ロル・V・シュタインの歓喜 の商品レビュー
最近マルグリット・デュラスを短編を読んだので、こちらを再読。 デュラスは『太平洋の防波堤』がとても良くて、他にも色々読んでました。その中でも『ロル・V・シュタイン』の語りが極上で。(><)。 内容は説明しづらいんですけどね(^_^;) 「私」がロル・V・シュタインの娘時代のこと...
最近マルグリット・デュラスを短編を読んだので、こちらを再読。 デュラスは『太平洋の防波堤』がとても良くて、他にも色々読んでました。その中でも『ロル・V・シュタイン』の語りが極上で。(><)。 内容は説明しづらいんですけどね(^_^;) 「私」がロル・V・シュタインの娘時代のことを語る。「私」は、自分とロルの出会いはまだ先だと言う。 だからこれは、ロルの友達タチアナから聞いたことに、「私」の想像を加えている。 ロルはのんびりとした倦怠感を持ち、周りにも自分の感情にも無関心で、するべき役柄に耐えているような印象の女性だ。 ロルは一度婚約したことがある。相手はマイケル・リチャードソン。彼女の故郷のビーチのダンスホールで二人は踊った。そのダンスはロルとマイケルにとって生涯最後のダンスとなった。ダンスホールに黒衣のアンヌ=マリ・ストレッテール夫人が入ってきたのだ。 マイケルとストレッテール夫人はお互いを見つめる。 そんな二人を見つめるロル。彼女は止めなかった。それどころか二人を留めようとした。ロルは、自分から去ったマイケルとストレッテール夫人が寄り添い、その様子を自分が見ているその濃厚な時間に官能を感じたのだ。 10年後。ロルはジャン・べドフォールと結婚して子供も生まれ、夫の転勤で故郷に帰ってきた。 家は完璧に整え、人生にも他人にも何も要求しない。友人など必要ない。 ロルは、タチアナが愛人と逢引する姿を目撃し、タチアナの家を訪問する。 そこには「私」もいる。 <抱き合ったまま二人は玄関前の石段をのぼる。タチアナはロルを夫のピエール・ブニェールと、彼らの友人のジャック・ホールド、つまり間隔は踏み越えられたのだ、私、に紹介する。(P73)> うわあ、読んでいて痺れた!ヾ( 〃∇〃) この冒頭部分、誰だかわからない語り手が、自分が知らないことを語り、そして自分との出会いを語る。そして語る「私」と、当事者の「私」が重なる。 なんと見事な語り手の位置なんだ。小説ってこんなことできるの!?!? この後ロルの摩訶不思議な心理状況が綴られていって、それを語る「私」(ジャック)の心情も、理解も説明も難しんだけど(むしろ理解しちゃいかん(^_^;)、この冒頭読んだらもう虜ですよ。 ロルが戻ってきた故郷では、かつてロルがマイケルに捨てられ、彼女が精神不安定になった、ということは知られている。 しかしロルは元々閉じこもった感性をもっていた。ダンスホールのあの夜も、マイケルとストレッテール夫人が恋に落ちた瞬間と、とそれを見る自分、という濃厚な時間は満ち足りていて、その後もその時間を再現したいと願っていた。 タチアナは、その都度その都度の愛人との不倫を楽しんでいて、ロルが急に自分を訪ねてきたことを訝しんでいる。マイケルとの別離の場にいたタチアナは、ロルがマイケルとの別れから立ち直っていないと思っている。でも何かに執着するなんてロルらしくもない。 「私」(ジャック)には、ロルの望みがわかった。ロルは、自分とタチアナの逢引きの場にいたいのだ。見たいのだ。 ジャックはタチアナとの「森のホテル」での逢引きを見せる。ロルは麦畑に座り込んで二人のいる窓を見る。 やがてジャックとロルも関係を持つ。 ロルの歓喜は、狂気とすれすれだったのだ。 これらのことを語るのは、当事者であるジャック。当事者としての自分の言葉で語り、完全な第三者目線でタチアナたちを語り、そのうえロルの目線でも語る。 自分と出会う前のロル、ジャックと逢引きするロル、ジャックとタチアナの逢引きのホテルの窓を見るロル。これをジャックがロルの目線と同化して語る。 自分(ジャックとロル両方)でありながらもそこから引き離されているような感覚。 しかしロル本人を主体者にしたり語り手にしたりしないことで、小説としての濃厚さが増してゆく。 小説として、語り手が、語り手自身でもあり、登場人物と同化もし、まったく第三者にもなるというこの書き方が読んでいて心地よい 。(⁎><⁎)。 複数の男女によって構成される愛、精神不安定、叫び、徘徊、眠り、など、いかにもデュラスです。
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