔いしれる自分がいることを思い知らされた。自分の状況を如何に分析し、改善していく努力を、今まで以上にしていかなければならない。 筆者は村上作品に触れるのはこれが3作目。だからこそわかったのだが、村上作品に出てくる女性はどれも魅力的に、そして謎めいて描かれている。活字での情報しか与えられていないが、直子の未完全な少女性、緑のはつらつとした魅力、それからレイコさんやハツミさんの熟成された美しさ。全てありありと描かれていて、まるで彼女たちが目の前にいるような気持ちにさせられた。また話し方も女性的。感情豊かに、結論から筋道立ててというよりは少しひねった話し方をしている。村上が、そして男性が如何に、女性が未知な存在であると考えているかを謳っているように思った。個人的にも短編の小説を書くから、女性の美しさを活字で表すことの素敵さ、そして難しさは熟知している。今作品を通して、自分もまだまだ描いてみたいと思えた。 筆者は女性であるので、気丈に振る舞いつつも漠然とした寂しさや孤独を感じると訴える緑の気持ちが、ベッドでワタナベ君に抱かれ、優しい言葉をかけてもらいたいと願う緑の気持ちが、手に取るように分かった。個人的に、直子のことを静かに想うワタナベ君よりも、はつらつとした緑に付き合い笑っているワタナベ君がとても好きだし、喜怒哀楽が激しくも自らの感情を丁寧に伝える緑が好きだった。だからこそ彼が終盤で緑を選ぼうと心揺れる場面に心打たれた。自他の距離を取ろうとしていたワタナベ君が、レイコさんにも自らの哀しみを訴えられるようになったのは直子の死もあるが緑のおかげではなかろうかと感じた。 今作品について「性描写が多い」と批判する方も多く見受けられる。しかし村上作品における性描写は、官能的というより、とても文学性を感じる。一概にそう考えるのは如何なものであろうか。自らに秘めた内なるものを放出しているような、言語化できない人間性を表現することが性描写の役割ではないかと思えるようになった。 結末を読者に考えさせる終わり方は、何ともアメリカ文学的だと思えた。そういう点からも村上が世界各国から愛されていることを思い知らされた。 先述の通り筆者は今作品で村上作品は三作目。大衆が言う「生と死」よりも、女性たちの描かれ方など村上作品全体の色を感じ取ることに重きを置いてしまった気がする。これからもっと村上作品に触れ、改めて今作品を読み返したい。また何か違うことを私に与えてくれそうだから。
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小説は読まない主義だけどこれは読んじゃう ながさわさんの生き方を私の人生かなり参考にしている 俺は俺なりにずいぶん努力をしている。ときどき世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね あれは努...
小説は読まない主義だけどこれは読んじゃう ながさわさんの生き方を私の人生かなり参考にしている 俺は俺なりにずいぶん努力をしている。ときどき世間を見まわして本当にうんざりするんだ。どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね あれは努力じゃなくてただの労働だ。 努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ。 それから彼女は僕の方を向き、にっこりと笑い、少し首をかしげ、話しかけ、僕の目をのぞきこむ。まるで澄んだ泉の底をちらりとよぎる小さな魚の影を探し求めるみたいに。 彼女の瞳の奥の方では真っ黒な液体が不思議な図形の渦を描いていた。そんな一対の美しい瞳が僕の中をのぞきこんでいた。それから彼女は背のびをして僕の頬にそっと頬をつけた。それは一瞬胸がつまってしまうくらいあたたかくて素敵な仕草だった。 よく見ると彼女の目はどきりとするくらい深くすきとおっていた。 見違えるほどやせていた。とても自然でもの静かに見えた。まるどどこか狭くて細長い場所にそっと身を隠しているうちに体が勝手に細くなってしまったんだという風だった。そして直子は僕がそれまで考えていたよりずっと綺麗だった。 降りましょうよと直子言って、我々は電車を降りた。 ねぇ、もしよなったらーもしあなたにとって迷惑じゃなかったらということなんだけどー私たちまた会えるかしら?もちろんこんなこと言える筋合じゃないことはよくわかっているんだけど 筋合なんて言うつもりはなかったの。もっと違った風に言うつもりだったの。 いつもキズキが一座の中心にいたし、彼はそういうのが上手かった。キズキにはたしかに冷笑的な傾向があって他人からは傲慢だと思われることも多かったが、本質的には親切で公平な男だった。3人でいるとー公平に話しかけ、冗談を言い、誰かがつまらない思いをしないようにと気を配っていた。 彼には場の空気をその瞬間瞬間で見きわめてそれななうまく対応していける能力かあった。 部屋の中で僕と二人きりになっても彼女としてはそんなことは気にもしていないみたいだった。 余計なものは何もないさっぱりとした部屋で 彼女はとても質素に簡潔に暮らしており、友だちも殆ど居ないようだった。ー僕が知っていたかつての彼女はいつも華やかな服を着て、沢山の友だちに囲まれていた。 馴れていった。ただ歩けばよかったのだ。 冬が深まるにつれて彼女の目は前にも増して透明に感じられるようになった。 ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ。人生は短い。 おまけに彼はハンサムで、親切で、よく気がきいたから一緒にいるだけでなんだかいい気持ちになってしまうのだ。 少し話をすると誰もが彼女に好感を持たないわけにはいかなかった。彼女はそういうタイプの女性だった。穏やかで、理知的で、ユーモアがあって、思いやりがあって、いつも素晴らしく上品な服を着ていた。僕は彼女が大好きだったし、 そうだよ。ゲームみたいなもんさ。俺には権力欲とか金銭欲とかいうものは殆どない。本当だよ。俺はくだらん身勝手な男かもしれないけど、そういうものはびっくりするくらいないんだ。いわば無私無欲の人間だよ。ただ好奇心があるだけなんだ。そして広いタフな世界で自分の力を試してみたいんだ。 人生には理想というようなもん必要ないんだ。必要なものは理想ではなく行動規範だ 人生の行動規範 紳士であること。自分がやりたいそとをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ。 天使みたいにきれいな子だったわ。もうなにしろね、本当にすきとおるようにきれいなの。あんなきれいな女の子を見たのはあとにも先にもあれがはじめてよ。手足がすらっと細くて、目が輝いていて、唇はいまつくったばかりっていった具合に小さくて柔らかそうなの。 見るからに頭の良い子だったわ。話の要領もいいし、意見もきちっとして鋭いし、相手をひきつける天賦の才があるのよ。 彼女はね、自分自身のためにひっそりと何かをするといった人間じゃないんだもの。彼女は他人を感心させるためにあらゆる手段をつかって細かい計算をしてやっていく子供だったんだもの。 口では愛想良くはいはいって言うけれど、絶対に自分のやりたいことしかやらない子なのよ。
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中学生の時に読んで依頼、約10年ぶり2回目 中学生の時に読んだときは、性描写ばかりで、退屈だったような記憶。 今回は続きが非常に気になったし、色々な男女の関係や気持ちが発生しうることも理解できるになっていて、成長したというか、歳を取ったと感じた。 やはり情景描写は美しく、比喩...
中学生の時に読んで依頼、約10年ぶり2回目 中学生の時に読んだときは、性描写ばかりで、退屈だったような記憶。 今回は続きが非常に気になったし、色々な男女の関係や気持ちが発生しうることも理解できるになっていて、成長したというか、歳を取ったと感じた。 やはり情景描写は美しく、比喩表現もユニークで面白かった。 なんとなく暗い雰囲気が立ち込めている世界観であるからこそ、死を乗り越えて、というか、死と一緒に生きていくことの辛さだったり、それでもちゃんと生きているということの大事さが際立っているように思えた。
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「恋愛」の不可能性について、100年前に夏目漱石が言い終わっているようなものだけれど、絵にかいたような「不可能な恋愛」を書いて、多分、今の(2020年に二十歳を越えたくらい)世代にでも通用するであろうと思っていたら、先日、女子大生に「意味が分からん」と言われた。 村上春樹の時代...
「恋愛」の不可能性について、100年前に夏目漱石が言い終わっているようなものだけれど、絵にかいたような「不可能な恋愛」を書いて、多分、今の(2020年に二十歳を越えたくらい)世代にでも通用するであろうと思っていたら、先日、女子大生に「意味が分からん」と言われた。 村上春樹の時代も終わりつつあるのだろうか? https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201910040000/
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プロットはつまらない、センチメンタリズムに光をあてた本。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを読んですぐノルウェイの森を読んだせいもあるだろうが、ありきたりな展開に思われてあまり引き込まれなかった。一方で、主人公の友となる永沢が魅力的で、セリフを思わずメモした。 「俺は時...
プロットはつまらない、センチメンタリズムに光をあてた本。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを読んですぐノルウェイの森を読んだせいもあるだろうが、ありきたりな展開に思われてあまり引き込まれなかった。一方で、主人公の友となる永沢が魅力的で、セリフを思わずメモした。 「俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄についやしたくないんだ。人生は短い」死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか信用しない、と彼は言った。 永沢が好きな本はバルザック、ダンテ、ジョセフコンラッド、ディケンズ。読もう。スコットフィッツジェラルド『グレート・ギャッツビィ』はこの後読んだ。 僕「そして理想というものを持ちあわせてないんでしょうね?」永沢「もちろんない。人生にそんなものは必要ないんだ。必要なものは理想ではなく行動規範だ」「ところであなたの人生の行動規範っていったいどんなものなんですか?」「紳士であることだ。自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」 この本には村上春樹おすすめの本が沢山紹介されてて、読んでみたくなる。趣味が合わなさそうだけど笑。 僕が好きな本はトルーマンカポーティ、ジョンアップダイク『ケンタウロス』、スコットフィッツジェラルド、レイモンドチャンドラー、トマスマン『魔の山』、フォークナー『八月の月』 ちなみにケンタウロスや八月の月は調べてみたが手に入りにくそう。 僕「君が毎朝鳥の世話をしたり畑仕事をしたりするように、僕も毎朝僕自身のネジを巻いています。僕はだいたい三十六回くらいコリコリとねじを巻きます。さあ今日も一日きちんと生きようと思うわけです。でも今日は日曜日で、ねじを巻かない朝です。洗濯を済ませてしまって、今は部屋で手紙を書いています。」 他人の心を、それも大事な相手の心を無意識に傷つけるというのはとても嫌なものだった。 本当にそうだね。
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