「わざ」から知る の商品レビュー
知識とは何か。 デカルトの思想に見られる「心身二元論」に立って考えるならば,それは言語を介して伝えられる知識のことである。 この立場では,「体育は得意だけれど勉強はダメ」という生徒は知識がないと見なされる。 しかし,運動について「知っている」こともまた知識と呼べるはずである...
知識とは何か。 デカルトの思想に見られる「心身二元論」に立って考えるならば,それは言語を介して伝えられる知識のことである。 この立場では,「体育は得意だけれど勉強はダメ」という生徒は知識がないと見なされる。 しかし,運動について「知っている」こともまた知識と呼べるはずである。 料理をするにも,自動車を運転するにも,知的なプロセスが介在していることは疑いの余地がない。 すなわち,「知識」と「技能」は本来分離できないものなのである。 このような筆者の主張は,ライルの「心身合一論」に依拠している。 「学校での勉強なんて何の役にも立たない」と考える生徒が多いとしたら,その原因は,筆者が述べているような「文脈の欠如」にあると考えて間違いないであろう。 「教えるべきことについてすでに知っている」教師は,教えている内容について,そのすばらしさを子供と共有しなければならない。 一方で,教わる側は師匠に近づくべく模倣をくり返し,わざをぬすみ,そうして自分のわざをあみださなければならない。 わざの探求は,人間が行う活動のなかでもっとも知的なものであると僕は感じる。
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わざの伝承。 師匠のわざを盗めというのは、なかなか高度な伝承だ。 すぐには理解出来ない投げかけや、取り組みをさせ、 本人に考えさせることでつかませる。 西洋的に、なんでもわかりやすく説明して、 積み上げるように教えるのとは違って、 全体を提示し模索させるなかで継承していくもの...
わざの伝承。 師匠のわざを盗めというのは、なかなか高度な伝承だ。 すぐには理解出来ない投げかけや、取り組みをさせ、 本人に考えさせることでつかませる。 西洋的に、なんでもわかりやすく説明して、 積み上げるように教えるのとは違って、 全体を提示し模索させるなかで継承していくものがある。 おもしろいです。
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「わざ」言語が、認知や理解に果たす役割に関する考察は特に興味深い。 自分の今後の関心や研究に生かすヒントになる書。
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